3.11から何もここには書けなかったけれど
やっと初めて被災地を見てきました。
仙台市で車を借りて、
塩竈、松島、奥松島、石巻、女川、雄勝を回りました。
何万人が亡くなったと数字で知り、
何度もニュースで津波の様子を見たけれど、
それは全く実感の伴わない感想でしかなかったと、行って思い知りました。
圧倒的な力を持ったものが、通り過ぎ、全てのものをねじ曲げ壊し去って行った、
町だった場所。
被害の大きかった場所も、少し内陸に入れば、普通に子供達が通学していたり
食事もできるし大きい道路も走っています。
1日目に夕飯を食べたお店は仙台に何件かある牛タンのチェーン店だったのですが、
お店の人たちが、どこからか1人で来て食事する女性に
とても素敵な接客をしてくれました。
ただ、その優しさは本当に辛い事を知っている人の優しさと
孤独と人の大切さを知っている、寂しさの混じった優しさでした。
津波の与えた心の傷の大きさをあまりに物語りすぎて
想像するに余りある悲しみに、ホテルに戻った後、涙が出ました。
町の写真は殆ど撮れませんでした。
だれかの思い出だった家や町がなくなってしまったのに
そこにカメラを向ける意味はあるのか。
でも、被災地以外の人たちが、忘れ始めてしまっているのも事実で、
津波の被害がもたらしたもう一つの問題も、未だに解決していません。
家に帰れない人
命が危険にさらされている人が
原発という人災によって、まだまだたくさんいることに本当に憤りを感じます。
そして露呈した日本が抱える問題に
これからは何十年と本気でむきあっていかなければいけないと思います。
そのために自分のできる事をしっかりやろうと、改めて心から思いました。
3.11に
一人でも多くの人が助かってほしいと日本中の人が思ったあのときの気持ちを
ひとりひとりがずっと持ち続けたらきっと、日本はもっとすてきな国になると思います。
自分の心の中で、震災を終わらせない。
そして私のできることをこれからも頑張ろうと、再確認した重要な旅になりました。
やっと初めて被災地を見てきました。
仙台市で車を借りて、
塩竈、松島、奥松島、石巻、女川、雄勝を回りました。
何万人が亡くなったと数字で知り、
何度もニュースで津波の様子を見たけれど、
それは全く実感の伴わない感想でしかなかったと、行って思い知りました。
圧倒的な力を持ったものが、通り過ぎ、全てのものをねじ曲げ壊し去って行った、
町だった場所。
被害の大きかった場所も、少し内陸に入れば、普通に子供達が通学していたり
食事もできるし大きい道路も走っています。
1日目に夕飯を食べたお店は仙台に何件かある牛タンのチェーン店だったのですが、
お店の人たちが、どこからか1人で来て食事する女性に
とても素敵な接客をしてくれました。
ただ、その優しさは本当に辛い事を知っている人の優しさと
孤独と人の大切さを知っている、寂しさの混じった優しさでした。
津波の与えた心の傷の大きさをあまりに物語りすぎて
想像するに余りある悲しみに、ホテルに戻った後、涙が出ました。
町の写真は殆ど撮れませんでした。
だれかの思い出だった家や町がなくなってしまったのに
そこにカメラを向ける意味はあるのか。
でも、被災地以外の人たちが、忘れ始めてしまっているのも事実で、
津波の被害がもたらしたもう一つの問題も、未だに解決していません。
家に帰れない人
命が危険にさらされている人が
原発という人災によって、まだまだたくさんいることに本当に憤りを感じます。
そして露呈した日本が抱える問題に
これからは何十年と本気でむきあっていかなければいけないと思います。
そのために自分のできる事をしっかりやろうと、改めて心から思いました。
3.11に
一人でも多くの人が助かってほしいと日本中の人が思ったあのときの気持ちを
ひとりひとりがずっと持ち続けたらきっと、日本はもっとすてきな国になると思います。
自分の心の中で、震災を終わらせない。
そして私のできることをこれからも頑張ろうと、再確認した重要な旅になりました。







