訴訟提起から3ヶ月弱が経過した2021年11月上旬、病院のエレベーター内で偶然医療安全推進室の責任者と訴訟提起後初めてお会いしました。挨拶を交わした後、「本当は裁判にしたくなかったのですが・・」とお伝えしたところ、「医療安全推進室としては出来る限りの努力をしたつもりですが、〇〇さん(私)にはご満足いただけなかったようですね。〇〇先生(科長)がもっと早くに〇〇先生(過失医)を切っていたらこんなことにはならなかったと思います。私たちも残念です」と仰いました。
母の医療事故については、2020年4月中旬の医療安全推進室との面談時、「手術室から電話があったので把握していた」とのことでしたが、7月下旬の医療課長(当時)を含む面談時には「すぐに(報告が)上がってきたわけではないので、後になってわかって、これは問題だってわかった時にはもう多分数日経っていた」「私たちも驚く事しかできないような状況だったので」という説明に変わっていました。
2020年12月中旬の〇〇医師(科長)を含む医療安全推進室の責任者との面談では、「〇〇先生(過失医)って大根切るくらいにしか思ってないんじゃないの?メス入れるってすごいことですよ。これ、同意がなかったら殺人行為と一緒なんだから」「殺傷心理みたいなのがあるんですよ」「手術しか興味なさそう」「切りたいマニア」「手術が終わると急速に興味を失うところが僕には確かにありますって(本人が)言った」等とお聞きしました。〇〇医師(過失医)の処分については「公務員は守られているから処分できない」という回答でした。
2022年8月19日付けで日本脳神経外科学会から専門医訓練施設の認定を停止された理由は「医療安全管理体制など医療安全教育上の懸念事項がある」というものでした。もちろん脳神経外科の〇〇医師(科長)にも責任はあると思いますが、そもそも医療安全推進室が正常に機能していれば、母の医療過誤を含む多くの医療事故を未然に防ぐことができたのではないでしょうか。
赤穂民報2022年09月03日付記事
神戸新聞NEXT2022年10月29日付記事
医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