ご無沙汰しております。isanaです。
 唐突にですが、みなさん、今年の目標は何ですか?5年後の目標は何ですか?

10年後はどうなっていたいですか???

 

 わたくし、最近改めて、「日本を出たい」と思うようになりましたww

 人生1度きりなんですよね~・・・。

 というわけで、かねてから考えていた海外研究を始めました。

 現在年の1/4は、アメリカで生活するようになり…実は数年が経過しましたニヤニヤ 

 も~、$を\に換算したくないwww

 

 自分の中では、またもや色々と挑戦の日々です。

 とりあえず、10年を目途に日本を離れようかなと考えています(ブログは続けていこうと思います)

 

 アメリカだと、論理的な作文のクラスがあるんです。

 私の専門は教育学ですが、一応logicalなwriting skillsも教えることはできるので、(あ~、私の意外な使い道がアメリカにはあるのか)と知りました。

 それでも、英語にはまだまだ課題があるので、現在は英語をコツコツとやっています。

 

 アメリカに行って、(あ~!!!その理論知ってるんだけど、英語で説明ができない笑い泣き)って思うことが多々あるので、心底日本語で学べてしまう日本の大学教育を恨みました・・・orz(ありがたいんですよ。専門書を日本語訳して売ってくださることは…。でも、日本語訳があるから英語で学ばなかったよ笑い泣き私は。(先輩とかは原文で読んでた笑い泣き笑い泣き笑い泣き))

 大後悔時代を憂いても、私の英語はできるようにならないので、地道に英語をしています。

 

 みなさんも、日々お仕事と学修とレポート執筆とでお忙しいと思いますが、一緒に”挑戦すること”を頑張りましょう!!!!

 

 

PS:明後日から、子どもの入院に付き添うため、しばらく病院生活してきますニヤニヤ

 

 

 ご無沙汰しています。isanaです。

 本学でも本年度は終わりに向かい、学位授与予定者がでそろいました。
 コロナの影響で今年度も学位授与式はできないかどうか・・・などの懸念もありましたが、なんとか工夫をしながら卒業生には学位記をお渡しできるようです。
 卒論指導のために1日4時間睡眠だった日々がようやく終わりました笑い泣き 本当にうれしい・・・・笑い泣き
 でも、すでに新4年生の卒論指導が開始しているので、そこまでゆったりもできておりません真顔

 今年度の学生に指導をしながら気づいた点でを以下書きます。このブログを読んでくださっている方にも、何かお役に立てれば幸いです。

①長文の構成を組むことが苦手な学生が多い。
②パラグラフの中でメイントピックを定めておく意識が希薄である。

③文と文を接続語等を用いずにつなげることが苦手である。

④文献を引用することが苦手である。
⑤体言止めを使用していることに不自然さを感じることが出来ない。

 

 この4点が顕著でした。さらには、オンラインで指導しないといけないので、指導者側は同じ内容を個々に伝えることになり時間がとられました笑い泣き

 オンラインでの指導は他の人にも「通信中」か否かがわかるので、教授会でも「isana先生のゼミ深夜まで指導してるでしょ!!?先生寝てる!?」と心配されました笑い泣き(4時間以上は寝れてません!)。

 ①~④まで個々にお話しすると長くなるので、それは今後書こうと思います。
 まず今回お伝えしたいことは、「みなさまご自身が書かれた文章を、”客観的に”読み返してみましょう。」です。主語と述語はつながっているか(そもそも、主語はあるかも含む)。挿入句を抜き取っても文意は伝わるか。修飾語は被修飾語に適切にかかっているか。という点は、読み返すだけでも確認できます。
 指導していて知ったのですが、ご自身で気付きにくいのは助詞の不自然さと口語表現のようです。

 文語と口語の区別がつかないという感覚は私にはなかなか理解できないのですが、学生から推測するに文語表現になれていないのではないかと思われました。体言止めをレポートで使用できるという点から、「文章」と「詩」の区別も怪しいという学生もおりました。
 こうしたことは、学生が「できない」とか「賢くない」という話ではありません。言葉は使用することや、読むことで獲得されていきます。なので、質の高い文章を読んでいないと、「読みやすい文」を知ることもできません。私のゼミ生は恐らく「読みやすい文」を多くは「知らない」のだと思います。しかし、読むことは本人がしない限り読めませんし、知ることもできません。なので、良い文章に触れる機会を増やし、自分が書いた文章も読み返して頂きたいと思います。


