仕事は解雇にならずにいましたが…
無給扱いでの付き添いの日々…
いつまで…と先が見えない中
Ryoの治療と平行して
経済的不安は続いていました
子供の頃から貧乏には
慣れていたおかげで…
私にとって貧乏は
怖いものではありませんでした
頑張って働ける
健康な身体があれば何とかなる!!
実際に何とかなっていましたし
いつも、そのくらいの気持ちで
やってきました
Ryoが悪性リンパ腫になってから
私のシステムは崩壊し
自分で『選択すること』
自分で『決断すること』に
臆病になっていました
この状態で迎えた
Ryoへの『告知』
何もわからないほど幼くもなく
病気を受け止められるほど大人でもない
Ryoは微妙な小学4年生…
担当医のO先生と
担当看護師のリーダーさんと私とで
Ryoへの『告知』についての
打ち合わせがありました
私の『告知はしない』という選択は
無いのでしょうか?という問いに
O先生の回答は…
この病気は『告知無し』では
乗り越えられません
この病気を経験した子どもたちが
退院後の検査等で会った時に
『告知して欲しかった』
『隠されることで余計に不安だった』
という言葉がたくさんあったそうです
長い闘病期間…
病名を隠し通せることも無理なら
『告知無し』で
辛く苦しい治療を受けることも無理…
Ryoの不安を増大させることも
間違いない…
O先生とリーダーさんからの説明に
私の言葉の付け足しをしながら
という形で
Ryoへの『告知』の準備を
することになりました
『告知』の『決断』はしたものの…
本当にこれでいいのか…
明日にはまた…変わり兼ねない
私の『不安定な決断』は
一進一退を繰り返していました
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