平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba -488ページ目

居合考 ~何をもって本物とするのか~

完成された武術と言うものは、無駄な動きが無く、素人眼から見ても『美しい』と感じるものです。

先日のブラジルでの演武の際、僕の受けをとった門弟の柳原君、演武であるため、終始真顔で有って欲しかったのですが、ついつい顔がほころんでしまう。

僕達の演武を見ていた国際交流基金の杉田さんが、同行していたもう一人の門弟、椎原さんにこう尋ねたそうです。


「どうして柳原さんは業をかけられているのに笑っているのですか?」


緊張感をもって終始完結すべき公開演武としては、柳原君のうけは失格です。

早速帰国後、柳原君にその旨ダメ出しをしたところ、


「先生に業をかけられると、あれれ?と言った感じで、どうしても顔がほころんでしまうのです。」


とのこと。


斬られる者、斃される者が思わず見とれてしまう、思わず笑顔で斃されてしまう、そんな業がかけれるようになれ。

とは常々稽古中に言葉にしていましたが、実際、こうして思わず顔がほころんでしまうものなのです。

かと言って、演武を見る一般の人からすれば、倒されて笑っている柳原君を見て、ふざけているのか?としか思われないかもしれません。柳原君の当面の目標は、演武中は表情を作ることでしょうか。


さて、前置きが長くなりましたが、僕が標榜する武術としての居合とはそうしたものであり、美しさの欠片すら感じられないものは、どこかしら無理があるものだと見て良いかと個人的には思います。

刀の帯刀姿勢や、一つ一つの動きに無駄を感じるようであれば、そのような流派や道場では、学べるものが少ないと考えて良いでしょう。

やたらめったら稽古着に刺繍を施す流派や道場も考え物と言えます。

そのような道場は、居合を修練しているのか、刺繍を見せたいのか?と尋ねたくなります。



世界各国で居合をはじめとする日本の古武道が盛んに稽古されていますが、武術の本質を知らない人々は、悲しいかな系譜や肩書きで師や道場を選んでいます。

系譜はいくらでも捏造できます。
実際、平成の世になって、実は廃れたと思われていた流派を、ひっそりと受け継いでいたと名乗り出て、道場を立ち上げる人も居ります。

本当に受け継いでいたのかどうか、他人は知ろうはずもなく、否定することもできなければ肯定することもかないません。

数百年の歴史!

と言う系譜や、

著名武道団体の幹部!

と言う肩書きだけで判断するのは本当に危険です。


曇った眼鏡では本質を見ることはできません。


系譜や肩書きではなく、その流派、道場、先生の稽古方針と稽古法をしっかりと見極め、本物と、名ばかりの本物、或いは偽物を判別しなければいけません。


例え数百年の正統なる系譜を持つ流派や道場であったとしても、その技術や稽古法が今に失伝しているならば、本物とは言えないと僕は考えます。

巷には怪しい物が溢れています。

今から古武術を始めたいと思われている方は、焦らず、しっかりと道場選びに時間をかけられることをお薦めします。






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