http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20071203sy21.htm


「新聞雑誌、テレビラジオなどの投書は採用数の半分以上がヤラセである」と

思っている私がコメントするのは格好悪いのですが、引用します。

(大学時代、放送作家志望の友人が必死にネタを集めていたのを思い出す)


ネタでないとすれば、私が想像するに、

・70才代の老人でも社長が務まる競争の緩い分野

・群馬という微妙なローカル性

・機械、パソコン大嫌いでも問題ない=手作業多く技術革新の乏しい業種

を考えて、おそらく 食品メーカー でしょうか。惣菜のような下請け。


工場経営の場合(仮に設備投資の少なくてすむ食品製造業だとしても)、

工場の運営でそれなりの負債が存在することは推測して良いと思います。

銀行や信用金庫の担当者、あるいは税理士からも今後の対処について

耳の痛い指摘をすでに社長はたびたび受けているはずです。


それでも業務の改善をかたくなに拒否するとしたら、社長の頑迷さもさること

ながら 何か大きな負債を隠しているのではないか? 社員の取り組みに

よりそれがバレることを心配しているのではないか? という可能性を

私は想像してしまいます。 外れているなら良いんですが。


一般社員は、老人が静かに三途の川を渡り終えるのを待つしかありません。

改善の努力など、賽の河原で石を積むようなものです。


誰も言いませんが、日本の国際競争力低下には、企業の最高意志決定者

の高年齢化=頭脳の老化傾向が大きく関与しているに違いない、と私は

確信しています。高齢化社会の必然です。大きな波には逆らえません。


M子さんにお勧めする一番良い方法は、会社の忘年会の後、社員総出で

駅のホームからこの老社長を線路に突き落とすことでしょう。

それをする勇気の無い我々日本人は、静かに待つ しかないのです。

うちは零細ですが結構忙しいので本当はもう一人新人が欲しい。

職種としては、営業事務。経験者優遇。

とはいえなかなか良い人が来ません。

まぁ我が社にも改善すべき点はありますが...


面接希望者を私が見るところ、層が2極化しています。

(1)接客(人当たり)は良いが事務が未経験、苦手

(2)事務はできるが接客が下手(暗い、気遣いが無い、ぶっきらぼう)


私としては(1)のタイプを訓練してそれなりの戦力に育てたいのですが、

育つ前に事務のミスを連発、挫折して自分から辞めていきます。

残念です。

さばく仕事は山ほどあるので、結局(2)のタイプを多く採用することになります。

(2)は真面目なところは非常によいのですが、新規のお客様に営業するとか、

トラブルで怒ったお客様に対応するような際にはほとんど頼りできません。

もっと仕事に興味を持って取り組むような姿勢があると良いんですが...

会社としては、ズル休みせず、遅刻せず、さぼるようなことさえしなければ

とりあえず合格なので何も言いません。キツく言うと突然辞められて

しまいます。

(2)を育てて一人前になるか?と思うと...難しいのではないでしょうか。


若いうち(20代)は良いですが、30過ぎるとこのタイプはつらい。


まぁ、そもそもこの会社に長くいるつもりは無いのかもしれません...

数年前からニュースで見る偽装騒ぎ。

いい加減な会社が次々と消えていくことに文句ありません。自業自得です。


少し前までは、倒産・事業解体といえば、バブル期の放漫な財務管理によるものが

大半、つまり本業以外での失敗が主要因でした。

いま騒いでいる偽装は本業そのものに関係し、その事業を止めたら後に何も残らない。

問題の中身が変わってきています。


その一方で、ヒステリー気味なマスコミの報道にも違和感を感じます。

マスコミの論調は「潰せるものはさっさと潰してしまえ!」という、なんというか

一種の爽快感を求めているような。

(新聞社としては”お詫び広告”で一時的な売上アップが期待できるのでしょうが。)


日ごろマスコミに対してかなり批判的に見ている私ですが、もっと遠くの視点から

この風潮を考えると 時代の要請 のような気がしてなりません。

つまり、世の中は「多すぎるplayerのふるい落とし」を求めているのではないか、と。

                                              (続く)

たとえ話。
ある仕事の決断に、様々な20の事柄を検討する必要があるとする。
その中には、扱いの難しいもの、先の見通しがはっきりしないもの、
うちのビジネス上不得意なもの、お客様の要求がシビアなもの、等
ほんとに様々である。
通常我々は(どんなに忙しくても)一通り20の事柄に目を通し、
状況を整理したのち「最も妥当/無難なやりかた」を選択する。


だが、70才の経営者は 違う。
彼は最初10程度をぱっと見て、目に付いた5、6の事柄を抱え込み、
残りの事柄はまるで「存在するに値しない」かのように切り捨てる。
残り10の中に極めて深刻な内容が存在することを私が幾たび訴え
ても、彼は取り合おうとしない。まるで外国語を聞いているような
表情を浮かべ「あ"~~うるさい!これでいいんだ!」と会話拒否。

それで仕事がうまく行けば良いのだが、実際は極めて粗雑でチグハグ
な成果物をもたらす。お客様からの苦情も多い。特に、その対象と
なる案件が複雑化していたり、我が社にとって不慣れな分野を扱う
際には結果がひどくなる。