*****************************余談****************************
 私は最近、三島由紀夫の作品を読み返しました。
 学生のレポートに何と指導をしてあげたらよいのか悩んでいた時、(きれいな文章を読みたい!)という欲求が強くなり、三島の作品を読み返しました。そして、やはり三島の文章は美しかったのです。大学生の頃にも感じた「この人の見た目と思想と文章のギャップはなんだ!!!」という感覚も思い出しながら、やはり(きれい(な日本語)だな・・・)という思いでいっぱいになりました。この「文章の美しさ」を、もしかすると私のゼミ生は気づけないのかもしれないと思い、彼らの「読書」経験に意識が向いたのです。

 結局、三島を読みだしたら読書欲が強くなり、でも趣味の読書をする時間の余裕もないので日々ストレスがたまります。最近は短編ならばそこまで仕事の邪魔にはならないだろうと思い、『堤中納言物語』を古書店で買いました。これまた美しいです・・・。

 今年は突然web講義が増えましたね~・・・。

 通信教育課程では、以前から導入されていたので、作る側も受ける側にもある程度のノウハウはあるのでしょうか。

 

 今回は、そんな通信教育の中でもweb講義(双方向型)について書きたいと思います。

 まず、web講義には、教員が一方的に動画等を配信するオンデマンドと、教員と受講生が同時に通信ツールを使ってオンライン上で対話する双方向のものがあります。

 時間が許すのであれば、作る側としては断然双方向が楽ですニヤニヤ

 

 でも、この双方向は、受講生の数が少ない時の方が有効です。

 大学院の講義のように、基本ゼミナール形式の講義であれば迷わずこれを選択します。

 ゼミナール形式の良い所は、とにかく発言してコメントをもらったほうが(学費の)回収ができる!どうせ、お金はらってるのなら指摘をもらった方がお得です。普通、学部の講義ではゼミナール形式はとれません。でも、もし、通信教育で双方向があるのならば、絶対に質問はした方がお得です!

 

 (ちょっととんちんかんな発言かも・・・)とか(話の方向が違うかも・・・)とか、悩んで発言しないなんてもったいないです!なんでもいいから、喋りたいと思ったら発言しちゃいましょう!

 web講義でも、講義室での対面講義でもそうですが、基本的に(発言しにくい・・・)という空気は、教員も含めて受講生と共に共有してつくっている「雰囲気」によって作られてしまっています。大学教員の多くは、(学びは学生個々人がするもの)と思っているので、正直そこまで講義の雰囲気に気を向けている教員は少ないと思います。でも、私は、自分が真面目で堅苦しい雰囲気が苦手なので、とにかく「お願い!無言やめて!!笑っていいから!!みんなでこの空間の空気を楽にして!!私一人でこのテンションだと道化でしょ!」と言ってます(オンラインでもですww)。

 あと、通信教育だからこそ、受講生同士でチャットつかって色々やり取りするといいと思ってます。正直私もそこに入りたい!でも、教員が入ったら(うわ!先生きた!!)ってなると思うので、自重しています。同じ関心がある人と、ああでもない、こうでもないと語ることで知識も増えるし、考えかたも広がります。そして何より楽しいです!

 

 通信教育だからこそ、帰宅時間も終電も気にせずにできるので、ぜひみなさん積極的に色々参加してみてください!

