【 実母との親子関係 】

 

実母87歳になりました。

私は実母が22歳の時の子です。

 

ブログを読み返してみたら、実母は施設に入って10年が経ったようです。

(気持ち的には4,5年かと思っていた)

 

77歳までアルコールを飲んでいたんだ。

 

先日も施設に℡したら、元気そうで孫やひ孫の名前もちゃんと覚えていた。

驚くのは、一度も会ったことのない、次男のお嫁ちゃんの名前まで覚えているのである。

 

このブログを最初から読んでくださっている方は、覚えてくださっているかもしれないけれど、

私と実母の親子関係はかなり根深かった。いつまでも実母を恨んでいた。大嫌いだった。

でも、別にきれいごとを言うわけじゃないけれど、「実母には実母の人生があった」「なんだかんだ言って実母に甘えたかった」「実母が産んでくれて現在の自分がある」と

思えるようにはなってきた。

 

けれど、「嫌い」なんだけど、

「好きの裏返し」なような気もする。

 

若い時から、夕方になると25度の焼酎を原液で

一気に200㎜lを3,4回飲んでいたから、そりゃ酔いも早くて。

 

それが寂しさから、朝から飲むようになっちゃって。。。

 

そんなことを思い出しながら。

 

お酒飲まなくなって10年かぁ。と妙に感慨深く思った。

 

実母と電話で話していると、

{もうあと何年もないのかなぁ、数か月?数日なら一緒に暮らせるかしら?}

と、頭を過るのだが、

「絶対にやめとけ。2日と持たないから」(自分の気持ちがね)

って、天使か悪魔がささやく。

 

そうなんだよね。義父の時も

期限付きなら優しく出来るって何度思ったことか。

 

その期限がわからないから、こうしていつも悩む。

 

そして、自分に置き換える。

 

わが子たちもそう思うときが来るのだろうなあ。

 

老いるということはこういうことなのね。

 

でも、私は女性の目線なんだけれど、男性はどうなのかしら?

15歳下の弟を見ていると、子どもはまだ小さいし仕事も忙しい。

母親を思ってはいるようだけれど、

自分からは電話もしないし、月に一度施設に届け物をするかしないかである。

 

私は、息子3人と娘一人がいるけれど、

口うるさいけれど、なにかと心配して手伝ってくれるの娘なんだな。

 

実母もよく「さすがおねえちゃん」とか言っているし

弟にはわがままも言えず、心配もかけられないらしい。

 

私も同じようなのだけれど、

私の場合は息子には「わかってもらえないだろう」と思ってしまうのだ。

 

今回も体調不良で娘に甘えっぱなし。

これではいかん、いかん。何とか自立した高齢者に早くならねば。。。

 

月末から、スーパーでパートします。

体調みながら少しずつ。とりあえず、何かしていれば耳鳴りも気にならないし

(何もしていないと気持ち激落ちになるほどのやばい耳鳴り)

めまいやだるさは大分元通り。

目も3月の再検査まで現状維持かな。

 

6月に準高齢者の仲間入り。素敵に歳を重ねられますように。

 

頑張れ自分。自分応援団作ろう!

 

 

 

【 心配性すぎる? でも心配の9割は起こらないらしいけれど 】

 

昔から心配性の私ショック

 

今日の心配事は

娘が朝、自転車で渋谷の診療所に自転車で行くと言い出したこと自転車

渋谷まで自転車で国道246をひた走り40分以上かかる。

朝だから、交通量も多いし、まして246?

「電車で行きなさい」新幹線後ろ

「大丈夫、混んでいる電車に乗りたくない」

 

朝から良からぬことばかりが頭を巡っていたがぼけー

 

送り出してから

一時間後

「やっぱり電車にしたわ」だって!

 

なんだよ!あの心配していた時間を返してよぶー

 

はい。私が勝手に心配して気を揉んでいただけなんです。

もう30過ぎた人間に、なに心配しているんだか。

 

他にも子どもたちがコロナになった時も

ワクチン接種した後も勝手に心配していたけれど、

結局、無事に通り過ぎ二重丸

 

私も自分の体調不良で検査しても

割と正常だったり。。。。ハート

 

何かの本で「心配事の9割は起こらない」って頭にインプットされても

 

世の中には、その心配事も的中してしまうこともあるわけで・・・。

その10%の確率に入らないという保証もないわけで。

上矢印なんてネガティブ人間なんだアセアセ

 

64年間生きてきて、何万回した心配事が的中してしまったことは

2,3回あるかないかだったけどね。

 