入社当時、経営者の「長年の経験と勘」によりかくも迅速な判断を
しているのだろうと思っていたが、実情は違った。


私が間近で観察するに...
彼は、自分の頭脳のなかでは一度に5,6程度の事柄を受け入れるのが
限界なのだ。パソコンで喩えるのは古くさいかもしれないが、多種多様
な情報を整理・処理するメモリー空間がおおきく不足している状態で、
WindowsXPのOSを128MBのメモリーで動かしているようなものである。
フリーズを恐れて、別情報の持ち込みを激しく憎悪する。
また、選ばれ抱え込まれた5,6についても、内容を吟味したのではなく、
単に「以前手がけた仕事に姿が似ていて何となく取っつき易そう」だから
という側面も否定できない。

                    おそらく、これが「老いる」ということだ。

あえて彼を擁護するなら...
ネットの無かった20年以上前、そもそも1つの決断にはそれほど多く
の情報は必要なかった。否、正確に言えば、低レベルの情報でさえ決して
容易には集まらず、責任者は少ない情報で意志決定を行うのが常だった。
長年そのやり方に慣れた者達にとっては、多種多様な情報を自分自身で
処理する必要性を感じることができない。彼にとって重要なのは
「思い切った決断」を行うことである。
情報の量も質も二義的な要素でしかない。
そこら辺の古いビジネス書に「やる気、信念、意志の強さ」を不自然に
強調するものが多いのも同じ理由によるものだと私は考える。


昭和の時代はそれでうまく乗り切れたかもしれない。


が、今は時代が違う。    違うんですよ...ホント...

数年前の話。うちの社長のお気に入りでX氏という75才くらいの こんさる 

の人がおりました。

日本を代表する某有名企業XX社の部長を経て、子会社役員、業界団体

の理事等を歴任した「肩書きの立派」な方です。お人柄も温厚そうです。

社長はその「肩書き」に惚れ込んでしまい、わりと熱心にX氏と接触し、

仕事の取りまとめ役を頼みました。

おそらく、本当は優秀な方なのでしょう...正確に言えば、昔は優秀な

方だったんだと思います。

でもさすがに75才の年齢。現場を離れて30年近く経っているせいで、

(今でも勉強されているようですが)どうも時代から取り残されたような、

アプローチも結果も中身の乏しい、上っ面な感じになってしまいました。

幸い、お客様からの苦情はありませんでしたが、実際はX氏以外の

後工程で参加している現役の方々にしわ寄せが行ったように思えます。

現場を見ている私からすると「そこまでX氏に依存しなくても良いのでは

ないか」と感じざるを得ず、社長に何度か穏便に意見したのですが、

社長は興味なさそうな返事。


X氏にはその後数度仕事を頼んだのですが、成果ははかばかしくなく、

弊社の資源配分を考えると X氏 がいなかったほうがすっきりして良い

ようにさえ感じます。


で、あるとき、思い切って「X氏への発注は資源・労力の無駄では?」と

社長に訴えると、その返事は意外なものでした。(続く)

うちの会社の業績は(安定してはいませんが)まぁなんとか好調です。

大きな負債もありませんし、小手先のズルをして売上を伸ばす必要も

ありません。お客さんにも恵まれています。


ですが...またまた...新商品のために老社長が質の悪い原材料を

使おうとしています。前回一度使用して、お客さんから怒りのクレーム

も多数寄せられました。なのに何でまた...???(目眩&吐き気)


一昨日の夜、私が強い口調で抗議すると

「う"あ"~~! うるさい! いちいち贅沢なことを言うな!!」との返事。

相変わらず説明は全く無し。

はぁ..この老人はお客さんから直接殴られないとわからないのだろうな...

(あるいは、爪を剥がされるとか、ナイフで耳を削がれるとか..)


前回(数ヶ月前)私が危険を感じて採用の撤回をお願いした際も

「(質が)悪いとは限らないじゃないか!!」と強行されました。


ロジックが基本的におかしいのです。わかりますよね。

でもこの老人は決してわからないのです。

このやり方が彼の”70年の人生そのもの”だからだと思います。


ちなみに、この原材料を納入する社の人間も、これが粗悪品であるとの

自覚がありません。で、恥知らずにも諸々の条件を付けてうちに値段を

吹っかけてきています。強迫観念に取り憑かれた老社長はその条件を

飲むようです。なんと愚かな...


私にはこの老害を駆除する手段がありません。無念です。

たまには別の話題でも。

少し前に新しいカラーコピー機(複合機)を導入しました。

候補はゼロックス、リコー、キャノン。

シャープはモノクロでは海外でシェアが高いようですが、それは技術的に成熟した

モノクロ印刷の話。カラーの技術は多少出遅れているようなので見送り。

コニカミノルタは以前コンビニでよく見かけたのですが、カラーの品質に不満が残った

のでこれもパス。で、上記三社に見積りを要求し、2ヶ月程度の検討を進めた結果

決めました。

今回の経験では、ゼロックスとリコーの2社がお勧めですね。条件の良い方を選ぶ

と良いでしょう。

がっかりしたのはキヤノン。TVCMでイメージは一番良かったんですが...