 

 先日、担当学生から下記の質問がありました。

学生:「先生。どうやって勉強したらいいんですか?」

 他にも似たようなことを言ってくる学生はいます。「何したらいいんですか?」「どこ調べたらいいんですか?」「課題が多くて大変なんです。」などなど・・・・。
 
 個々人の状況は違うのでしょうが、概ね共通しているのは「自分で学ぶ方法をみつけられていない」ということがありそうでした。そして、covid19の流行によって、それまで「大学に来て椅子に座っていればよかった」ことが、「なんか知らんが動画を見せられて、毎週課題レポート書かされる!私、超大変!!」に変わったと思っているようです。

 いや、大学での学修って、高等学校までの学習とは違うから基本的に「大変」なんだよ?と思うけど、そんな「ひと昔前の大学生」の声は、現代の大学生にはなかなか伝わらないと理解しています。そこで、以下の方法を「試してみて」と言っています。

①講義または課題の重要ポイントを自分で書く

②提示された資料または文献を読む

基本的に、文字を追うだけで書かれている内容を「理解」することはできている気にはなるけど、たぶんできてはいない。でもそれは当然だと思ってくれ。

【ポイント】読みながらわからなかった用語や概念についてチェックする。

 私としては、基本的に「色」を使うのが嫌いなので(将来的に理解した後、その本が読みにくくなるから)、その用語等の意味を要約したものを記入した付箋を大量に貼っていきます。

③提示された文献に書かれていた概念で重要そうなものについて中心的に書かれている本を読む

【ポイント】わからない概念は1つではないのでそれをひたすら繰り返していく
       この時点で時間は相当かかる

④再度②の資料または文献を読む

⑤自分の考えをまとめる

 

これを科目分くりかえします。

かなり頭が色んな情報でいっぱいになるので、毎日とにかく本を読んでばかりです。

 

 上記が私のやり方ですが、現代で曲者なのが「インターネット」です。

 ネット上の情報は、一見「へ~そうゆうことなのね~」って納得させられちゃいそうなんです。概要をつかむために参考にするのはいいですが、それを信用するのは危険です。特にレポートなどの課題が課されている時は。

 なので、学生には「めんどくさくても”本”にあたる方が結果的にはよいことが沢山あるよ。」と伝えています。

 

 大学での学びは、「何かを理解できる(理解できた気になる)」という高校までの学習とは違います。

 どの学部であっても、基本的には知識を増やしていくということは必須ですが、知識を増やすことが目的ではありません。その増えた知識をもとに、各学生が何を考えられるかです。自然科学の研究も社会科学の研究も人文科学の研究も「知」を創るという点で共通なのです。自然科学の研究は、実験設備等にお金がかかるけれど、実験して測定して実証できるという点では、人文科学の研究よりも「目にみえる」からわかりやすいです。でも、人文科学や社会科学の一部の研究は論証という手法でアプローチします。これは、「目に形をあらわさない」ので読み手に知識や読解力がないと伝わらないので難しいです。結局、(文字)言語を用いて他者に説明するというのは、難しいんですよね。

 ここら辺は、いっそ専門家同士のほうが共通語を沢山持っているので話が楽です。でも、それじゃぁだめなんですよね。論文やレポートを書くときは、下記ては読み手とのズレを極力なくす努力と意識を持つことが大切です。

 あまりの・・・書類の多さと新年度担当講義の準備で忙殺されそうなisanaです。

 何度書いても思う!
 なんで我々だけこんなに審査がめんどうなんだよ!!!文科省め!!!
 学問の自由を保障してくれ!
 学術研究は中立だぞ!!!

 ってか・・・博士課程までいって、なんで研究者としての審査を受けなきゃならんのよ・・・。
 ってか、コロナのせいでここに来て今年の活字業績が少ない!(悔しい!)

 なんなんですかね~・・・・・。
 自分が大学生の頃と比べると、本当に大学の講義が授業化していると、教える側に来て思います。
 昔の教授たちが羨ましい・・・・。
 そして、自分で学べない子が「大学生」になってる割合の増加に、本当に色々考えてしまいます・・・。大衆化した教育の社会的価値はいったい何か・・・。社会要求に応えた、高等教育の機会拡充がもたらしたのは、モラトリアムの延長と社会と自身のつながりを利己的に捉える個の容認なのではないかと思ってしまいます・・・。

 と言いながらも、私はそれなりに「優しい先生」(評価は厳しいですけどね)なので、コロナの影響下での研究室運営と学生指導に色々工夫をしていきたいな~と思います。

 。


 

 お久しぶりです。isanaです。
 ようやく採点が終わりました・・・。約12%の学生が単位を落としています。
 しかし、(かなり甘めの)評価基準を定めてもこの程度落ちる子は、正直真面目に講義をうけてないと思います。

