私の人生

私の人生

「人生はなるようにしかならない」
・卵巣癌(明細胞1C3) 経過観察中 ・腰部脊柱管狭窄症(L4L5)すべり症 ・結節性痒疹〖旦那〗 ・先天性四肢障害〖息子〗 ・日々の暮らしの事
幸せはいつも自分の心が決める by みつを

2006年2月2日(木)


MU524
13:50 成田

16:00 上海浦東

20年前の今日は

上海生活の始まりの日

 


浦東空港の春節の飾りの前で


2005年7月3日
先に旦那が上海へ


最初は単身赴任ってことだったみたい
でも、旦那は中国語わからないし
一番かわいい時期の息子と一緒にいられない事
私が中国で暮らしてみたかった事もあり
会社にお願いして

家族帯同で転勤できることになった



【20年前の浦東】

2005年8月



2005年10月


1994年11月 上海東方明珠電視塔
1998年 8月 金茂大厦

上海に行った当時
大きな建物はこの二つ

2008年  8月  上海环球金融中心
通称「栓抜きビル」
住んでいる途中で出来た


【上海生活】

 

もともと中国語に興味のあった私
基本的には楽しく生活していた

語学学校も通った
大学でやっている語学学校にも行った
マッサージもたくさん行った
これがけっこう会話練習になった
でも、帰国しちゃうと全然話さないからね
わからなくなっちゃう

外食や買い物は日系のとこ
一応、安全第一ニヤリ

お友達とのお出かけや
子供たちが帰ってくるまでの間
お友達の家でのおしゃべり
楽しかったな~ラブラブ


息子は
日系幼稚園に3年2ヶ月
日本人学校に1年

マンモス校だった
行事などは日本の学校と同じ
中国語の授業があった


あの頃は日本人がたくさんいて
あちこちで日本語が聞こえてた
そんなに違和感なく暮らせてたな~

今は日本に住んでいるが
中国人の多い地域に住んでいるから
中国語が聞こえてくる
20年前とそんなに変わらないかも


2010年3月16日
息子の1学年が修了し本帰国

旦那が体調を崩し先に帰国
最後の4ヶ月は息子と二人で生活
引っ越しの手伝いは実母が上海まで来てくれた
今振り返るとよく生活出来てたな~と思う


2011年1月
本帰国後、1回上海に行った

この時にホテルまで会いに来てくれた

KさんとRちゃん


Kさんは帰国後

子宮頸がん(小細胞神経内分泌)

になり治療を頑張ってた

 

私は癌と聞いてショックを受けた

なんて言葉をかけていいのかわからなかった

その私も卵巣癌に・・・


2013年12月 Kさんはお空へ
確定診断から4ヶ月後だった
色々やり残したことがあっただろうな~

私は毎日何もやらないまま過ごしている
反省 ショボーン

動こう ダッシュ



息子が高校卒業したら懐かしがりに
家族で上海へ旅行に行こうと考えていた
「学生時代に勉強した英語で

ホテルスタッフと会話してほしいな~」
なんて妄想して楽しんでた

それなのに全世界コロナ流行でかなわず・・・
パスポートもとっくに期限切れ もやもや


本帰国して16年経つが
息子は上海での生活を

ほとんど覚えていないらしい
そんなもんだよね
懐かしいのは私だけなのかも


お世話になったかかりつけ医の中国人の先生
日本語ができるからとても助かった
病院はまだあるみたい
先生がいるかわからないけど
会いたいな~


YouTubeで現在の上海の様子を見ると
私の知っている上海ではない
よく行ってたスーパーもない
日系のスーパーもなくなったみたい
懐かしいとは思わないのかも アセアセ


やっと上海の頃の物を手放す気持ちになった
もちろん写真を撮ってからサヨナラ
まだ手放せない物もあるけど一歩進めた


外国で暮らすという貴重な体験をした
日本がどんなに素晴らしい国かを再確認できた


いつか上海へ行けるかな~ 飛行機
懐かしい所の探し旅になるなぁ