資料請求時の電話受付まではまったく問題ないのですがそのあとです。


1.最初に営業(40~50才男)から電話がかかってきた際、希望するスペックを

  聞かれました。その際、うちでは「ステープル(自動ホチキス留め)機能は不用」と

  答えると、その男はなんと

  「えーー?! いまどきステープル付けないんですかーーー?! 信じられネー!」

  などとほざく。おまえこそ信じられねぇ。それが営業の言葉か?

  一瞬自分の耳を疑いました。

2.1週間後に営業担当者(上記の男とは別)がナント3人も来社。

  ゼロックスもリコーもハキハキした 感じの良い男性が来たのに、この3人の風采が

  冴えない。気だるそう。適当にリコーの悪口を言って帰っていった。

  1週間後に見積り(高い!)が届いたが、その後3ヶ月連絡無し...

  季節が変わって、急に思い出したように「その後ご検討いただけましたでしょうか」

  との電話。


私の結論:キャノンはかなり儲かっているので、小口の客なんかどーでもよい。

      商品イメージが良いのでダメな社員でもそこそこ営業成績が確保できる。

      つまり、いまのキャノンに優秀な社員は多くない。

      よって、キヤノンの製品を購入するのは非常に不安だ!やめときましょう。


ちなみにうちの契約では、モノクロ4円以下、カラー出力は24円以下です。

(機種は秘密)         なんかの参考にしていただけると幸いです。

たとえば新商品、新しいサービスの検討をする際、私は低リスク、低コストで

そこそこのリターンを期待できるものを提案する。なかなか入り込めない分野で

橋頭堡を築くためにも、是非試しておきたいと前から練っていたものもある。


それを老社長は「う"あ"ーーー。ダメだそんなもん!」といって取り合ってくれない

なぜダメなのか、その理由が全くわからない。

そして絶対に社長はその理由を説明しようとしなかった。

(他の社員も知らない。)

そういう状態を数年続けてわかったのは、つまり

   「話がよく理解できないから説明を聴くのも面倒くさい」

   「自分が理解できないことを社員に気付かれるのはイヤだ。」

   「よくわからないものはとりあえず、ダメだ!と言っておこう。」

   「もし万が一何かあったら後でゆっくり考えよう」      ということ。


どうしてわかったか。それは....


数年前に却下された私の企画案の書類をどこからか引っ張り出し、

さも社長自身の新アイデアであるかのように、会社の仕事が進んでいる

のを偶然発見したからです....何度も、それもかなり大雑把な形で。


会社にとってもは誰の企画でもうまくいけばOKですし、わたしもその点

についてはあまりこだわりません。

ただ、今まで理由不明で却下された多くの案件をほったらかしにしたまま、

「儲かる新しい企画を出せ!」と言われても非常に困る。


別の理由として、社員が自主的に試行錯誤を行うのがイヤなのだろう。

零細企業にとって社長は絶対である。社員は社長の手足であり、使用人

である。手足が勝手に動くのは不都合なだけでなく、社長の権威を

犯す行為と見なされる。よってあきらかに無害であると思えない限り、

社員の提案は不愉快で危険な兆しなのだろう...


              まぁ年寄りだからな...しょうがないか....

経営者と自分の相違点。


社長が生きてきた昭和。高度成長期の「供給者側優位」の時代。彼の思考の原点。


カネもモノも情報も不足しがちの時代、新しい客がいくらでもいる時代、商品は「卸業者から有利な条件で

確実に納品してもらう」ことが何より重要だった。商品が入荷すればさほど苦労なく売れる。そこでは商品の

質は二の次になる。商品の質にクレームを付ければ「うるせー客だな。そんな奴との取引はご免だ」と供給

打ち切り。品数を揃えられなければ客はよそに移る。それが恐い。 


これが昭和の時代だった。 というのは言い過ぎでしょうか。


いま、客の商品知識はプロの業者に接近するまでに高まり、選別の目は厳しい。

ネットの評判は簡単に手に入り、商品の裏付けデータは欧米のオリジナルを確認することができる。

本当にその商品が有用なのか、高品質のものなのか、慣れてくれば買う前にある程度の推測が可能だ。

そんな中、「客は俺たちほど賢くない」ことを前提に、自分達の勝手な都合と思い込みで商売をするのは

なんと危険なことか。 自社の品質評価を最初から不問にし、質の低いサービスしかできない業者を

使い続けるのは妥当なことなのか?「そんなことを言ったら頼める業者がいなくなる」とは本当にこの業界で

40年やってきた経営者の発言か?売れないだけ、ならまだ良い。 買い手達の間で悪い評判がたったら

どうするのか?それをネットで公開されたらどれだけのダメージになるのか?信用を回復するのにどれだけ

の年月がかかるのか?


老人にはわからない。わかる必要がない。彼にはあと数年の余生を穏やかに過ごすことが最も重要なこと。


日本の会社って、こういうもの...