 今年度の講義は本当に今までとは違う大変さがありました。
 私の講義は、後期の方がコマ数が多く、1週間の受講生総数は約500人います。
  この数の・・・レポートが・・・毎週くる
ゲロー
  正直、本当に(読みたくない)って思う日もありました。でも、読まないわけにはいかない・・・。たまにいる「真面目に」「真剣に」教育学について考えてくれている学生からのコメントに心を清められながら。全く聞いていない学生のどーしょもないレポート(この言葉は私が大学生の頃にある教授がおっしゃいてものです)を読まされる苦痛。そしてそれを「採点」するのがまたwwww

 最終試験は普通の回答式にしましたが、当然!学生は「チームワーク」を駆使してみんなで一緒に解答をつくり、みんなで同じところを、同じ誤字で、同じように間違えたりしていました。
 何かの文献をコピペしたらしく一部字体が違ったりwww
 
 今年の経験を基にして、来年度はもう少し自動化を進めたいと思いました。
 いや、むしろzoomとかが普及したから、このブログをみてくださってる方とお茶会とかできちゃいそうですね♪
  してみたいような気もします!

 毎週500枚程の小レポートを読むのがしんどいisanaです。
 正直。「読んでも読んでも終わりがない・・・。」って思ってます。目を通すだけでも1日がとられるww
 でも、コロナのおかげでこのレポートを出させて「学習成果」を評価し、かつ出欠確認に代えているので、やるしかありません。

 さらに、私は学生の書いたコメントを次の回で使い。ある意味、質問に応える形で、前時の内容を掘り下げたり、本時の内容に引きつけたりということをして講義を構成するので、「絶対に全員のに目を通して、全体にフィードバックするコメントをピックアップする」という作業も必要です。
 こうした、講義の管理の他に、講義を作ることもしないといけないし。自分の研究もしないといけないし・・・論文の修正も(〆切までに)しないといけないし。あとは、刊行する書籍の執筆も(これまた〆切が)あるし・・・。で、そこそこ・・・・忙しいです。
 本日の睡眠時間は2時間半。

 で。学生からのコメントで以下のものが気になりました。
 ①「先生が大学時代にしておけばよかったことって何ですか?」

 ②「先生に学びたいという欲求はありますか?」

 学生はよくも悪くも素直です。賢い子やお利口な子は、講義に関連したことをコメントしてくれますが、そうではなく本当にただの興味や暇つぶしみたいな質問をしてくる子もいます。それも含めて、「私の講義」の印象を作っているんだろうし、大学の大講義であっても、やはり一人一人の学習者の投げかけには真摯に応じる姿勢が人として大事だと個人的おもっているので・・・応えます。
 でもさすがに、「みなさん、使用する単語を丁寧に選んでください。そして、自分が伝えたいことを表現するために、今の自分が考える最も適切な単語を選択してください。さらに、その単語を使って、伝えたいことが伝わるような文章を作ってください。」ということを、講義の冒頭で力説してしまいました(ここで15分つかってしまったwww)

 ①「先生が大学時代にしておけばよかったことって何ですか?」
  この質問は、大学時代にしてなくて、今になって(あ~やっとけばよかった~)ってことよね?
  この質問を見て、「大学時代にしたいけど、時間が無くてできなかったこと」はすぐに浮かんだんだけど、あれやっとけばな~と言えるだけの時間的・金銭的余裕は今振り返ってもないです。なので、端的にこの質問に応えると、「無いよ」ってのがお返事かな。
 でも、「大学時代にしたいけど、時間が無くてできなかったこと」は、「遊ぶこと」です。大学時代は受験生の時以上に勉強した。「大学生ってこんなに勉強しないといけないのか!!?受験勉強は今思うと楽なもんだな!!答えあるし!繰り返しやれば確実に点数とれるし!!大学の勉強果てしない!!!」って思いながら勉強して。あとは、学費免除生だったから成績も維持しないといけないし、生活費稼がないといけないからバイトもしないとだしで、勉強とバイトしかできなかったので、「遊べるなら遊びたかったな~」って思う。と答えたらなんか驚かれました。苦労人にあまりみえないんですって。(苦労人に見えるってどんなだよww)って思いましたが。