そんな私だけど、心配はするけれど

割とポジティブ人間だったと思っていたのに、

昨年4月頃からどうも「あれ?なんか違ってる?」って思い始めて

年末にはどっぷりネガティブ人間が主流になってしまったようだもやもや

 

四柱推命の占いでは、

トラうさぎ年が空亡(天中殺や大殺界)のようで

今年は学ぶ年らしいんだ。

心配性のネガティブな自分が

少しでもポジティブに物事を捉えられるように音符

心と身体を鍛えるようにするよキラキラ

来年から、また新しいスタートが切れるようにしたいしね走る人


 

エンディングノートを付けながら、

やはり、一瞬一瞬を大切にして

残りの人生を後悔のないように。明るく元気で前向きに歩いていこうアップ

 

 

 

 

 

 

 

【 64歳の私の今後② 】

 

年が明けました。

今年もよろしくお願いいたします鏡餅

 

昨年秋頃からのめまいは大分よくなりましたニコ

 

耳鳴りは相変わらずですが、やはり慣れてきたのでしょうか。

気にならない時間が増えました。

やることが無いと、「キーン、キーン」と頭も痛くなりますショック

「やばい」と感じたら動くようにしています。

 

そうなんです。動いていると大丈夫なのです。

座って何かしているだけではダメなのです。とにかく動く。

そうすると、夜も疲れて何とか眠れますぐぅぐぅ

 

大晦日から長男家族、次男、三男と埼玉で過ごし

賑やかで気が紛れて快適でした音譜

お正月も弟家族が来てくれて楽しい1日を過ごしましたラブラブ

 

忙しいのもあって、薬を飲むのも忘れてしまい

そのままいけるかなって思い、今日まで(13日)睡眠薬以外服用していません。

睡眠薬は、どうしても耳鳴りが気になってしまうので、仕方ないかな。。。

でも、少しずつ減らしてみています。

 

その他の薬は💊2か月ほどちゃんと服用していたけれど、症状はあまり変わらなかったので、

やめて様子みてもいいのかな、と自己判断いたしました。

先生に怒られちゃうかなアセアセ

 

11月から行っている、整体は今も続けています。

鍼は2回行きました。(先端恐怖症なのでとても怖かったけれど頑張ってみましたが、3回目は中々行く気になれませんでした。)思ったより痛いとかは無かったのですが、やはり怖いですあせる

整体は二か所行きましたが、どうもぴんとこなくて

今は3か所目です。3回行きましたが、とても誠実そうな方なので回数券を購入ししばらく通ってみますランニング

 

実は、今月末からスーパーで働くことにしましたビックリマーク

 

友人と始めたお仕事は、自分の楽しみとして続けていきます。ニコ

やはり、家での仕事は性に合ってないのでしょうか。どうも身体を動かしていないとダメなようです走る人

 

埼玉の実家もせっかくリフォームしたのですが、今年中に色々処分し

来年売りに出そうと考えています。

 

今年は65歳。終活も真剣に考えていきますおばあちゃん

 

エンディングノートも付け始めました。

自分がこの世からいなくなると思うと怖いけれど、いつかは皆いなくなるのですからねおばけ

私的には、江原啓之さんが仰る「あの世」はあると信じているので、

いつか先に逝った身内、友人に会えることを楽しみにしていますドキドキ

 

 

 

 

【 64歳の私の今後① 】

 

1年ぶり・・・・・

 

一年早いなぁ。

 

友人と始めた羊毛フェルトも4年目になり、少しずつご注文も入ってきて喜んでいたのですが

10月の中頃からめまいと耳鳴りあせる

 

 

今年

4月に末っ子が、1人暮らしを始めたのを機に

私もリフォームした実家で一人暮らしすることにしたばかり。

 

4人の子育てを終え、義理の親も見送り

悠々自適な老後をおくろうと、ワクワクドキドキな気持ちもあったのに。

なぜ?・・・・

最初はそのうち収まるだろうと思っていたけれど、

1週間もすると、やむときがない一日中の高音の耳鳴りに心までやられたゲッソリ

朝から涙が止まらず汗、気持ちもざわざわしてきて。

とてもじゃないけれど、1人は無理だ!と、耳鳴り2週間で長女宅へ逃げ込んだ。

 

脳神経外科、人伝に聞いた耳鼻科へ。

身体的には異常なし。「加齢、生理的、自律神経、ストレートネック」と診断されて

薬は、メチコバール、アデホスコーワ、ベタヒスチンメシル、牛車腎気丸が耳鼻科

脳神経外科からも脳の興奮を抑える薬(副作用きつすぎてやめた)

