土日は墓地の改装を手伝う。自分は20代の頃まで、お墓への埋葬は土に直接お骨を埋めるのだと思っていた。実際そのような埋葬もある。が、地域によって様々なのだろうが、一般にはカロートと呼ばれる空間がお墓の真下にある。お墓の一番下の台座の前方部分が蓋になっている場合が多い。後方の場合もある。またはお墓前方の敷石部分が蓋になっている。雨水が入らないように目地がモルタルなどでとめられている。目地をタガネなどではつり、蓋を開ける。中は石組みされた四角い空洞で、棚がある場合もある。その中に骨壷が納められている。亡くなった方の骨壷を納骨する場合は多々あれど、墓地改装にともない骨壷を取り出す作業は滅多にない。とても狭い空間、そして開口部も狭い。取り出すことを想定などされていないので、とても取り出しづらい。そして壺は古いほどにとても重い。蓋をされているはずの骨壷だが、長年安置されていると何故か湿気がたまる。ものによっては骨壷いっぱいまで水がたまっている。近年納骨されたものにはほとんど入っていないので軽い。水を抜き、壺の泥をぬぐって清め、家ごとの札をつけて、墓地が新たに造成されるまで仮安置する。古いお墓の中にはカロートのないものがある。お墓を解体した後、慎重に穴を掘る。しばらく掘ると骨壷が現れ出でる。さらに古い年代のものは土葬なので、骨が出てくる。骨以外は完全に土に還っている。その骨を拾い集め、袋へと納める。そしてその家のタグを付け、仮安置。
これまでお葬式にあまり縁のなかった自分にとって、お骨を見る機会は少なかった。今回、縁もゆかりもない方々のお骨を扱うご縁をいただいた。人によっては嫌がられる仕事だが、不快感はない。いずれ同じようになる身なのだから。とはいえ、今回の件では色々と考えさせられる。自分が死んだ後のことについてあまりこだわりはなかった。時宗の一遍上人が今際の際に「野に捨てて獣に施すべし」と言い残されたという逸話を思い出す。共感できるものの、現代では土葬さえも難しい。ただ自然と土に還りさえすればよいのだが。それ自体がこだわりなのかもしれない。ただ、今回、中途半端に密閉されて中で水没している骨を見て、圧倒的多数がこの状態であることにいささかの違和感を感じた。それこそセレブであろうが偉人であろうが美男美女関係なくそうなる。
今の時代は埋葬も多様化し、立体駐車場のような仕組みのモダンな納骨堂もあれば、山や海への散骨、木を植える樹木葬、宇宙へカプセルを飛ばす宇宙葬、人工ダイヤにしてアクセサリーにするなどなど、様々。どれがよくてどれが悪いというわけでもないが、個人的には自然が好ましい。
今回無縁墓も掘り起こした。江戸時代の土葬のものもあった。ほとんど土に還りつつあるお骨を袋に拾い集めた。後々新規に建立される無縁供養塔に納められることになる。無縁の方々でも丁重に供養するためにあますことなく拾い集めるのだが、一方では自然のままにそのままそっとしておいてあげたいという気持ちも少しあった。
容器に保存することが重要なのかどうか分からないが、近年では転勤族のためにお墓もマンション型の賃貸納骨堂を各地に建ててお骨もお引っ越しというサービスも出始めている。その時代、その地域によって今後も形態は変化していくのだろう。
個人的には、いっそ骨までも焼き尽くして煙になっちまえばよいとも思うが、残された者たちの気持ちの問題もある。地球人全体の物質的執着心が薄らぐまであとどれくらいかかることやら。
このままいくと地球は骨壺だらけになっちまう、などとくだらないことを考えつつ、今日も壺を洗っていた。

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