 

②「先生に学びたいという欲求はありますか?」

 この質問は、使ってる単語の意味が書いてくれた子を私で共有できていないので、的確には応えられません。まず、「学び」って何???なんとなく言葉使ってない??学びって、実践家さんもよく使うけど、学術的には定義を明確にしてくれないとわからないよ。ということで、「学び」が何かわからないので、その欲求があるか答えられませんが、「知りたい」という欲求だと解釈するならば「あります」よ。私は、大学を終えてから約10年は大学院生してますし、今もずっと研究をしています。この期間で知識は大学生の頃よりも増えたのに、驚くことに知識が増える以上の速さで疑問が増えますww私ってなにも知らないな。知識が足りないな。わかってないし、わかりたいなと思うから、色んなことを知りたいという欲求があります。むしろこれを書いてくれた子は、まぁ「学びたい」が「知りたい」という意味だとした場合に、知りたいと思う事柄がないのかな??これ書いた子は、「学び」というのがどうゆうものなのかを、単語で表せないならば文章でいいので補足してください。ちゃんと伝えたい、理解したと双方が思ったら、言語というツールの使用に伴うズレをすり合わせていかないといけません。これは、会話でもそうです。対して興味がない人とであったり、本気で伝えたい理解したいと思わない場合には、「OOなんだよね~」「わかる~」みたいに、微細な心情や事象の共有ができてなくて実は何もわからないやりとりなのに「なんだかわかりえた風の場面」があり触れます。でも、会話だって、本気で相手と分かり合いたいと思ったら、一見対立にもみえるすり合わせが起こらないなんてことは「他人」とのやりとりでは極めて起こりにくいんです。自分自身の感情すら、明確に言語化することが本当は困難なんですよ?

 みなさん。言葉を適当に使って本当は何もわかりあえてないのに「分かり合えた気になる」ことをせめて本当にわかり合いたいと思える間柄の人とだけでもいいので意識して改善してみてください。日本語同士だからこの「分かり合えた風」の場面があるけれど、正直レポート読んでても外人さんとお話しているに等しいくらい「分からない・・・・・なんだろ、この単語をどんな意味で使ったんだろう??文脈的にはこうゆう意味??いやいや、それじゃあ述語節との整合性がないな。この文はねじれてるけど、本意はどっちだろう・・・。」とか、私一生懸命考えて読んでますが、送り手の皆さんにはやはり言葉をツールとして使うことの意識を大学でのレポートということを加味しても強めていただきたい.。とお願いしてみました。

 

 そして、このブログを読んでくださっているみなさんは、今どんな目標をもっていらっしゃるのでしょう?
 日ごろ大学生と関わっていると、目標を自分で設定してそれに向かっていくことに慣れていない子が一定数います。現実に悲観したり、自分に不都合な事実に文句をいってみたり・・・でもそれが「自分に不都合なだけである」という点には意識が向かない子も多いです。正直、(大学生にもなって何故そんなに他人(親とか)に依存しているんだ???)と、自立を余儀なくされた私には疑問もありますが、それは私の環境がそうさせただけで、私と同世代の中でもそうゆう人はいたのだろうと思います。目標は、「持たなければいけないもの」ではありませんが、目標があることでそれを達成しようとする過程があることで、結果的に人生を振り返った時に目標がないよりはましだと、または納得できる人生にしてくれるのではないかと思います。
 
 学士を目指す理由は人それぞれだと思います。
 でも、その「先」をどう描くのかも合わせて、機会があればみなさんとお話してみたいなと思っています。

 zoomとか!?それならいいかな??
 顔出ししなくても話せるし!!?
 やってみたい方いますか???
ニヤニヤ
 

 そうそう。忙しくて(今も論文の修正中(〆切2日前)で)ブログに書き忘れてました。
 春から別居しまっす
ニヒヒ
 

 もうね~・・・。疲れちゃったよ。

 旦那さんとは1日30分くらいしか顔合わさない日々がこの数ヶ月だったんですけどね。
 私は良くも悪くも、在宅勤務が多くなり、とはいえ講義作ったり論文書いたりって正直子どもと同じ空間じゃできないな・・・と気づかされました。


