ここ最近何故か急に伊具三十三観音を気にし始めていた。すでに昨年末から年初にかけて、友人と3人で巡礼している。あの時の様子では、マイナーどこは数年人は訪れていない雰囲気だった。今このタイミングでどうしてかは自分でもよくわからない。引っ越した今にして思えばあの巡礼は伊具の地への挨拶回りだったといえる。あるいは、三十三観音に導かれての引越しだったかもしれない。そして虚空蔵さま預かりの身、みたいな。昨年末は渦の中での参拝だった。今は随分とおだやか。再び巡礼する意味は今はわからないが、まずは改めてのご挨拶ということで、今後の展開を楽しもうと思った。今回はパートナーと2人で。そこにまた大きな意味があるのだろう。


伊具の三十三観音に関しては、渡部三男氏著作の「伊具盆地(まほら)の仏たちは」に詳しく紹介されている。昨年巡礼した際も、こちらの本をたよりにしていた。ただ、かなり昔に執筆したもので、なおかつ地図もかなりアバウトだったこともあり、3人で悩みながら迷いながらようやくたどり着いたという経緯がある。


今回はまずは自分の記憶を頼りに、近場から周ることにした。前回も、今日はこの地区を攻める、というように順番を無視しての巡礼だった。前回はあまり時間がなかったこともあるが、なによりもこの伊具三十三観音、現在の角田市と丸森町に無造作に分布しているのである。順番通りに周るとおそろしく時間がかかるに違いない。昔の人は歩いてよく周ったものだと感心すると共に、うらやましくも思った。なぜならその過程の道のりが重要だからである。ある意味観音様はお堂にはいない。方便としての仏像だけだ。巡礼を発起してから出会う人、ご縁それらすべてが観音様なのである。車で誰とも会わず話さず、ただ参拝しただけって、すごく虚しい。しかしまぁカタチもまた必要である。ということであまり深く考えるのはやめて、さっそく家から一番近いお堂へと向かった。


武士沢馬頭観音。

家から車で10分も走らないくらいの場所。今住んでいる家の近くを前回通っていたことを考えると不思議なものだ。丸森梁川線を少し走ると左手。車道からはお堂は見ることができない。平行して川が流れており、小さな赤い橋を歩いて渡る。
STONE SCULPTURE-武士沢4

武士沢馬頭観音の看板と赤い橋。ここは2番札所。

STONE SCULPTURE-武士沢3
きれいに苔むした小道が続く。何か懐かしさを感じさせるような空間。


STONE SCULPTURE-武士沢1

馬頭観音のお堂。こちらもすごく居心地のよい空間。お堂の中の観音様は残念ながら拝顔することはできなかった。が、中左手には白い馬のはりぼてが鎮座。ほほえましい。
STONE SCULPTURE-武士沢2

武士沢馬頭観音巡礼歌。

「よしやみの あかもすすがん 武士沢の 清き流れの 法の泉に」


この時だけを切り取ってみれば、カップルが近所のお堂に行った、というそれだけの話。

自分たちにとっても、ありふれた日常に違いない。本来何も感じなかったろう。

が、一年にもならない過去に同じ場所で参拝していた。その時は渦中のただなか。

必要だったのだと強く感じた。同じ事象、カタチではあるが、心境がまるで違う。

この一見平凡な二人でいる日常の時間空間、それがどれだけ幸せであるかということ。

当たり前、当然、普通、日常、そこにある幸せ、そこあるというよりもその状態そのものが幸せであるということ。


日々の生活に流されると人はすぐに忘却してしまう傲慢さがある。

物質的豊かさ、利便性の追求と、この国は突っ走ってきてしまってどこかに大切なものを落としてしまった。

原点回帰

生かされていること。ただ、それだけでいいんじゃないか。まずはそこに感謝したい。


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