昨日友人宅を訪れた際たまたまある神社の話を聞き、あぁ、いつか行きたいなと感じた。
そして今朝、パートナーから急に連絡があり、一緒出かけないかと誘われた。ちょうどその行き先が、昨日聞いた神社とさほど離れてもいなかったので、一応家を出る前に神社の場所を調べておいた。ただ、小雨が降っていたのでまたの機会かな、などと軽く考えていた。
そして、仙南のとある場所。そこは感覚の鈍い自分でも感ずるほどに異質な雰囲気があり、そこに座っていることだけに意識を集中させねばならぬほどの得体の知れぬ空気感が漂っていた。用事が済んで逃げるように出た。
どしゃ降りでも神社へ行かねば!
幸いにも雨はなんとか持ちこたえていた。そのままメモ書きを頼りにその神社へと向かった。
STONE SCULPTURE-山神社
最初の鳥居をくぐり未舗装の狭い道をどんどん登っていくとまた鳥居があり、その後ろには樹齢700年以上の巨大な杉の木が御神木として鎮座していた。
STONE SCULPTURE-船岡山神社
ひっそりと佇む「山神社」。特別な何かがあるわけでない。ただ、スーっとする感じ。祓い清められたかどうかはともかく、落ち着いた。
その後神社から少し離れた場所に社務所があるというので伺った。伝説の湧き水を頂くのと、宮司さん自家製のあげまんじゅうを買うため。社務所には80を過ぎた頃合いのおばあさんが応対してくれた。水を入れるペットボトルまで頂いた。ペットボトルの蓋を別のものの蓋で閉めようとしたら噛み合わず、「後家さんでは駄目なのね。」というシャレがなんともおかしかった。
話をするうち、只者ではないなと感じる。そして他ならぬそのお方が、昨年までの数十年間宮司を務めておられたことを知る。今は息子に譲り隠居生活ということだった。大戦時の生々しい空襲体験談から今に至るまでの神官としての経緯を聞かせていただく。
頭があがらない…。
またそのうち立ち寄ることを約束し、何度も御礼をして別れた。
若い時が勝負、動けるうちだ、というお言葉がズンと重く感じた。
その後お昼を食べ、秘境・鎌倉温泉でゆっくりして、帰宅。ずいぶんからだが弛緩している。
家の時計の狂いは10時間以上。おそらく明日には一周りして戻るだろう。その刻む音は自分の中で何か重大な気付きの扉をノックしているのだが、鈍いのでまだ分からない。急に目くばせされてもねぇ…。

みちのくの山の神

山の神の祀り

山の神と日本人

現代に活きる山の神伝承