SEIKO SWITCH ~松田聖子をめぐる旅への覚書~ -3ページ目

SEIKO SWITCH ~松田聖子をめぐる旅への覚書~

最も知られていながら、実は最も知られていないJapanese popの「奇跡」、松田聖子の小宇宙を、独断と偏見、そして超深読みで探っていきます。

 

前回の原稿から、実に3ヶ月以上も経ってしまった。

この間、更新できなかった事情はご存知の方もいるが、個人的なことなのでここには記さない。ただ、今回の原稿が、その個人的な事情を通過したから書けるものであることもまた確かなことだ。

 

このブログの第一回で、聖子を文豪・谷崎潤一郎になぞらえたことがある。実はその際、もう一人頭に浮かんだ作家がいた。太宰治である。

実家が旧家の名門であること、そしてこれほど名前を知られながら、文学賞を取っていない「無冠の帝王」であることなど、いろいろな意味で聖子とオーバーラップする部分が多い太宰は、しかし何と言っても、その才能が天賦のものであることが聖子と共通している。

日本SF界の重鎮だった星新一は「こういった百年に一人の才能に、まともに挑戦するのはむりというものだ。私は自己の文体を乾いた空気のごとく透明にするようつとめ、物語の構成にもっぱら力をそそいでいる。太宰と逆の方向へ走らねばと、気が気でない」と、婉曲ながら太宰の文学的才能を高く評価しているが、ある意味天才であったことは疑う余地がない。


太宰は
1948年に入水自殺して、38歳という短い生涯を自ら閉じてしまうが、もし永らえて作家を続けていれば、日本の戦後文学で類を見ない(ある意味孤高の)作家になったであろうことは想像できる。


その太宰が、太平洋戦争中の
1942年に発表した作品に「正義と微笑」がある。

16歳の少年・芹川進の日記という体裁を取り、18歳で役者となるまでの日々を綴ったこの小説は、「斜陽」や「人間失格」などに代表される太宰のイメージとは大きく異なる作品で、この作品を読んでいるか否かで、太宰という作家の印象は大きく変わると思える小説なのだが、その中に、これで退職するという主人公の学校の教師が、最後の授業で言った言葉が書かれている。

 

「お互いに、これから、大いに勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強しておかなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることではなくて、心を広く持つということなんだ。つまり、愛するということを知ることだ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものなんだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ。俺の言いたいのは」

 

長々と引用したのは、自分が影響を受けた一節であると同時に、生きることに意味がここに集約されているような気がするからだ。生徒にわかるよう平易な語り口を取りつつ、ここには人生の本質が垣間見える。

 

そう、太宰は一貫して、生きることの本質を追い求めた作家だった。そしてそれを、レベルの高いエンターテインメントとして提出できる、数少ない作家の一人だった。その意味で、前述の谷崎潤一郎と共通するものがあるかもしれない。二人とも、そのスキャンダラスな私生活の側面のみが強調され過ぎたきらいがあるが、その文学的才能の深さが、同時代の人々に理解されにくいほどに先に進んでいたという意味でもおそらく共通している。

 

聖子もしかりだ。松本隆をはじめとする多くのブレーンを得て、80年代に作り出したその音楽は、口当たりの良い体裁をとりながら、恐ろしく先鋭的だった。「ガラスの林檎」や「わがままな片思い」を例に出すまでもなく、2014年に至っても、まったく色褪せることのない作品群がそれを証明している。そしてその作品には、どんなに軽く聴こえるものにも、本質を描こうとする聖子プロジェクトのメンバーの意図が必ず入っていた。

 

その「本質」とは何なのか。それは「喪失と再生」ということではないかと思う。

 

人は日々、喪失と再生を繰り返しながら生きている。一日は失われ、そして翌日には再生される。そのようにして、人は少しずつ「永遠の喪失」へと歩を進めてゆく。それはゆっくりとした流れだが、時にして人はそれを、自らの手でコントロールしようとする。

太宰は、その短い生涯の中で4度自殺を試みている。そして4度目に本当に死んでしまうのだが、3度目までは未遂で生き残る。自ら人生の喪失を望みながら、結果として再生してしまうのだ。
その苦さを抱えながら、太宰は作品を書き続けた。本質を描くことから逃げることなく生き続けたがゆえに、最後はその苦しさに耐えることができなかった。

 

そのようには先鋭的でない私たちは、日々緩慢な喪失と再生を繰り返している。だからこそ、日々の中に隠されている本質的なものに潜在的に惹かれている。そんな私たちに、聖子はそれを極上のエンターテインメントとして提出してくれたのだ。

「エイティーン」の突き抜けた可愛さ、「風立ちぬ」の超絶的な歌唱、「小麦色のマーメイド」の空気感の凄さ、そして「天国のキッス」での、天国を具現させようとする強靭な意志…。

そこには、人生の意味を探ろうとする、聖子に関わったすべてのブレーンの思いと、それを体現させようとする聖子の思いの、幸せな共存がある。

 

永遠の喪失が訪れたあとも、その人の想いは、その人を思う人たちによっていつでも再生される。それが「記憶」というものなのだ。

 

つい先日、「チェリーブラッサム」を聴いていて、ああ、と深く思った。

この曲は、「何もかもめざめてく 新しい私」と歌い始められる。

これもまた、「喪失と再生」の歌だったのだ。それが聖子によって歌われるとき、そこには「希望」が付加される。


聖子もまた、多くのものを失っただろう。だがそれを越えて、再生と希望を歌い続けるこの不世出のシンガーを、これからもずっと見続けていきたい。