 叫び吠えて「がお~!!!!」「あいや~!!!」という片言で私を悪役に見立ててレンジャーごっこをする息子(2歳)。
 教育学者の端くれとしては、(あぁ・・・君は発語もままならないのにもう見立て遊びができるんだね~。すごいね~。そろそろ2語文話してもいいんだよ?あ~、でも発語の必要性を感じてないんだね~。うんうん。言っている意味は分かっているようだから、単に発語する気持ちがないのか~www)て思うけど。個人としては(論文かいてるんだよ!頼むから静かにしてくれ!!!ってか、そのキックやパンチ痛いから!!!!)って思ってます。

 また、娘(身障手帳1級内部障害)は、学校か帰宅すると「みてみてみて~」「ねぇねぇねぇ」「宿題やったよ~」「あのねあのね」と、もうラジオかよ!!!ってくらい喋ります。(この子も発語が遅くて、3歳過ぎるまでほとんどしゃべらなかったけど、ある日突然ラジオのようになったので、息子の発語も個人的には気になってませんニヤニヤ)笑いすぎでチアノーゼ起こしてたりして「面白いのはわかったから、ちょっと落ち着いて!!!」などなど言いながらとにかく子供ジャングルって感じです。

 

 そして迫ってくる締め切りを前に、イライラがたまる!
 それでも、子供にはあたりたくないし、子供がいる時に論文書こうとするから苛立つのだと割り切り、もう子供の目が開いてる時間は家事と育児と講義に対する学生対応しかしない!論文や講義準備は子どもが寝てからする!ということにしています。

 がぁ!!!!
 旦那だよ!!!!
 なんであなただけ働き放題なんだよ!!!!!こっちも仕事してんだよ!!!なんで、私だけが仕事犠牲にしてんだよ!!!
 と思うんですよ。でもね。「患者がくるんだからしからないだろ。それに、他の先生でやれることとやれないことがあるし。若いのは使えないし。」って・・・・。仕事が好きなのは知ってるよ。やりがい感じてんのも知ってるよ。でもさ。私の仕事ができないんだけど・・・・。
 と、思いながらの完全ワンオペ育児と仕事と家事。

 これきっついですね~。気が狂うかと思った。いや、半分狂ってたよ。腹立つのは、30分顔合わせた時に、「なんでぶすったれてんの?」って言われたこと。(あなたは子どもの世話しないで仕事いって帰ってくるだけだもんね~・・・・。子どもの叫び声やエンドレスおもちゃ片付けと食器洗いと家事育児しながらの執筆がどんだけ苦痛か知らないだろ!?)と思いながら、もはや絶句でした。
 私だって、家事育児なしで仕事だけしてろって言われたらやれるよ。でも、子供という不確定要素しかない他の個体との時間は本当にストレス!しかも作業じゃなくて思考する仕事の私には本当に苦痛!!!
 どうせ子どもが目を開けてる時間には帰ってこない旦那なら、もういないのと同じじゃん?給料持ってきて生活させてやってると万が一言われても(これは言わない人です)、私の給料でも食べてはいける。
 というわけで、久々に「ちょっと話がある」と私から声をかけ、24時に帰宅した旦那さんに一言。
私「別居してください。」
旦那「・・・・・なんで?」
私「別に仕事好きなあなたを責める気ももうない。好きに仕事していいと思う。でも、私の仕事もこれ以上犠牲にできない。文系博士は純理系みたいに簡単に博士号くるわけじゃないのに、就職はない。正直生き残るだけでも厳しい業界なの。そこで、ここまでやってきているキャリアを捨てることはできない。とはいえ、研究業績がなければ切られてしまう。自分だけが犠牲になってるとか、子供個人が悪いとか思いたくないから、そんな気になる前にこの環境から離脱させてください。これが、別居に伴う生活費の概算予測と損失及び利益の予想です。」と試算も提出。

旦那「つまり、環境が欲しいってことか・・・。いいんじゃない?」
とあっさり許可wwww

 

