熊の会 熊野詣 ~Episode 15~

 

こんにちは!
こちらのブログでは“熊の会”3人による熊野詣記録をご紹介しています!今回は第15回目、「エピソード15」をお届けします。2023年11月に大阪天満橋の八軒屋浜をスタートした熊野詣紀州路〜中辺路、今回エピソード15が最終回となります!2泊3日で熊野三山を参詣しました!

<<一日目>>
今回は車を利用。筆者の自家用車でメンバーを乗せ、熊野本宮大社駐車場へ向かいます。田辺から国道311号線を富田川沿いに進むと、右手に大きなだるま像が。世界平和を祈願する高さ5mもの白いダルマ坐像が門前に鎮座。「だるま寺」の異名をとる臨済宗妙心寺派の古刹です。


昼食は道の駅熊野古道中辺路で。今後の栄養補給用に販売していた草餅をメンバーのお二人は購入していました。

熊野本宮大社の駐車場に到着。天候は雨。13時46発の龍神バスで発心門王子バス停まで行った所からスタートです。



■第91番 水呑王子(みずのみおうじ)
車道からそれて右手の舗装路を進みます。途中、木彫りの八咫烏がルートを示してくれていました。しばらく進むと左手に水呑王子がありました。1109年の「中右記」には、次に「内水飲王子」に参り貨幣を奉納したと書かれていることから、この時代に建立された王子と考えられています。「水のみ」とは要所を越えた後の一種の「禊(みぞぎ)の儀式」であり、王子社の名前の起こりになったのではと書かれています。



■第92番 伏拝王子(ふしおがみおうじ)
山道と舗装路を2kmほど進んだ所に伏拝茶屋が。喫茶メニューが書かれていたので、週末には店が開くのでしょうか。茶屋の前の20段ほどの石段を昇った所に伏拝王子跡が。この王子が登場するのは1722年の「熊野道中記」かららしいですが、それ以前からも様々な記述があります。ここではじめて熊野本宮大社の旧社地である大斎原(おおゆのはら)を眺めるこたができ、感激で誰しもが伏し拝んだという事から、この地名がついたと言われています。下の写真から見えるでしょうか!



●三軒茶屋跡と九鬼ケ口関所(さんげんぢゃやあととくきがくちせきしょ)
ゆるやかな坂を下ってゆくと少し広い所に。今は休憩所となっている三軒茶屋跡、そして木製のゲートがあり、九鬼ケ口関所の木札が掲げられていました。この地は中辺路と、高野山と熊野を結ぶ熊野古道小辺路の分岐点にあり、名のとおりかつて三軒の茶屋があって賑わっていたといいます。関所を通るには江戸時代で十文(今の価値だと200円くらい)を払い、通行手形を受け取って通過したそうです。


■第93番祓戸王子(はらえどおうじ)
緩やかな下り坂の山道を30分ほど進むと舗装路にでました。その先右手に祓戸王子がありました。「祓殿」ともいうと書かれています。熊野本宮大社は、もう目の前で、旅人はこの王子社で旅の汚れを祓い清めた場所です。わたしたちも、大阪を出発して20日目、そして断続的に降る雨の中、本宮大社を目前に、胸が熱くなってきました。


★熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
熊野古道中辺路は、遂に熊野本宮大社に到着。八咫烏の舞い降りた蘇りの聖地。高野山からの小辺路と合流し、裏鳥居から御社殿へ。宮司さんのご説明文では、極楽浄土の地である熊野へ参拝することは即ち蘇り・再生を意味し、さらには熊野三山がそれぞれお祀りしている本地仏、速玉大社は薬師如来のお力で前世の救済を、那智大社は千手観音のお力で現世の利益を、そして本宮大社は阿弥陀如来のお力により来世の加護を頂く事ができると伝えられ、この神と仏の一体感こそが熊野信仰の神髄であり、平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されましたと書かれています。熊野本宮大社は過去「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」と称され、大斎原の地に造られましたが、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみお祀りすることとなりました。



本宮大社をお参りした感激を胸に、車に乗り込み。熊野川沿いの国道311号線から168号線を通り、新宮へ。途中の瀞峡の景色は車窓からでしたがとても雄大できれいでした。そして今回の2泊の宿「ステーションホテル新宮」に到着しました。
シャワーを浴び、濡れた服を着替えて新宮の町へ。今日の打上げはリーダーが新宮で勤務していた頃によく行ったという「是空」という居酒屋へ。コンクリート打ちっぱなしのモダンな建物で、「新宮らしくない」という筆者の感想(笑)。料理、お酒は美味しくいただきました!


