私は、現在高校1年です。
側弯症は中2の夏頃わかりました。
本当は中1の時から、腰のところが背中を曲げるとボコっとするなぁっていうのは感じていたのですが、病院をあまりよく思ってなくて、なかなか受診しようとしませんでした。
しかし、母の後押しもあり、病院に行くことを決意しました。
最初は、近所の病院を受診しました。
そこでレントゲンを撮ったところ、「うちではみれない。大学病院への招待状をかきます。」と言われました。
その時は、レントゲンを見せてもらえず、データ化されたものを持たされました。
私と母は、すぐ大学病院へ行きました。
そこで整形外科の先生とデータを見たところ、画面には私の痛々しく曲がった背骨が映し出されたのです。
とてもショックでした。
それは、それぞれ48度くらいのS字側弯でした。
初潮が受診の1、2ヶ月前あたりに来ていたので、先生に、「もうちょっと早く受診してればなー」とは言われたのですが、そこから進行しないようにするために、装具着用を言われました。
初診ではコルセットを作らず、次回の診察でつくりました。
型をとり、1、2週間ほどまって出来上がったもの。
私はそれを見た時、絶望の中にいました。
胸から骨盤まであるコルセット。
左側には、脇まであたるパット。
こんなものを家でも外でもつけていなければいけないのか。、、そんな気持ちでした。
実際コルセットをつけていくと、より不便さを感じました。
夏は蒸れてあつい。服を着ても形がわかる。トイレがしにくい。集会で体育座りがしんどい。重い。苦しい。痛い。骨盤まで覆われてるので、バランスを崩しやすかったです。
私はもともとお洒落するのが大好きで、お年玉やお小遣いは、すべて服や靴、アクセサリー、コスメに使うような子でした。
トップスはピタッとするようなものもよく着ていて、それが着られなくなると思うと、とてもショックでした。
パンツはゴムのものも持っていたのですが、ほとんどがウエストピッタリか、すこしゆるいくらいだったので、コルセット着用時の服装も限られていました。
学校生活で苦労はありました。
1番の苦労は、理解して、そっとしてくれる友達が少なかったことです。
私の通っていた中学校は、みんな小学校から同じでした。
なので、長い友達だから何をしても許されると思ったのか、私のコルセットをいじる人もいました。
コルセットの左脇にある棒のようなものを、服の上からつかんで、私を引っ張ったりする子さえいました。
同じ側弯症の子がいたのですが、その子は側弯が40度ほどで、私のような硬いコルセットではなく、布状のものをつけていました。
なので、私の苦労などわからなかったのでしょう。
その子は、少し前屈みになった時にボコっと出てしまうコルセットを笑いました。
それを、しょうがないでしょ。と庇ってくれる友達もいましたが、私には辛くてしょうがなかったです。
次第に、学校でコルセットをつけなくなりました。
そして、まだ成長期の私の背骨の側弯は進行していき、、、ついには中学卒業後、手術を言い渡されました。
私は、最初手術には猛反対でした。
跡が残るのが嫌だし、高校では運動部に入りたかった。着たい服を沢山着たい。学校は?友達は?
でも、底にあるのは、「また笑われないだろうか」という恐怖でした。
しばらくの生活の制限で、迷惑をかけてしまうのではないか。不安しかありませんでした。
毎日、「何で私なんだ。私だけいつもつらいんだ。」と泣いていました。
しかし、手術の2ヶ月前ほどになると、自然と手術を受け入れるようになったのです。
これに、きっかけなどはあまりありませんでした。
しょうがない事なんだ、と思うしかなかったんだと思います。
手術までに、手術の1か月前から3回の自己血輸血のための採血と、3回のMRI、1回のCTを行いました。
私はその時体重が44kgほどだったので、1回350mlほどしかとれませんでした。
MRIがめちゃくちゃうるさかったです。
人によっては相当なストレスになると思います。
(私は3回全て寝てました笑)
入院は、手術の2日前からでした。
私の手術は夏休みの初めに行われたので、私は学校で出された課題を持って行きました。
最初の2日間は、何も無かったので暇でした。
もちろん検査等があったりしましたが。
手術の日、私は朝の8時に手術室へ行きました。
上はノーブラで長いじんべいのようなものを着て、下は普通に下着とズボンを履いてました。
手術室の手前で、髪の毛を覆うためのネットを被りました。
私は、最後に母と少し話をして、左手首には友達からもらったミサンガをつけて手術室に入りました。
私は手術室に入ってなお緊張とか、不安はありませんでした。
手術中は、血圧や心電図を見ながらやるために、手術の前から注射だの血圧計だの酸素計だのをつけられました。
