5月に注文を受けた硯をようやく納品することになった。
知り合いだったこともあり、また急いでないということだったので、次に会う機会と思っていたら2ヶ月たっていた。
http://ameblo.jp/irmr/entry-10287558667.html
当日あわててダンボールで箱を作るが、みすぼらしくいびつな形になってしまった。
前日偶然丸森の和紙工房にお邪魔する機会があり、B級品の和紙を数枚いただいてきたので、それを使う。
「黒鴨硯」と墨で書き、そして新たに作った自分のロゴ印を捺す。
そんで先週末の紅花祭りでGETした紅花を入れる。
毎回同じようなことはできない。最悪硯を現物で手渡しすることもある。
そのときそのとき、状況と環境の中、できることをするしかないかな。
相手はとにかく感受性の高い方なので、どういう反応があるやら。
以前、体調(エネルギー的)が悪くなったときに硯を差し出したら見る間に回復したという、その人である。
そういえばそのときの硯、先週末売れたんだっけな。「あの時は助けられました。」と言われたので、「私もあの硯に助けられました。」と半分冗談を言ったらかなり受けておられた。
いよいよ硯を手渡す。多少の不安をよそに彼女はとても喜んでくれた。何か物体としてというよりはむしろエネルギー体として認識してるような、そんなタイプの方なんだろう。それは人に対しても言えて、会った瞬間「変わったね。」などと言うことからも、目や耳などの五感程度の狭い感覚に縛られていない、鋭い感性の持ち主。その彼女が気に入ってくれたということでなによりもまず一安心。そしてすごくうれしかった。彼女は硯を手にしながら話していたが、徐々に顔が上気したように赤くなり、体温も上がり始めたようだ。エネルギー的相性がよかったのが何より。硯としての機能は二の次なのかもしれない。結局当初予定していたよりはるかに多い金額をいただく。そのことにまず驚いたが、もう罪悪感も後ろめたさも顔を出さない。ありがたくいただいた。
ようやく2,3歩ほど足を進めて、大地を踏むその確かな感覚を味わえてるような、そんな気がする。
いつか気付けば走っている自分がいた、なんてことを言えるように。