 気持ちが晴れ晴れしましたよ~。

 
 年度内のあとのノルマは、この目前の論文と本の執筆締め切りと学会発表1本です。これらを越えれば、あとは来年度のシラバス作成等々講義の業務。
 
 いや~よかった。耐えなきゃと思うときついけど、離脱すると思うと「あと少しならやろ~」って思えるから不思議ですね。
 さすがに何か感じたのか、「俺にできることがあれば言って。とはいえ、子供が起きてる時間にはいないから、食器洗いとか洗濯物とか・・・残しとけばやるから」と言われたけど、「あ。もう何も期待してないからいいです
真顔。食器も食洗器買うので解決します。お金で解決できることはもうお金で解決しますから。」で終わりです。
 
 「文系の研究って、役に立たないよね?w」と言った人に、文系博士の苦労はわかるとも思えません。ほんとに、我々生き残り厳しいんです。
 「世捨て人になる覚悟」で博士課程に進みます。特段資格があるわけでもない。まして旧帝大だとがっつり研究者養成なので、ほんとに実社会での就職とは縁がなくなっていきます。高学歴貧乏精算所みたいになりますww
 博士課程あるあるだと、失踪や消息不明。男も女もたいていが紐生活です。親に寄生できる人はまだよくて、男でも彼女に寄生してたりします(看護師さん人気です)。または私の様に1960年代の大学生と同じような生活をして苦学生するパターンもあります。いずれにせよ、見えない博士号に向かってうんちくを垂れる日々が10年以上来ますwww


 そして、しぶとく生き残った中の一部がなんとか食べていけてるというものでしてね・・・・。ここまで来た以上、いまさらキャリア捨てるなんてできないわ。それも、旦那だけは好きなだけ働けてるというのをみせつけられるのもたまらん!

 今は新居探しやらでけっこうウキウキです♪

 気づけば相当ぶりの更新です。
 みなさま如何お過ごしでしょうか。

 タイトルの通りですが・・・covid19が流行してから、ほとんどの大学では講義が「遠隔授業」という名でwebを使って行われています。
 私の講義も例にもれずそうです。
 が!

 問題はこのシステムです。
 大学によって使っているシステムが違います。おかげで、色んな媒体での講義づくりや学生対応があってこちらも慣れるまできついです。
 そんな中、後期になってシステムを変えたぞ!という大学もちらほらあります。まぁ、ソフトウェアの導入に下手したら1億円近いお金が動くので、簡単に「導入します」とは言えないのでしょうが(そもそも経営が厳しい大学では難しいだろうし、かといって学費値上げるのも非現実的ですしね。)、そこらへんは経営者の判断ですよね。
 我々教員は、与えられた環境の中でできることをするのみ。なのですが。。。。。驚くのは学生の反応です・・・・。

 私の講義は1コマ100名以上の受講生がいるので、基本的に3密回避ができません。
 とはいえ、じゃぁ受講人数を減らしてというと、コマ数が増えるので他の講義との兼ね合いを考えるとできません(学生が他の講義うけられなくなる可能性が生まれてしまうからです)。なので、webで双方向をしてみたり、動画配信をしてみたりとやってるんですが・・・・。
 もう、講義日は10時間程度学生からのチャットと通話対応www
「先生~課題提出がクリックできません!」
「先生の声が聞こえません」
「なんか、動画が止まります」
「出席登録のやり方を動画にして下さい」
と・・・、大半がシステムや操作の内容で・・・。
私「システムの利用マニュアルを読んでください」
私「動画の容量は可能な限り小さくしていますが、お使いの通信環境がわかりません。」
私「タスクマネージャーを開いて、不要な作業をPCにさせてないか確認してください」
私「PCのCPUを見てください」
と言ってますけど・・・・。
 
 チャットもなる続けるのに、電話までくる!!!!
「せんせ~。あの~。課題だせなかったんですけど、どうしてくれますか?」とかww

 私が大学生の頃、教員に電話とか、仮に番号公開されててもできないわwwwと思うけど、今の子はできちゃいますww
 というわけで、遠隔講義は本当に大変です。

 でも、対面講義でも私が喋っているだけなので、機能としては動画配信と変わらないんですけどね。なんだろ、学生の気分の違いかな~。

お久しぶりです~。みなさんお元気ですか?
自粛生活もけっこう経ったでしょうか?地域によると思いますが、出来るだけ楽しく過ごしていきましょうね~♪

さてさて、大学にも自粛規制がかかり「教職員らは研究の性質上(大学に)来ざるを得ないこともあるでしょうが云々」と、ついに大学にも働き方改革か!!?という雰囲気は味わっていますww

