菖蒲日和 -372ページ目

ご報告。


今日は、ちょっとここ8ヶ月くらいのことを振り返ってみつつ~~。


☆     ☆     ☆


3/11(金) 地震当日。
地震のとき、私は建物の1階で仕事をしていました。
同じ部屋にいた人の携帯から緊急地震速報の音が聞こえ、最初は「こんな変な着メロにしている人はだれだぁ?」って呑気に思いましたが、上司が「緊急地震速報だ」とつぶやいあと、突然ゆらゆらと横揺れがはじまりました。
今までに感じたことのないゆ~らゆ~らゆ~らゆ~らという大きな横揺れで、一度は納まったけれど、また揺れ出し、合計で5分くらい揺れていたように思います。すごい長かったの。
私がいた部屋では1階だったので大きなものが倒れないように押さえる余裕もあって、
特に大きな被害もなく、揺れが収まったときに、全員で建物の外にでました。

1階なのにこの揺れって・・・これ、ヤバくない?と思い、自分の職場がある別の建物に向かいました。
建物からは人が一気に降りてきて、よく見ると、地面と建物の間に段差ができていました。

え・・・?マジで・・・?職場の人はみんな無事なのか?・・・これは菖蒲もヤバいかも?、と思いました。

職場の人は全員けがもなく、無事でした。
余震が何度も起こっていましたが、一旦職場の様子を見に行く、ということになったので、
私も車の鍵や貴重品を取りにみんなと一緒に階段を上りました。

私の職場は9階にあります。
9階にあがってみて、びっくり。
すべてのものが倒れ、机の下のちょっとした隙間にも、すべて物が入ってしまっています。
逃げるようなスペースなんて、どの部屋にも一カ所もありません。
床は全部もので埋まっていました。
本棚の本が落ちているんじゃないんです。耐震対策もしていたのに、天井近くまでの高さの本棚ごと倒れているんです。
机の上に設置されていた本棚も、冷蔵庫も大きな靴箱も書類棚も大きな機械も、すべて倒れていました。
机の下にもぐったって生きていられたかわからないような状況で、本当に運がよくみんな逃げ切れたみたいで、全員が無事でした。

床はすべてもので埋まっていたので、机の上を登って歩き、荷物を取ってまだ余震が続くなかフラフラしながら階段を降りました。
非常用の階段は下は丸見えなので、余震がくるたびにヒィィーー!!ってなってその場にうずくまってしまいました。
余震って言っても大体が震度5とかなのでね、しかも建物が面心?構造なのですごい揺れて、めっちゃめちゃこわかったんです。

とりあえず一旦自宅に帰りましょう、ということになりましたが、その頃にはすでに道路は大渋滞。
職場のAさんとBちゃんを乗せ、車で帰りました。
職場と自宅は10キロくらいしか離れていないのに、大渋滞で自宅に着くまでに4時間かかりました。
停電のため、信号も止まっていました。
外は猛吹雪。
どの人もみんな急いで逃げてきたので、仙台市中心部にはコックさんの格好だったり、実験用の白衣を着ていたり(←多分近くの大学生だと思います)、とにかくみんな薄着で上着を取りに行くこともできない状態で駅に向かって歩いていました。
すごいたくさんの人たちが歩いていました。
(でも、駅まで行けても、結局電車も地下鉄もとまっていたので、10時間以上隣の隣の市まで歩いて帰った人、2~3日帰れなかった人など、たくさんたくさんいたみたいです。)

そんな中でも、大渋滞中の道路に立ち、薄着のまま誘導をしてくれている人もいました。
工事現場近くでは大きなライトをつけてくれて、交通誘導をしてくれていました。
きっと自分の家族とも連絡がつかない状態なのに、それでもみんなのために交通誘導をしてくれている方々、本当にありがたいなぁ~って思いました。