<<二日目>>
熊野本宮大社への参詣をすませ、熊野三山巡りは次なる熊野那智大社を目指します。本宮大社からの古道歩きは小雲取越から大雲取越を経て那智山に向かうのですが、この暑い時期に800m級の山を越えてゆくのは危険!という理由から、新宮から那智山までバスで行き、そこから山を下って新宮の熊野速玉大社を目指すルートを選択。と言う訳で、この日は南海バスで新宮から那智駅、更に乗換えて那智山へ。

★熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
熊野那智大社は熊野三山の一社として全国5000社余の熊野神社の総本社。社殿は朱塗の切妻妻入(きりづまつまいり:屋根の形状を示す)の熊野造り、権現造りをよく伝える華麗な社であると、手元資料に書かれています。御祭神「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」の御神徳により古くより「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけではなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められています。当社は神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)の御東征を起源としています。西暦紀元前662年、神日本磐余彦命の一行は丹敷浦(にしきうら 現在の那智の浜)に上陸されました。一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴神(おおなむちのかみ)現れたる御神体としてお祀りされたと記されています。


●那智の滝・飛瀧神社(なちのおおたき・ひたきじんじゃ)
熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の御神体として崇められている那智の滝。「一の瀧」とも呼ばれ、上流にある「二の瀧」「三の瀧」と合わせて「那智大滝」と称されています。那智の奥、大雲取連山から流れる水が重なり合い、いくつもの滝が点在。その中で最も大きな「一の滝」と呼ばれているのが那智の滝です。この日は雨あがりで水量多く、大迫力でした!



●青岸渡寺(せいがんとじ)
西国三十三所観音霊場の1番札所。仁徳天皇の頃、裸行上人(らぎょうしょうにん)の開祖といわれています。境内は、那智高原の原生林を背景に、熊野那智大社と隣接し、落差日本一の那智の大滝とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録されています。筆者は、三十三所巡りニ巡目の御朱印帳を購入しました!


●大門坂(だいもんざか)

熊野古道を象徴する大門坂。太い老杉の並木と苔に覆われた石畳の、何ともいえない幻想的な道です。那智山バス停横から案内に従い下って行きます。坂の終わり付近には樹齢600年の夫婦杉がそびえていました。大門坂駐車場に車を止め、坂を昇って那智大社を目指す人も多くいらっしゃいます。



■第98番王子 多富気王子(たふけおうじ)
大門坂夫婦杉のすぐ上にある王子で、九十九王子の最後の一社であると現地の案内には書かれていました。江戸時代には社殿があったと伝えられていますが、1877年(明治10年)に熊野那智大社の摂社のひとつ児宮として境内に移され、跡地には石碑と庚申塚のみが残されています。


■第97番王子 市野々王子(いちののおうじ)
那智の滝から流れ出る那智川沿いを進むと、熊野九十九王子の最後から2番目とされる市野々王子がありました。那智参詣の人を相手にした「市」が立ったことから、この名がついたといわれています。元からここにあったという説と、約100m北にある「お杉社」のところにあったという説もあります。

●尼将軍供養塔(あましょうぐんくようとう)
古道ルートは海の方向へ下ってゆくのですが、まだ難関が残っていました。道を進むと左手に「尼将軍参道碑入口」と書かれた石碑が建っており、左に折れます。舗装路の坂道を昇り、案内に従って石畳の山道に入った先の開けた所に尼将軍供養塔がありました。尼将軍とは、源頼朝の室、平の政子で、頼朝夫妻は熊野信仰があつく、那智山の社寺の建立もしていると現地案内板に記されていました。


●補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
山道を下ってゆきます。雨あがりで、所々山道が川のように水が流れるところも。そして更に進むとようやく県道に出ました。那智駅方向へ歩いてゆくと左手に補陀洛山寺が見えてきました。お寺の境内横に那智参詣曼荼羅をもとに復元したという補陀洛渡海船が。補陀洛渡海は慈悲の仏である観音菩薩が住まう南方の浄土「補陀落」にたどり着くことを祈願して行われた一種の修行でした。しかし、最後の数回は僧侶が亡くなってから遺体を船に乗せる形で行われたとか、密閉された船室は窓もなく、外から釘でふさがれ、わずかな食料と水で僧侶が死の直前まで経を唱え観音菩薩に祈り続けていたとか、何やら穏やかではない説明が書かれていました。



■第96番王子 浜の宮王子(はまのみやおうじ)
補陀洛山寺のすぐ横が浜の宮王子。熊野三所大神社にあります。前述の補陀落山寺は、本来はこの王子社と一体のものであったと記されていました。白砂の補陀落浜からこの王子社に参拝した藤原忠宗は、南の海に向かう地形がたいへんすばらしいと「右中記」に記しています。


ここでランチタイムに。少し歩いたところにあった
「ビストロ・ボヌール」というお店に入りました。定番メニューのワンプレートランチをいただき、残りの道のりへの英気を養いました。