あと、耳鳴りからうつっぽくなり、抑肝散、スルピリド

耳鳴りで眠れないからゾルピデム、アルプラゾラム

 

すごい量の薬・・・・真顔

 

どうした自分。悠々自適なはずが。薬漬けか。

 

自分で内観してみた。なぜ今こんな状況なのか。

4人のこどもたち、義理の両親と過ごしてきて、賑やかな毎日から、

霧に囲まれた静かな実家で、実は自分は寂しがりやだったのか。

鍼の先生には「責任の喪失」と言われた。

子育て、介護が終わって(まだ実母は施設にいますが)

空の巣症候群?というやつなのかなスライム

 

まぁ、仕方ない。なってしまったものは。

 

今は埼玉から飛び出て、前に住んでいた川崎市に出戻りしています。

 

さて、来年65歳。どうなるやら。。。。

 

 

 

 

 

【 新型コロナの感染者が減ってきてるけれど 】

 

 

 

新型コロナが10月頃から減ってきて

もう落ち着くかなと思ったら変異型のオミクロン株なるものが現れて

 

いつまでコロナウィルスに惑わされるのかと不安な日々だけれど

 

緊急事態宣言は解除されて

色々なお店には消毒液はあるけれど、

 

なんか人出も増えていつもの日常らしく見える。

 

私はと言えば

前回のワクチン接種のブログから、意を決して一回接種しました。

 

当日は一日中お風呂に入っているようなのぼせ感が続いて

夜に鼻血がいきなりポタポタと流れてきた不安

熱も38度まで上がり、翌日ものぼせ感は抜けない。

 

1週間ほど自分の身体の違和感と付き合い

一か月もするとすっかり元気になったが、

 

2回目の接種は取り敢えず控えておこうと決めた。

 

けれど、いつもいつも悩んでいる真顔

 

そしてこれからも悩むだろうけれど、

その度に、自分で調べて自分で判断して自分で決めようと思っている。

 

 

自分の命だもの。

これからも自分で決めるラブラブ

 

 

私も63歳。子どもたちも夫々が独立して初孫にっこりも授かり

自分の好きなことで一人でこれからも生きていきます。

 

 

人の命は有限で

いつ何があるかわからない日常。

 

その時その時に

幸せを感じていつもを大切にしていきたい合格

 

友だちと始めた羊毛フェルトのお店。

今はまだネットの上だけどいつかドッグカフェを併設した実店舗が欲しいな。

 

【 彩久saku開業3年目 そして師走・・・・ 】 | uchinoko-sakuのブログ (ameblo.jp)

 

 

願い続ければいつか叶うことを信じてドキドキ

 

 

 

【 新型コロナウィルス ワクチン接種 打つ?打たない? 】

 

 

 

 

私は、新型コロナウィルス鬱っぽいえーん

 

私は63歳で

6月には市から接種券が来たの。

 

小学生のころ、集団接種(インフルエンザ又は日本脳炎)で接種後すぐに

目が回り、嘔吐して倒れたようだショック

嘔吐したところまでは、覚えていたけれどその後のことは記憶になく。

それ以降はなんの接種はしていない。

 

だから、接種するのが怖いと感じるあせる

病院に入院中の実母に会うため、

大好きな叔父叔母に会うため、実家近くの方に感染させないためには

接種すべきだとは、頭でも心でもわかっている。

 

私は準高齢者で

呼吸器系が弱く、隠れ脳梗塞持ち。

軽い睡眠時無呼吸症候群

血圧も高かったり低かったり。

 

コロナに感染したら

重症化するだろうなダウン

 

ワクチンも未知のものだから

副反応もどうなるのか予測もつかない。

 

コロナ関係の本を何冊か購入して読んだり、

ネットで色々検索してみたけれど

何が本当で何が嘘なのかもわからなくなってしまった。

(その後、メルカリで出品したら即日売れた

皆さん興味があるのねニコ

 

 

 

自分の直感を信じて

9月1日に接種予約を取ってみたが、

近づくにつれて不安が増大し

 

気持ちがとことん落ち込んだしょぼん

 

結局、体調も崩し3日前に接種キャンセルの連絡を入れた。

 

もう、何もする気が起きず、外にも出られない。

 

本当にただ食事して寝ての繰り返し。

 

まるまる一か月近くはそんな生活を送っていた。

 