実は、地震の数日前から、私が仕事に行く前に、菖蒲がとても悲しい顔をしていました。
なんだろう・・・?なんだろう・・・?ってすごく気になっていたけど、菖蒲に何もしてあげられなかったの。
渋滞で全く動かない車の中で、きっと菖蒲とは もうお別れ、ということなんだと、覚悟を決めていました。
私の家の中は、本当に倒れるものだらけなんです。
背の高いメタルラックや本棚、家具や家電はおそらく全て倒れているだろうと。
地震が来ると、毎回ビビって固まっちゃう菖蒲なので、きっと固まったところに物が倒れてきて、おそらくもうすでに死んでいるか、それとも大けがしているか・・・。
でも、もう4時間もたっているし・・・。
菖蒲がたとえ息をしていなかったとしても、ぎゅっと抱きしめていっぱいいっぱい褒めてあげて・・・と、そんなことばかり考えながら運転していました。


我が家に着いたのは19時過ぎ。
外は暗いし、停電だし、真っ暗の中を走って玄関に行き、
玄関ドアをドンドン叩き、「あやめ!あやめ!」と大声で呼びました。


ドキドキしながら玄関の鍵をあけると、


クゥ~ン クゥ~ン柴犬汗 とお耳ペッタンでベソをかいた菖蒲が玄関から出てきました~~~~~。


菖蒲、生きていました~~(涙)。
うぉぉぉぉぉーーーー! 今思い出しても涙がでるぅぅ~~~(涙)
全く怪我もしてないで、でもすんごい怖いから、玄関に降りて、ずっと待っていたみたいでした。

「菖蒲!もう大丈夫だよ!生きてたか!よかった、よかった!」と泣きながら抱きしめました。
あったかい菖蒲をしっかり抱きしめることができました。

暗くなるまで1人で頑張って待っていたんですよね~。
ほんとうにおりこうさんでした~。



写真は、地震のあと、怖くて怖くて仕方なかった菖蒲が、必死につけた、ドアの傷です。



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$菖蒲日和-110317_1332~01.jpg
(写真は後日撮りました。)



ドアノブの近くやその下、脇の木の部分にガリガリしたあとがあります。
特に二枚目のドアの脇の部分。
木が削れて、ボロボロ落ちていました。
怖くて怖くて、早く外に出たくて、仕方なかったんだと思います。
もう、かわいそうでかわいそうで・・・。
一人でこの状況を耐えきった菖蒲。とっても立派だったね~~♪



そのあとは、急いで菖蒲を車に乗せて、すぐにAさんのお宅に向かいました。
車酔いする、なぁ~んて贅沢、言ってられなかったもんね♪、菖蒲どん♪


Aさんのお宅は一階部分がグニャリと曲がっていました。
でも、ご家族とAさん家のワンちゃんが全員無事で、本当によかった!

Aさんのご家族から、おにぎりなどの食料を分けてもらい、その日は菖蒲と半分ずつ食べました。
余震も続く中、もちろんドックフードを持ってくる余裕なんて全く無かったので、アレルギーの心配よりも食べられるときに食べとけー!という事を優先しました。
それまでずっとプルプル震えていた菖蒲が、そのときだけ「おにぎりーーーー!!うおぉぉーーーー!!」って、やっとルンルンしてくれました(笑)。
おにぎりなんて、普段食べさせてもらえないもんね~~♪


Aさんのお宅は私の住んでいるアパートよりも海沿いにあるお宅なのですが、その晩はそのお宅の空き地に車を止めさせていただき、菖蒲とBちゃんと一緒に車の中で寝ました。
でも、ちょっとだけ海に近い、ということもあり、津波が怖くて怖くて。
たまたまもってきた懐中電灯についていたラジオを聞いていると、この近所では200~300人の遺体が・・・なんていう話も聞こえてきます。
仙台市宮城野区であったガスタンクの火事も、ちょっと距離はありましたが、煙が見える距離。
停電で、外は月明かりとお星様の明かりだけなんだけど、まるで雲のような煙がはっきり見えて、とっても怖かったです。
そして、星がきれいすぎて、なんか迫ってきているようで。
町中の明かりが消えたから、っていうだけなんだけど、すんごい気持ち悪かった。

とにかく、次の大きな地震が来たら、津波からすぐに逃げられるように、運転席で靴をはいたまま少しだけ寝ました。
でも、寒くて寒くて、全然寝られず。
1時間置きに10分くらいエンジンをつけて、でも、真冬なので、全然暖かくならないんですよ。

