平安・愛・幸せに共振する事を思い出す

平安・愛・幸せに共振する事を思い出す

喜び、大いなる氣づき、自信、自由、愛、感謝の世界が日常となるよう、
望まない現実を創造している世界から
ほっとした感覚、安心、安全、心地よい、よい氣分となりニュートラル状態へのヒント

【東大門】重要文化財


仁王像


門の両脇には仁王像が祀られています。鎌倉時代の仏師運慶・湛慶の作と伝わり歴史を感じさせる古さを伴って威厳と風格を備えています。

小学生の頃

この東大門を背景に

クラス写真を撮影したと思われる

写真の記憶しかないワタシ



大人になり訪れた

初めて尽くしの体験は

とても楽しい時間でした

山門入って直ぐ右手側に

牛車が置いてありました




動いている御所車は

京都の御祭りで観た程度

https://www.instagram.com/reel/C7nNG-MPlfp/?igsh=MXJpMDljMm51MnpqaA==


実際に動いている御所車は

艶やかで美しく贅沢を極み

現代の時間とは違う





境内案内図にあるよう

石山寺は広く

ゆっくり楽しめました

鯉達の大きさにはビックリびっくり

写真では大きさが分からなくて残念



【くぐり岩】


願いが叶うと言われているそうですが


願い事をするのを忘れました泣



【手水舎】


不動明王様もいらっしゃいましたラブラブ





【龍蔵権現社】

 



【神木】

平安時代、石山寺草創期からの老杉


大勢の人々や時代を永く

見護ってこられた一本杉





【蓮如堂】重要文化財

現在蓮如上人が祀られている蓮如堂は、硅灰石の崖にせり出して建つ懸造の堂宇です。もともと三十八所権現社の拝殿として建てられ、神事にも仏事にも使用できるようになっています。寺院における鎮守拝殿の一類型として、重要な遺構の一つです。<建造/慶長7年(1602)>





【毘沙門堂】滋賀県指定有形文化財


兜跋毘沙門天(平安時代、重要文化財)・吉祥天・善膩師童子を祀る堂宇です。兜跋毘沙門天を深く信仰する紀州の藤原正勝が建立し、建立の由来や造営の組織、工匠、造営方式が判明する点で貴重な建物です。<建造/安永2年(1773)>

兜跋毘沙門天・吉祥天・善膩師童子を祀る堂宇


本堂の東側、観音堂の北側に西面して建つ毘沙門堂は、兜跋毘沙門天(平安時代、重要文化財)・吉祥天・善膩師童子を祀る堂宇です。実際には正方形の平面ですが、間口三間に対して、奥行二間とし、方三間にしていない点が特色です。

棟札や「石山要記」から、安永2年に兜跋毘沙門天への信仰が厚かった和歌山の藤原正勝が施主となり建てたこと、大棟梁は大津の高橋六右衛門、治郎兵衛が大工は大阪の大西清兵衛が担当し、大阪で木材の加工や彫刻を行い、現地で組み立てたことなど造営方式がわかる点でも貴重です。



【観音堂】


西国三十三ヶ所観音霊場

すべてのご本尊である

観音様の尊像が安置されてます




【硅灰石】天然記念物

石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山寺」という寺名はこの硅灰石に由来しています。

石山寺境内 硅灰石

巨石への信仰が古くから寄せられるパワ―スポット


境内の大坂を上りつめると、正面に硅灰石の雄大な姿が目を引きます。この岩は、この付近に吹き出した花崗岩の熱作用で、石灰岩が変成した硅灰石と呼ばれるものです。この作用によって通常は大理石となりますが、この石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。

「石山寺」という寺名はこの硅灰石に由来しています。琵琶湖を臨み、奇岩の突出する石山寺の地は古来、信仰が寄せられる霊地とされていました。現在では石山寺を象徴するパワースポットとなり、硅灰石の下から多宝塔を見上げる美しい光景が望めます。



あまりの大きさに

写真内へ入り切りませんでした飛び出すハート




緑色での記載内容は

以下の石山寺公式HPよりお借りしました


石山寺公式サイト