けれど、ふと。

もう、いいやって気持ちと

こんな自分にもあきあきして

 

先週美容院へ二か月ぶりに行き、カラーとカットをしてもらい

翌日一緒に仕事をしている友人宅へ行ったルンルン

(友人は、ワクチン接種済み)

 

この友人は「私はワクチン接種しているから重症化はしないからいつでもおいでよ」と

何とも心強い言葉をいつもかけてくれる。

 

友人にこれまでの経緯を聞いてもらって

夕飯をご馳走になり、一泊させてもらったほっこり

(でも、自分が感染していて友人に感染させないかと不安は募る)

 

昨日自宅に戻り、盛り上がった気持ちもまた落ちこんできたがタラー

 

何だか少しは上向いてきたかもしれないブルー音符

 

一度落ち込んだ気持ちはそうそうもとに戻ることも難しく、

これから軌道修正して少しずつ元に戻していく作業が必要。

 

魔法みたいに、すぐ元気になれる薬やサプリメントや気やパワーなるものも存在するはずもなく、

全ては自分の中にある心を自分が信頼することによってしか、元には戻れないと気が付いたハート

 

友人の気やパワーやエネルギーや薬、サプリメントも手助けにはなるけれどね流れ星

 

まだまだ、コロナウィルスや今の日本、世界の状況の渦の中にいるけれど、

逆らえば逆らうほど、渦の中に引き込まれることはわかったから、

上手く渦の波に乗ってそのうえでサーフィンでも出来るくらいになればしめたものサーフィン

 

気持ちが落ち込めば、自然に身体にも表れてきて

口内炎やら動悸やら吐き気、低血圧、頭痛、肩こり、不眠等々のオンパレードドクロ

 

あぁ、しんどかった。

まだしんどいけれど、

逆らわないでやり過ごすと決めたハート

 

いつも通り。

 

長雨が続き雨、洗濯ものも生乾き。

 

でも、今日は少しお日様晴れが顔出した。

 

火曜日から晴れ間も戻るみたいで

 

よし、ここだ。少しずつ少しずつ🐢

 

さぁ、愛犬こはくとお散歩に行こう熊しっぽ熊からだ熊あたま

 

 

 

星結局、コロナワクチン接種は

今のところ保留。自分の気持ちと身体が元に戻ったらまた検討します。

もし、感染したらそれはそれでしょうがない。でも、感染対策はちゃんとやって

医療従事者の方々のご迷惑にならないよう、最善を尽くします星

 

 

 

 

 

 

【 長女とその後 】

 

 

自分のブログを見ていたら、4年前の今日のブログが出てきて。

 

 

そうだ。そんなこともあったほっこり

 

だけど、2年間一人暮らしして、マンションの更新の時に

次男が出ていったのを機に戻ってきてしまいましたあせる

 

あんなに、長女を自由にしようと覚悟して送り出したのにえーん

 

次男が彼女と暮らすために、出て行った部屋にちゃっかり戻ってきてしまった。

 

確かにね、

ニコ「次男が出て行ったから戻ってきてもいいよ」なんて声をかけてしまったのは私。

 

でも、自由を求めて出て行った長女は絶対に戻ってくることはないだろうと思っていたのに、

 

更新を控えたマンションを超スピードで解約してDASH!

保護犬「こまり」と戻ってきたんですねー

 

 

それから2年が経ちました。

 

長女は今年31歳。

 

長男が結婚して、次男も彼女と同棲を始めて少し焦ったのか

婚活なるものを1年間位していたようだが、どうしてもお付き合いすることが出来ずショボーン

現在に至ります。

 

親としては、良い人がいたら、

とは思いますが、こればかりはご縁というか

本人の気持ちが大切でにやり

 

そうは言っても、4人兄弟で皆が其々結婚して

私もあの世に行ったらさぞや寂しいだろうと

余計なお世話で心配しているぐすん

 

長女は動物が大好きで

ハムスター、文鳥、インコ、ハリネズミ、オカメインコ等々を飼って

今は保護犬の「こまり」7歳とオカメインコの「まり」と住んでいるオカメインコ

 

私は、埼玉の実家を一昨年にリフォームして

週に3日間過ごしている車

 

長女は、私がいないことではなく、

私が飼い始めたパピヨンの「こはく」に3日間会えないことをすごく寂しがるえーん

 

年の割には幼くて、

人付き合いが苦手で

片頭痛もちで

繊細で優しくて

 

本当に心配ショック

 

でも、でも

コロナ過で

私も60過ぎて

 