そしてその間も何度も余震がきて、車が左右にはっきり揺れるくらい大きなものばかりで、本当に何回も何回もきました。


後からわかった話だと、Aさん家から充分に見えるところまで津波がきていたそうです。
暗かったから全然わからなかった。
近くには避難所もある場所だったのに、そんなすぐ側まで・・・。
後からゾッとしました。


この時点で、Bちゃんのご両親の安否は不明。どこにいるかの手がかりも無く、連絡も一切取れず。
Bちゃんの家はもろ沿岸なので、きっと津波が来ているだろうけど、ラジオからはその地域の情報は全く入ってこない。
もしBちゃんの自宅まで津波がきていたらBちゃんのご両親は助からないかもしれない。でも、きっと確実に津波は自宅までは来ている・・・、という、ものすごい状況の中で、Bちゃんは泣きもせず、淡々としていました。
Bちゃん、すごいと思いました。


菖蒲は、ずっと震えていて、ずっと私の膝の上に座っていました。
私が車から降りようとすると、「置いていかないで!」と慌て、必死に私にしがみついていました。
菖蒲は触っていてあげていないとずっと緊張しているかんじだったので、菖蒲だけでも寝かせてあげたくて膝の上の菖蒲をずっと撫でてあげていたんだけど、伏せた状態で目をつぶってくれるけど、またすぐに目をあけてしまう。
まぁ、菖蒲が膝の上にいてくれたおかげで、ママはあったかくて、湯たんぽあやちゃんは最高の暖房器具でしたが(笑)。

菖蒲も私もほとんど寝られないまま、一晩過ぎました。

高田とは津波のあとにも電話で連絡が取れていたので生き残っていたことはわかっていたのですが、11日の夜に「マジすごいよ・・・。火の間を車で通っているよ。橋が全部壊れていて通れないよ。」と言っていた以降は一切連絡が取れなくなりました。




3/12(土) 2日目。

地震のあと、津波が来る前には菖蒲バァバにはメールをしていましたが、津波のあとは電話・メール・携帯のネットのすべてが一切通じず。
朝になってもこちらからは一切電話はできませんでしたが、ようやく菖蒲ジィジからの電話がつながり、やっと話をすることができました。
(なのにジィジったら、電話にでた一言目が「なんで電話しないんだ!忙しくたって電話くらいできるだろ!心配したんだぞ!」 だったんですよ!酷くないですかぁ?! こっちから何回電話したと思ってんのよぉ!!きぃーー!!(笑) )


朝になって、Bちゃんと一緒に私のアパートに戻り、部屋の片付けをしました。
床にはドックフードと一円玉が散乱していましたが(菖蒲ジィジが貯めてくれた一円玉貯金箱が倒れて一円玉が流出していました(笑))、ありがたいことに大きな家具などはほとんど転倒することなく、食器も床で壊れていませんでした♪
だから菖蒲も怪我がなかったんですよね~。
あやちゃん、ラッキーガールです♪

掃除中、菖蒲も床に散乱していたドックフードを食べ尽くすというお掃除のお手伝いをしてくれました(汗)。
でも、昨日は怖くて、落ちているドックフードも口にできなかったんだべなぁ~って思うとかわいそうでかわいそうで・・・。
ただ、昨日は昨日、今日は今日なので、「コラーー!貴重なドックフードを食べるんじゃありませーーん!」って親子で争奪戦を繰り広げました(笑)。


そのあと、少し部屋で休み、近くの区役所へ。
もうすでに食事の配給が始まっていると思って行ってみたのですが、配給などは全く始まる見込みもたっていませんでした。

あまりの混乱ぶりに、この災害は本当にヤバいんじゃね?ということに気づきました。
テレビも見れないし、電話も通じないし、情報がほとんど無かったので、いまいちピンときていなかったんですよね。
区役所では非常用電源でテレビが一台だけつけてくれていて、みんな見ていました。


駄目もとで「犬と一緒に避難できる場所は~~?」と聞いてみましたが、相手にしてもらえませんでした。
そりゃそうですよね。人間だけでも大変なときなのに。。。
でも我が家は潰れたわけではないし、津波もきたわけじゃないし、お家が残っているから大丈夫。