■第95番王子 佐野王子(さのおうじ)
この先は国道42号線を新宮に向けて進んで行きます。大狗子峠(おおぐしとうげ)、
小狗子峠(こぐしとうげ)を越えるところは、国道はトンネルで古道ルートは山越えのルートであると手元の地図に書かれていましたが、リーダーの英断により、体力温存のためトンネル内の歩道を進みました。そして更に30分ほど歩いたところに佐野王子がありました。後鳥羽上皇の夫人、修明門院(しゅうめいもんいん)が熊野参詣した際、ここで昼休みをしたと記載されているとのこと。熊野参詣の折は、佐野の浜で拾った小石を衣の袖に入れ、熊野那智大社に奉納する習慣があったとも記されていました。


佐野王子から少し先に、広大な駐車場のあるSUPER CENTER OKUWAが。
新宮でのお仕事経験のあるリーダーの話しによると「新宮の人はみんなここへ買い物にくるので、よく知り合いに会った」と。わたしたちも立ち寄り、フードコートでかき氷やみたらし団子をいただきました。


再び歩きはじめた所で、リーダーの声が。右手の海岸線に近い所にある建物がリーダーが4年間お仕事をした会社。懐かしく当時を思い浮かべられていました!

●高野坂(こうやざか)
更に東に向かって進んで行きます。右手にある黒潮公園を過ぎたあたりから、古道は国道を離れ、三輪崎(みわさき)の住宅街を通ります。そしてその先に控えていたのが高野坂。登り口の案内にしたがい、畑の間から山道に入ってゆきました。通り抜けるのに30分ほどの道ですが、ここまで20km歩いてきた足には、なかなかきつい坂道。途中、石で組まれた五輪塔があり、その先には海岸線の眺望が開けるところもありました。


■第94番王子 浜王子(はまおうじ)
高野坂を越え、海沿いを走る県道231号を行きます。車道も歩道の広く、景色も良いのですが、長く続く直線道路は、体力と気力を吸い取られる感じでした。そして案内に従い右に折れた所に浜王子がありました。浜王子社の祭神は、神武天皇の2人の兄、稲飯命(いないのみこと)と三毛入野命(みけいりのみこと)とされ、古くは海神(かいしん)を祀る海辺の社であったと思われると記されていました。明治時代に王子神社となり、境内が78坪あったらしいですが、その後の神社合祀で阿須賀神社(あすかじんじゃ)に合祀されました。


今日の道のりはここまで。朝に那智山を訪ね、那智川沿いを下り、海沿いの道を歩き続けて、なんと29km。一日の歩行距離としてはこれまでの中で最も長くなり、足腰の疲労もピークに達していました。
ステーションホテル新宮で汗を流したあと、お楽しみの打上げへ。前日に電話予約した「和食割烹 きのした」へ。新鮮な海鮮ものなどを美味しくいただきました!


<<三日目>>
いよいよ中辺路ルートのグランドフィナーレ!これまでずっと歩いて山を越え川を越えと進んできましたが、最終日は車を利用。2泊の宿泊をさせていただいた新宮ステーションホテルをチェックアウトし出発しました。

■阿須賀王子(あすかおうじ)
ホテルからほど近い所にある阿須賀神社。こちらに阿須賀王子跡の碑がありました。
阿須賀神社は、熊野川河口付近の南岸、蓬莱山の麓に鎮座する古社で、ホームページには「社伝によれば紀元前423年の孝昭天皇の代に創建された」と書かれています。秦の始皇帝の命を受け渡来した徐福にもゆかりが深く、徐福一行が上陸したのが阿須賀神社の建立地と伝えられています。境内から弥生時代の竪穴式住居が出土しているとか。そして、平成28年(2016年)に世界遺産に追加登録されています。


★熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
阿須賀神社から熊野川上流方向へ。1.5kmほどの所に熊野速玉大社がありました。神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神。鮮やかな朱塗りの神殿と境内にそびえる天然記念物に指定された樹齢1000年のナギの巨木が印象的でした。



熊野速玉大社への参詣を終え、熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成する大社全てを巡ったことになります。熊野古道は、川や滝、巨岩には神が宿っていると言われ、自然崇拝を起源としていることから「よみがえりの地」とも呼ばれています。私たち3人の心も身体も、おおいに蘇り、若々しくなりました!

●大斎原(おおゆのはら)
その後、車で今一度熊野本宮大社へ。三山を無事巡れたことのお礼を述べ、明治22年の大水害で流されるまで社殿が建っていた旧社地、大斎原へ。日本一の高さを誇る大鳥居。その奥には2基の石祠が建っており、左側が中四社下四社、右側が境内摂末社の御神霊が祀られています。近年はパワースポットとして、訪れる人も多いようです。


そういうことで、今回の熊の会 熊野古道、中辺路ルートについては完結です。また次なる聖地巡礼に向け、体力と教養を高めることを意識して、これからの日々を過ごしてゆきたいと思っています。つたない文章のブログを読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

※このブログでは、王子に手元資料にある番号を付与していましたが、現地の案内や、熊野トラベルの冊子には番号は記載されていません。そして、最後に訪問した阿須賀王子は、番号付与の序列が難しく付与していません。また、湯峰王子については、今回訪問できませんでした。またの機会に訪ねたいと思います。