やっぱり自分の人生を生きたい音譜

 

埼玉県での一人暮らしも寂しいけれど、

「こはく」もいるし、

近くには高校の同級生、叔父、弟夫婦もいるラブラブ

 

緑が豊かな埼玉県で老後山登りしたりしながら暮らすのも悪くないよねクローバー

 

 

 

 

長女よ、良ければお前も来るかい?ウシシ

 

【一日一日が早い!】

 

光陰矢の如しとは、このこと。

 

本当に一日一日が早すぎる。

 

60過ぎてからなんて、手のひらの砂が指の隙間からさーって流れ落ちるような速さ。

 

義父母を見送って、さぁこれからが私の人生と思いきや、時間の経つのが早すぎて

何だか何も手に付かず、車窓から見る景色のように過ぎて行く日常をただ眺めているだけのような。

 

久しぶりにブログを開いて、自分のプロフィール写真を見たら

「何年前だ?」と思うような若い私。

こんな時代もあったし、少し顔のお肉も減らしたっけな?と振り返る。

 

昨年の6月には体重も6㌔近く増え、体脂肪率も40%。

 

慌ててライ〇ップへ駆け込んだ。

 

義父母をお世話していたのが無くなり、

実母に会いに行っていたのがコロナ過で行かなくなり、

子どもたちも成人した。

 

私のやりたいことをネットで調べたり、

2019年2月から、友人とハンドメイドでネット販売を起業して。

ミシンに座ることが多くなり、あれよあれよと身体が大きくなりました。

 

 

 

それでも、2019年2月に立ち上げた「彩久saku」が今年で3年目。

 

動物好きな友人と犬服を造ったり、友人の羊毛フェルトに魅了されてこの世に出すべく使命に気付き(笑)

2年間コロナ過の中で二人で頑張ってきました。

昨年はマルシェにも出せずにいたけれど

 

ついに、5月8日(土曜日)

パシィフィコ横浜で出店することが決まりました。

 

いや、しかし、このコロナの変異株が流行していて、もしかしたら出来ないかも。

 

 

今年もいつものように時の流れに身を任せるだけの人生ではなく

自分で時間という船に乗って自分の時間でオールを漕いでいきたいなぁ。

 

 

今年63歳。

いつコロナに感染してしまうか。

いつ心臓が止まるか。

いつ脳の病気になるか(隠れ脳梗塞ですのでね)

いつ事故や災害でこの世を去るか。

 

本当にわからない時代になりましたが、

私は大丈夫という変な自信だけで今日も明日も生きていくでしょう。

 

5月8日(土曜)

11:00~

 

もしお時間あったりしたらいらしてくださいね。

 

蔓延防止重点措置区域ですけど。

感染対策はちゃんとしてますという主催者のお言葉を信じて出店いたします。

 

詳しくはこちらのblogから↓

 

 

 

今日も元気に頑張ります。

【 末子が大学を卒業しました 】

 

 

 

いやぁ、長かった。子育て。

 

28歳で長男が生まれてから、

 

62歳で末子が大学を卒業するまでの34年間。

保育園から大学まで本当に走り回った。

 

その間に、義父母や実母の再婚した義父、アルコール依存症の実母のお世話が加わったし、

子どもたちも穏やかに成長したわけではないから

 

本当に大変だったよ。

 

今思えば、よくやった自分を心から褒めてあげたい気分。

 

今は、長男夫婦に授かった孫の誕生を楽しみにして

昨年末に結婚した次男夫婦の幸せを願い

結婚しない長女の老後や

教師として働きだした末子の今後を案じているわたし。

 

幸せだな。

 

あの時の自分が嘘みたい。

 

タイムマシンがあるならば、あの時に戻って教えてあげたい。

 

「あと少しよ。幸せになるのよ。

だから、もう少し義父母や実母に優しくしてあげて」ってね。

 

先が見えないから苦しいけれど

先が見えないから幸せなこともあるのね。

 

 

 

そんな私は

大好きなハンドメイドで友達とサイトを立ち上げました。

 

その友だちが、またすごいのよ。

よく今までこの世に出なかったっていうくらい。

そこに私が気が付いて、どうしても彼女を知ってもらいたく活動を始めました。

 

彼女は生き物が大好きですごく愛情をこめて育てている。

何匹かが虹の橋を渡ってしまったけれど

でも、皆幸せだったのよ。

 

私なんて、子どもの頃から何匹か飼っていたけれど、

悲しい最期だったことは覚えている。

 