帰りに駄目もとで近所の中学校に行ってみると、
たまたま運良く食料を配っていて、アルファー米のわかめごはんと、少しの納豆と豆腐ともやしをゲット!
近所のお豆腐屋さんが、是非食べてくださいと言って持ってきてくれたそうです。
区役所にですら配給の情報も入って来ないくらい、状況が混乱していたんです。


アパートに戻ったころには、すでに外は真っ暗。
電気もガスも止まっているなかで、我が家には卓上のガスコンロも無く、このもやしをどうすっぺ・・・と必死に考えたのが、ローソクで調理すること。

ローソクっていってもアロマオイル用の平べったいのしかありませんので、それを並べ、鍋やフライパンだと時間がかかるので、ステンレスのボールにもやしをいれて、ちょっとずつちょっとずつ加熱しました。
Bちゃんと一緒に、「おーーーー!すげぇーーー!!!湯気だよーーー!!すげーー!!」って言いながら、いや、むしろ私だけが大騒ぎして調理しました。いや、むしろ、Bちゃんが調理してくれました(笑)。
その後、同じ方法でお湯も沸かし、震災後初めてあったかいお茶も飲むことができて、暗い中、ローソクの光だけの状況の中、
あったかいお茶って、こんなにおいしいんだな~って思ったり、
でもこの状況はいつまで続くんだろう・・・って思ったり、
我が家の食料は、あと何日保つだろう・・・って思ったり。
ガソリンも残り半分しかない状態で、Bちゃんを早く地元に連れて行ってあげたいのに、行ってしまうとガス欠で戻ってこれなくなるんじゃないか?とか、だったら、情報を集めてから連れて行くべきなんだけど、依然としてBちゃんの家の地域やご両親の情報は無し。

我が家はファンヒーターなので暖房をつけることもできないし、ボロアパートなので余震もすごく心配だったので、夜は近くのお店の駐車場に車を止めて、またBちゃんと菖蒲と一緒に車で寝ました。
我が家にあった布団も全部だし、軽自動車でただでさえ狭い車内に、大量の布団でつぶされそうになっているのに、その上に菖蒲どんがどーーーん!

私・・・肺を圧迫されました。
私の肺の上で一晩寝た菖蒲どん・・・。
11.5キロの巨体の菖蒲どん。
私、震災後、初めて「死ぬ!」って思いました・・・おほほ・・・おほほ・・・とっても重かったよぉ(涙)。。。



3/13(日) 三日目。

その日の朝は開いているお店が少しあったので、お店巡りをしました。
ほとんど物は売っていなかったけど、お菓子とカイロをゲット。あと、電池もゲットできました。

今までいつ電池が切れるのかビクビクしながらラジオを聞いていたので、電池を買えたときには、本当にうれしかったです。

あと、近くのかまぼこ屋さんで、かまぼこも買えました。
ちょうど菖蒲の散歩中に見つけたため、お金をもっていなかったのですが、
店員さんが、「お金はあとからでいいから!もってって!」と言ってくださり、かまぼこを渡してくれました。
もう、泣きそうでした(涙)。

食べ物が買えたので、ちょっとだけ元気になれましたが、ガソリンは全く買える見込みも無く、気持ちはどんどん暗くなっていきました。


そこに、

近所に住む高校時代の友達のCちゃんが様子を見にきてくれて、「うちにおいでよ。」と、誘ってくれました。

まじでぇ?!!!!ってことになり、
遠慮なくお邪魔することにしました♪

BちゃんとCちゃんと私は高校時代からの友達なので、Cちゃんの家族も昔から知っていて、
そして、Cちゃんの家は、今年の初めに亡くなったワンちゃん(チャーくん)のお家、ということもあり、菖蒲のことも大歓迎で迎えてくれました。

Cちゃんの家に行ってみて、びっくり!

同じく電気とガスが止まっている状態でしたが、石油だけで動くタイプのストーブのおかげで部屋は暖かく、ストーブの上で煮炊きもできるので、あったかいお茶もすぐに飲める状態。
しかも、さすが大家族ということもあり、食料は豊富で、そして、家族総出で買い出しに行ってきたらしく、「なじみの肉屋に行って、肉をわけてきてもらったよ!あと、酒屋に行って、酒も買ってきたぞ!今夜は酒飲みながら、すき焼きだぞーーー!」とテンションMAXな状態。

え?  はい?  すき焼き????

