薬局店頭でシャンプーを物色中、声をかけられる。
彼女たちには、伝え広めなければならないことがあったようだ。理由は分からない。
神の言葉を記録した「聖なる書」。それを読み、信じ、生きる支えにしている人は多い。
どのように読み、どのように信じているのか。
神という一点のみを見つめるが故に、見えないこと。神のみを見つ続けてこそ、見えること。

「人間」を見つめ、その中に可能性を見いだす。
例えばルネサンスの時代において。人間の才能・可能性が花開いた。現世・個性・感性への積極的な肯定という思想。当時のキリスト教側の考えとは、相容れないものであったろう。

では、自分が信じるものは何か。思いがけず考えさせられた。
自分が信じること。
「自分は存在していると、思っている自分」
「自分以外の人の存在」
これのみである。
とても愚かな考えかもしれない。しかし、現世に生きていれば、切なく、哀しく、痛く、鋭く、眠く、嬉しく、快く、歯痒く、汚く、怠く、香ばしく、美味しく、悔しく、卑しく、恥ずかしく、厳しく、清々しく、凛々しく、面白く、禍々しく、愛しい。
こんなに感じる世界を信じないなんて、出来ない。この世界が嘘であったとしても、虚構であったとしても、いや、嘘でも虚構でもない。
この世界は、間違いなく「この世界」だ。