先月から母親に硯の制作を頼まれていた。
去年から書道教室に通い始めていた。ゆくゆくは自分自身も師範を目指しているようだ。
今まではプラスチックの簡素な硯を使っていたらしい。
制作した硯を教室で使えば宣伝になるやもしれぬというささやかな打算、そして使い勝手を知らせてくれる貴重なモニターとしての意味あいもある。
ま、こういう機会でもないと親孝行はできないので、時間を見つけてはせっせと造っていた。
相変わらず制作しながら形を決めていくという時間のかかる作業で進めていく。
今までの作硯で培ってきたものをいろいろと織り込みながら、使い勝手とデザインのバランスを取っていく。
結果的にかなり時間を費やしてしまった。プロトタイプなので仕方あるまい。
売り物として考えればかなり高額になってしまうし。
流動、植物の発芽、流れ、そういった何かのエネルギー、動きの表現。
漢字などの文字のイメージもある。
下に敷いたのは丸森町和紙工房の宍戸さんから先日いただいた「墨流し」といわれる和紙。
海の部分はかなり深く掘り込む。
そして手前は筆をしごく部分をかなりエッジを立ててみた。
使い勝手は悪くない…と思う。
残念ながら堆積岩の宿命というか、うっすらとひびが入っている。それほど気にするほどでもない。普通に使う分には支障はない。念のため脇には蜜蝋によるコーティングを施す。
これは黒鴨硯にとっては避けて通れないことかもしれない。割れやひびのない完璧な材はごくわずか。故に希少なのだが。
なんとなく、これはあまり繊細な書には向かないような気がする。豪快で勢いのある作品を書く時に適しているんじゃないかと。
服とかアクセサリーのように、気分や用途で硯も変えてみるというのも意味があると思う。
水晶やらアメジストやら、パワーストーンと呼ばれるものだけが力があるわけじゃない。
どんな石だって波動はある。そこに加工するという行為を持って意識を通しチャンネルを開くことで、より書家と硯の関係性が深まり共鳴しあう。
その手助けする役目としての作硯家になれればと思う。