私、前日、もやしととうふと納豆しか食べてませんんけど?!

はい?!!

って、びっくりしました(笑)。


いいかーー!窓はあけるなよーー!!
災害時に肉のにおいがしたら、ご近所さんに迷惑だからなー!
って、ご近所対策も万全にし(笑)、

その日の夜は、大すき焼きパーティーとなりました~~♪


そしてもちろん菖蒲さんにもお肉やごはんの配給があり、
その日から菖蒲は、Cちゃん家ではドックフードを食べることは一切なくなりました(笑)。
餌? そんなもん、食ってられっか!って感じだったんだべなぁ~~♪

Cちゃん家のみなさんは、しょっぱいものであっても関係なく「ほれ~!菖蒲~!たべろ~!」って菖蒲にあげていて、
「菖蒲は東北の犬だから、しょっぱいくらいが丁度いいんだ!」という、『絶対によくない持論』を展開していただいたおかげで、Cちゃん家にいる間は菖蒲さんはたくさんお水を飲んでいました(笑)。




☆     ☆     ☆



Cちゃんの家にお世話になった日から、生活がかわりました。
とにかく、知っている人がたくさんいて、甘えられる状況っていうのが、本当にありがたかった。
菖蒲と私だけでは、この震災は乗り越えられなかったと思います。

Cちゃんのご家族の会社では電気が早めに復旧していたそうで、その後、携帯を充電をしてきてもらい、ようやく、震災後初めてブログも書く事ができました。
そして、そのときに初めてメールも受信でき(充電できないときは、携帯の電源はほとんどきっていました。)、いや~~ん、こんなにたくさん~~、なんだかわたし、心配してもらってたぁ~汗って、ホクホクしました(笑)。
メールをくれたみなさま、本当にありがとうございました!!

その後は曜日感覚も日にち感覚も無く、とりあえず毎日必死でした。
日中は自宅に戻り、掃除をしたり、手洗いで洗濯をしたり、公衆電話に並んで電話をしたり、ガソスタが開いていると情報が入れば急いで並び、でも結局入れられなくてすごくガッカリしたり。
これから先のことが全く見えない状況で、この先、どうしたらいいのか、ずっとCちゃんの家にお世話になるわけにも行かないし、高田とも連絡が取れないし、沿岸沿いに住む友達の安否もわからないし。
高田のご実家にも様子を見に行きたいのにガソリンは無いし、高田の情報を探しにも行きたいのにガソリンが無いし、Bちゃんを早く地元に帰してあげたいけどガソリンが無いし。


数日経って、Bちゃんのご両親も無事であるという情報が入りました。
もう、Bちゃん本人よりも私の方が号泣してしまいました(笑)。

翌日、Bちゃんの親戚の方が途中まで迎えにきてくれることになったので、Bちゃんをその場所まで送りとどけました。
Bちゃん一家の家は一階は流され、二階はかろうじて残り、あとはお父さんの車とBちゃんの車は津波で流されてしまいました。
お母さんは津波のときはたまたま高いところに居たため無事で、お父さんは津波に流されかけたけど、なんとか屋根に登って無事で、一晩屋根の上で過ごし、翌日救助されたそうです。





3/15(火)の夜、高田から、やっと電話がきました。

もう、うれしくてうれしくて、
いっぱいいっぱい泣きました。


実は震災の前に、、今年の秋頃に結婚しようかね~って話を少~~しだけしていたのですが、
「結婚はちょっと延期になるかもしれないけど、でも、結婚しようね」
って、言ってくれました。

高田の方がすごく大変だったのに、
私のことをすごく心配してくれていました。

「ちゃんとごはん食べられてる?あったかくしてる?元気にしてる?大丈夫?」って、たくさん心配してくれました。

ストーブにあたりながら、チューハイを片手に、すき焼き食べててホントごめんない・・・って思いました。(笑)

私がすきやきを食べていたころ、高田は一日一食だけで、しかもパンが一個だけ、という生活だったそうです。
三食じゃないんですよ~。一日に食べたものがパン1個だけだったんですよ~。