そのことも今後ちゃんと向き合って書いていくからね。

 

 

 

 

 

長くなってしまった。

 

今日は

末子の新天地での活躍を心から願ってブログを久々に書きました。

 

これからどんどんアップしていきます。

 

子育て中、子育て修了、親の介護、親を見送った、動物飼ってます等々

どなたかの心の支えになりますように。

 

 

【 義両親を見送って 】

 

私は45歳で子ども4人抱えて離婚した。

 

亡くなった実父の兄夫婦(叔父夫婦)が子どもがいなかったので夫婦養子になって、10年後のこと。

 

夫は一回り年下の女性と不倫して本気に。

 

叔父夫婦は、世田谷区に家があり私たちのために部屋を増築してくれた。

 

子ども4人抱えて、

すでにうつ病の叔母と持病の叔父と暮らすことになった。

 

家賃は支払わなくて良いけれど、4人の子どもの学費や衣食は捻出しなければならず、

保険会社の営業や事務、介護の仕事を転々としながら生活していた。

 

幸いなことに、元旦那より養育費は毎月振り込まれていたので、何とか生活していくことが出来た。

 

それでも、うつ病の叔母や持病のある叔父のお世話は大変だった。

 

何度も何度も出ていこうかと思ったけれど、高齢の叔父夫婦を置いていくわけにもいかないし、子どもたちの生活を考えたら、ここで我慢するしかなかった。

 

いつもいつも辛いと感じていたけれど、それでも何とか頑張ってこれたのは、

4人の子どもたちがいてくれたから。

 

そんな日々も一昨年義父が急逝し、

今年の4月に義母が亡くなってからは、なんか気が抜けてしまった。

 

 

 

子どもも末子が来年大学を卒業するので、

私は、自分の好きなことをすれば良いのだけれど、幼少の頃から親に悩まされてきて、

 

何だか普通に生きているのが申し訳ないような気がしているので、

こんなに普通の生活がなんとも居心地悪かったりして。。。。

 

50歳を過ぎたあたりから、自分探しというのか

「やりたいかも」みたいなのを片っ端から学んでみたりもしたけれど、

 

結局、自分は何が本当にやりたいのか?といつも自問自答している毎日。

 

 

 

今は、ミシンでハンドメイドの雑貨をいくつか作り、友人とミンネに出品してみたりしている。

 

元々、内職で渋谷の松濤にあるマニーの商品を作っていたり、

小さな頃は祖母が内職で着物を縫っていたのを見ていたから、

 

落ち着くところに落ち着いたのかな?とは思うものの、

まだ何かを探しているようだ。

 

いや、今年もう62歳だよ。

 

 

昨年思いついてコンビニの早朝バイトを始めてはや1年。

子どもの頃からレジを打ちたくて、念願のコンビニ。

 

 

今年は、義両親を見送ってあまり動かず、ミシンを踏んでいたからか体重がやばいことに。

 

某スポーツジムに行き始めた。

現在、三か月でマイナス5キロ。

 

見た目はあまり変わらないけれど。。。。

 

長年のキッチンドリンカーだったけれど、キッチンドリンカーをやめられて3か月。

 

酒量も減った。

 

両親がアルコール依存症だし、絶対にキッチンドリンカーはやめられないと思ったけれど、

割とやめられるもんだ。

 

友だちと始めたハンドメイドも、今は楽しくわくわくしながら作って販売している。

 

元々マイペースなので売り上げはそんなにないけれど、いつか爆発的に売れたらどうしよう、

なんてそんな不安しかない私ってなんて幸せなんだろうね。

 

 

これからは、

60歳過ぎてから始める早朝のコンビニバイトの葛藤や

某スポーツジムの事や

キッチンドリンカーをやめられたこと、

肩関節周囲炎が全然良くならないこと、

関わってきた宗教のお話し

 

少しずつブログにあげていこうかな。

 

そして、いつか60歳から起業して成功したよっていう本でも出してみるか。。。。

 

 

 

 

今の私がいるのは、

4人の子どもと

アルコール依存症の両親と

叔父夫婦のおかげ様。

 

 

感謝っていうとありきたりだけど、

色々あったけれど、いつも「ありがとう」と「ごめんね」を唱えている。

 

 

今の世の中、自然災害や事故やそれこそ新型〇〇ウィルス等々で

いつこの世を去るかわからない。

 

やっぱり、大切に丁寧に生きたいと思っている。

 

中々出来ないけれど。。。。。

 

 

よし、頑張るぞ!