仕事のストレスで調子を崩して、月日が経った。福祉施設など、お世話にはなったが、もう具合の悪い話から、離れたい。誰がどうのこうの、細かいことではなく、もといた場所へ戻りたい。かと言って、すぐに仕事まで始めようとすると、ブレーキがかかる。まずは、習い事、趣味の集まり、ボランティア、などが浮かんだ。悪口ではないが、一口に具合の悪い話と言っても、いろいろある。聞き流すのは得意だが、限度を感じる。セコイ話、普通なら人前でしない話、気持ちの悪いこと、のオンパレードである。
セコイと言えば、10円、20円をケチル、ごまかす、自転車の処分のことを聞けば、駐車違反をわざとして、持っていってもらうのがいいだの、そういう自転車は安く売ってるだの、そんな買い方したくない!新聞を読むと珍しがられるのも、おかしくはないか?当たり前ではないのか?読まないなら、それに見合う情報源を持つならいい。何もないのである。世界記憶遺産になり、聖書に次ぐベストセラーの「アンネの日記」でさえ、「イメージも沸かない」と一斉に言われ、唖然。何が普通なんだ?と混乱の私。
普通、人前でしない話となると、ここへ書くのも憚られる。女の子を持つ母親が、娘の体の成長を事細かに話すものだろうか。聞いているほうが、恥ずかしくなる。女性の口から、体のことや、夫婦生活のことまで、あけすけに話すのを聞くのは、男性よりも慎みがなくて不快だ。その手の話になると、私は音楽を聴くふりをして、ヘッドホンで耳を塞ぐ。気持ちの悪いこともそうだ。人の口は塞げないから、自分の耳を塞ぐしかない。
元気なころにいた場所が恋しい。常識が常識として通用する場所が。それでもいろいろな人はいた。しかし、朱に交われば赤くなるのである。いつしか普通になってしまうのが怖い。違和感を感じるうちに、離れたい。去年から実家を出て、一人暮らしを始めて、家事に慣れ、自信がついてくると、なお違和感は強くなる。
自分はプライドが高すぎるのか?まるで男性のように。いや、違う。人と競ったり、見識をふりかざすようなプライドではない。ストレスからくる貧血状態が治り、もとの自分に戻ってきたのだ。若いうちは仕事をして、税金を払って暮らしたい、もらって暮らすのではなく、好きなことはやりたい、いろいろな本を読みたい、新聞は基本。当たり前だが、いろいろ出てる。大人の社会科のようだ。この意識は普通ではないか?自ら進んで、障害者になれと言うのか?もとのように元気になりたいと思うのは当然だ。むしろ、思わないほうが、不思議だ。具合の悪いままでいい、今更元気になると、今の特典がなくなる、これからでは就職できないなどと聞いたときは、椅子からずり落ちそうになった。
私の受けた治療は正直言ってマイナーだ。ほとんど知られていない。病院側の人は民間療法と言って、一笑に付す。興味がなければ、それで結構。しかし、人間である以上、誰でも具合を悪くする可能性はある。他人事のうちは、なんだかんだ言っていられるが、いざ自分の身になったら、何十年も医者通いをし、平気で障害者と呼ばれることができるのか?それも精神の。ただ、調子を崩しただけで。全く普通だった人が。私はこの治療を仕事にして、具合の悪い人を一人でも救いたいと思っていたが、治りたいと思わなければ、話にならない。自分のように、元気になれるなら、土だって食べると言って、床を叩いて泣いた、執念のような思いがある人でないと、医者に反発してまで、変わった治療は続けられない。
自由だ、あくまでも人の自由だ。何を話そうが、何を読まなかろうが、生きていける。悪いことさえしなければいい。人の生き方に口を出す気はないが、私らしさまで失いたくない。健康な人たちとも関わりたい。しれができない私ではないからだ。求めればいろんな場所がある。黙って閉じこもっているより、一歩でも外へ出て、探そう。