(でもね~でもね~、普段から食生活が不健康だった高田だったので、「なにかあったときのために~」って、以前高田の車に非常用乾パンを積んでおいたんですよ~、わたす。
それを地震の翌日に思い出したそうで、全く食料が無い中で高田が職場の人達と一緒に食べることができたそうなんです~。
わたす、できる彼女でしょ~~?うはは~~☆)


それからも毎日必死に開いているガソスタを探し、3/20にやっとガソリンを入れることができて、高田には3/21(月)に地震後初めて高田に会いに行くことができました。
高田がいる地域は被災地ど真ん中だったので、車の三段重ねは当たり前、車がひっくりかえっていたり、大量の丸太が転がっていたり、田んぼが海になっていたり、道路に船があったり。
車の中には、丸太とか布団とかいろんなものが入っていて、もしこの中に人がいたとしたなら、絶対に死んでいたんだろうなぁ・・・と思う車だらけでした。
家もグジャグジャに崩れ、ガソスタも泥まみれ、フェンスには津波がきた高さまでびっしりゴミがへばりついていました。
ガソスタには「津波の被害で営業ができません。本当にごめんなさい」と書かれた紙が貼ってあり、経営者の方のお気持ちが伝わってきました。

何度も通っていた町が、すっかりかわってしまっていて、とても悲しくなりました。
ポチャポチャした高田も痩せてしまっていて、それも悲しくなりました。(涙)
あのポチャポチャのほっぺたが好きだったのにぃーーー!!!
(でも、そのあと、急激な早さで体重が戻り、いや、むしろ体重が震災前よりも増え、
今ではスリムな高田が懐かしいくらい。)


☆   ☆   ☆


我が家では水はすぐに使えて、電気も一週間後くらいにはついて、ガスは4月末には通りました。

真冬だったので、電気とガスが付いたときには、めちゃめちゃうれしかった!

そして、水道が使えたことが、ものすごくありがたかった!!

仕事も休職することなく続けられたので、とてもありがたったのですが、やはり落ち着いて仕事ができるような精神状態になれたのは、6月とか7月になってからでした。


地震によって、たくさんの人が亡くなって、知り合いにも犠牲者がいます。

友達のお姉ちゃんも車ごと流されてたまたま近くの立体駐車場に飛び乗って無事だったとか、知り合いの方は首まで水に浸かって逃げたとか、本当にギリギリのところで助かった人がたくさんたくさんいて、九死に一生スペシャルが何時間放送できるの?って感じです。

逆に、忘れ物を取りに戻って車に子供を残して母親だけ自宅に戻ったら津波が来てお子さんと車が流されて行方不明、とか、会社の人を助けに戻ったら津波に巻き込まれて遺体で見つかったとか、そんな話もあります。
少しの判断で亡くなった方もたくさんいますが、少しの判断で助かった人もたくさんいます。
でも、助かった人の中には、なんで自分だけ助かったのか?あの人を助けてあげられなかった自分は助かった意味があるのだろうか?一緒に津波で死ねばよかった、と悔やんでいる人もたくさんいます。

お父さんだけが生き残り、そのお父さんも震災後に自殺してしまった家族もいるそうです。


この地震と津波のことは、絶対に忘れてはいけないと思う。


原発問題の方に世間の注目が集まり気味だけど、
地震と津波も忘れちゃいけないと思います。


私自身、今回の震災で、いろんな人に助けてもらいました。
友達が菖蒲がいつも食べているドックフードを買ってきてくれたり、
友達やその家族、ご近所さんやいろんな人から救援物資をもらったり。
(たっちゃんも貴重なお肉を買ってきてくれたよね~♪ サンキュー!)
本当にたくさんの方にお世話になりました。
全国のみなさんに心配してもらい、たくさんの物資を送って頂きました!

ちっぽけなことで悩んだり人を傷つけたりしていた今までの自分が、本当に情けなくなりました。
これからはもっとシンプルに前向きに生きていかなきゃなぁ!って思いました。


がんばっぺ東北!
すごくびっくりしました。
そして、すごくすごくうれしかったです!!