が、我々研究者は元来けっこうヲタク気質な人が多いので、「外にでるな」とか「人との接触を避けろ」というのは、私の周辺では「苦痛!!」という人はいません(^^;)

人との接触云々よりも・・・「学会どうなんの??」「査読遅れてるなぁ(=複数の学会に投稿した論文の修正が一気にきたらどうしよう・・・)」やなどが心配・・・・。
あと仕事に関しては、covid19の影響を受けて教育実習どうなるんだろうなぁ・・・とか。教員採用試験どうなるのかなぁとか・・・。新規採用なしはありえないだろうから、各自治体がどう動くのかなとか・・・。

実害としては、調査に行けないとかかなぁ・・・。
でも、ICT教育とかの分野での研究が一気に加速すると思うので、そっち方面の何かをやっておく必要がありそうだなと・・・。ネタ探し中です(・人・ )

医療系は・・・大変ですよね。
我が家の長に、当初「自粛らしいよ。」と言ったら、「俺らが自粛したら終わりだねぇ。通常勤務だよ」と即答されました。親友にも「この状況の中でも育休復帰するの?」と心配で声をかけたら、「いや、すでに他のDrみんな働いてるからね(^^;)」と言われました・・・・(・x・ )
他の開業した友人に「さすがに診療自粛?」と聞いたら、「してないよ~。もう診療科問わず感染する覚悟。マスク嫌いなんだよね~。」と・・・・。
待て待て。最前線で君ら働くことにどうしてすでに「覚悟」できちゃってるんだよ(0□0 )
みんな「感染するリスクは覚悟している。」って・・・・!!!

旦那さんに至っては、「まぁ、状況みて必要そうなら(子どもへの感染を避けるために)俺は帰宅しない」と・・・・。
そう、我が家にはハイリスク児がいるのです・・・・。この子の体じゃ耐えられない可能性が高い・・・。
リスクは最小限にしたい。
それは、疾患を問わず基礎疾患をお持ちの家族がいる方みなさんが思っていることと思います。
とにかく、(ハイリスクな家族を守ることが)できるかどうかが不安。
私も非常勤先を含めて複数の大学に講義にいっていたし、私の講義は受講者が100名以上の講義が多いので、リスクもそれなりにあります。だから、大学が自粛になったのは我が家にとっては助かりました。
でも、旦那さんがね・・・・。仕事柄絶対に患者さんとの接触を避けられないし、減らせない・・・。

とにかくこの状況でも危機感の乏しい一部の方々には公衆衛生の重要性、というか、公衆衛生って「国がなんとかする」とかいや、国がなんとかできるというものではなくて、「個人」の行動にかかっているということをもっと考えてほしい・・・・。
「若いから大丈夫かな~」とか「飲みにきました~」とかそうじゃなくてさ!
そう言ってる人が、感染して重症化したら「なんで助けてくれないんだ」とか「生活費補助すべきだ」とか言い出す可能性があると思うと・・・・もうね・・・。別に忙しくなっても診療点数加算されないし。
国民皆保険制度だからって医療資源を使わなければならない状況を自ら作ってその言い分かよ!!!っておばちゃん思っちゃうじゃん!!!
だからみんな気を付けて籠ろうねって思ってます。一生家から出るなっていわれてるわけじゃないし、今お出かけしてその後取り返しがつかなくなるかもということを、天秤に何が乗ってるかを一人一人が考える必要があると思っています。

親御さんの中には「勉強が遅れる」とか学習面の心配をしていらっしゃる方がいるのも理解できますが、ここでも天秤に何が乗ってるかだと思います。
学習って、やろうと思えばご家庭でもできます。ただそれを外部に依存していた度合いには差があると思いますが、「塾に行かないと」「学校がないと」破壊的に壊滅的にできないことではない。工夫は必要だと思います。でも、どうか今一度、家庭教育の在り方を考えてみてください。よくできることが必ずあるはずです。