$菖蒲日和


んだなぁ!がんばっぺな! って、思いました。
めぐめぐさん、本当にありがとうございました!
我が家のパソコンのデスクトップになっています。

全国の人がこんなに応援してくれているんだものね!がんばっぺね!
今までもご先祖様が何度も何度も津波の被害を乗り越えて住み続けてきたんだもの、今回の津波も乗り越えっぺね!
東北のみんな、がんばっぺね!



地震からもうすぐ8ヶ月だけど、地震がおきたことを未だに信じられず、その現実から逃げて、でも津波がきたところに行くと未だに仙台市内でも瓦礫がありますし、
もう、なんか、よくわからなくなります。


職場の人達は東北出身者が少なく、職場の復興も早かったので(職場やその周辺は地震の次の日には電気も復旧し、救援物資も早い段階から配られていたらしい)、「職場の備品が壊れた~~」とか、「電気が無い生活を一日体験しました~」とか「家の物が壊れた~」とか「余震が何回もあってこわかったぁ~もう引っ越す~~!」とかしょーもないことだけで被災者ぶっていて、ぶん殴りたくなります(笑)。

職場の仲間の中には、家が無くなった人もいるのに。


私は津波も経験しなかったし家も無事だったけど、ここが地元だから、大切な人達が悲しい思いをしていると、とっても悲しくなります。
とても仕事どころじゃないし、今は仕事なんかほっといて、自分の家のことと自分の体をケアしてあげて!って思うんだけど、職場の上司は「大変かもしれないけど、仕事して」って言うの。

上の人間が全然わかっていないから、本人達はかなりムリをしていて、それを見ていてとても辛かった。

地元が津波の被害を受けている人達は、いろんなことが完全に麻痺していて、

「○○ちゃんのおばあちゃん、見つかったの~。よかった~♪」なんていうから、
「え? 生きて? 死んで? どっち?」って聞くと、

「あ、うん、死んで」

と、淡々と言うんですよ。

親戚が死んだとか、友達の家族が見つかっていないとか、そんなことがすんごいたくさんあるらしくて、もう感覚が麻痺しちゃっているんでしょうね~。
もう、ホント、悲しいですよね。


別に身内を亡くしたわけではないんだけど、学生時代にお世話になった先輩や、小さい頃かわいがってもらったおじちゃんとか、私の思い出の人も亡くなってしまいました。
私の生まれ故郷、私の大切な友達の住むお家、学生時代や社会人になってからの思い出の場所、いろんなものが沿岸沿いにあり、全部津波が来てしまいました。
茨城の会社へ努めていたころ、すごいイヤな会社で、仙台に帰省する度に泣きながら通った道は、今では立ち入ることができません。
浪江、大熊、広野、相馬、いわき・・・。

いやぁ~~~、かなしいねぇ~~~。
ほんと、かなしいねぇ~~~。
知ってるところがこんなことになっているって、ホントかなしいね~~~。
どうしたらいいんだべね~。
ね~~~。悲しいね~~。
だれが悪いわけでもないんだけど、原発だってさ、じゃあ、今の東電の社長が悪いのか?って言われればそんなことはないでしょ?
今まで原発を作ってきた人たちが原因を作ってきたわけだけど、じゃあ、電気を使ってきた人達は日本の国民なわけだし、結局は地震と津波が悪いんだからね~~。
そんなことはみ~~~んなわかっているんだけど、そこにしかあたることができないっていう、東電の人達だって被災者だって、みんな悲しい思いしかできなくて、みんなが悲しい思いをして、なんだか寂しさだけしか残らないよね。

な~~んて思いながら、この8ヶ月を過ごしてきました。


☆   ☆   ☆


ってことで、


あんまり関係ないんですけども(笑)、



10月23日(日)に、


高田と入籍致しました(笑)。



高田に「これからブログでなんて呼ぶ?高田のおっさんがいい? のぶひこ?」
って聞いたら、
「いやだよぉ~~。俺の名字、高田じゃないよぉ~~(涙)」って言っていたので(笑)、

高田改め、「菖蒲パパ」にしたいと思いまーす♪



3人家族になった『菖蒲日和』、

今後ともよろしくお願いしまーす♪