手術室には私の心臓の鼓動がピッピッ、、と響いてました。
不思議なことにその音はすごく落ち着いていて、まだ実感湧いてないのかよ、、とか自問してました。
ミサンガは、手術直前に外されました。
看護師さんや先生が、「お守りだったのにごめんね。血が着いたらいけないから。」
と言ってくれましたが、私はそれが1番堪えました。
しばらくすると、先生のひとりが、「今からだんだん眠くなってきますよー」と言って、気づいたら病室のベッドの上でした。
目が覚めた時、ベッドの左脇にはお母さんがいました。
でも私は、まだ意識が朦朧としているのか、またすぐ寝てしまいました。
回復室から普通の病室に戻ったのは、手術の翌日でした。
手術後、1〜3日が1番辛かったです。
ご飯も匂いを嗅ぐだけで気持ち悪くなったり、痛み止めも吐き気を催すので、あまり打ちませんでした。
夜になると、より痛みが酷くなってるように感じました。全く寝れませんでした。
手術の翌日に、少しだけ歩いたのですが、すぐ気分が悪くなって病室に戻りました。
術後3日から、尿の管が外れました。
そこからは自分で起き上がってトイレまで行かなきゃ行けませんでした。
起き上がるのに関しては、最初の日は看護師さんが手伝ってくれましたが、次の日自分で起き上がれたので、手伝いはすぐ無くなりました。
(私は趣味と部活で腹筋をよくしていたので起き上がりやすかったのかもしれません。)
術後5日程すると、ご飯も食べられるようになり、すぐに8割り〜全て食べれるようになりました。
また、お風呂に関してなのですが、私は術後5日くらいに洗髪と体拭きをやってもらいました。
大体2日、3日に1回の頻度で、思春期の私は頭皮がすぐベタベタになってしんどかったです。
抜糸は、術後7日(昨日)に行われました。
傷も綺麗なようで、安心しました。
抜糸後、1日様子を見て大丈夫なら次の日退院と言われたので、明日退院予定です!
病院での生活は辛かったのですが、身長も3.5cm伸びて、背骨は真っ直ぐとは行きませんが、10度ほどの側弯に押されえられてて、とても感動しました!
術後は、また3ヶ月〜半年コルセットを付けなくてはならないので、また近況報告します!
側弯症は中2の夏頃わかりました。
本当は中1の時から、腰のところが背中を曲げるとボコっとするなぁっていうのは感じていたのですが、病院をあまりよく思ってなくて、なかなか受診しようとしませんでした。
しかし、母の後押しもあり、病院に行くことを決意しました。
最初は、近所の病院を受診しました。
そこでレントゲンを撮ったところ、「うちではみれない。大学病院への招待状をかきます。」と言われました。
その時は、レントゲンを見せてもらえず、データ化されたものを持たされました。
私と母は、すぐ大学病院へ行きました。
そこで整形外科の先生とデータを見たところ、画面には私の痛々しく曲がった背骨が映し出されたのです。
とてもショックでした。
それは、それぞれ48度くらいのS字側弯でした。
初潮が受診の1、2ヶ月前あたりに来ていたので、先生に、「もうちょっと早く受診してればなー」とは言われたのですが、そこから進行しないようにするために、装具着用を言われました。
初診ではコルセットを作らず、次回の診察でつくりました。
型をとり、1、2週間ほどまって出来上がったもの。
私はそれを見た時、絶望の中にいました。
胸から骨盤まであるコルセット。
左側には、脇まであたるパット。
こんなものを家でも外でもつけていなければいけないのか。、、そんな気持ちでした。
実際コルセットをつけていくと、より不便さを感じました。
夏は蒸れてあつい。服を着ても形がわかる。トイレがしにくい。集会で体育座りがしんどい。重い。苦しい。痛い。骨盤まで覆われてるので、バランスを崩しやすかったです。
私はもともとお洒落するのが大好きで、お年玉やお小遣いは、すべて服や靴、アクセサリー、コスメに使うような子でした。
トップスはピタッとするようなものもよく着ていて、それが着られなくなると思うと、とてもショックでした。
パンツはゴムのものも持っていたのですが、ほとんどがウエストピッタリか、すこしゆるいくらいだったので、コルセット着用時の服装も限られていました。
学校生活で苦労はありました。
1番の苦労は、理解して、そっとしてくれる友達が少なかったことです。
私の通っていた中学校は、みんな小学校から同じでした。
なので、長い友達だから何をしても許されると思ったのか、私のコルセットをいじる人もいました。
コルセットの左脇にある棒のようなものを、服の上からつかんで、私を引っ張ったりする子さえいました。
同じ側弯症の子がいたのですが、その子は側弯が40度ほどで、私のような硬いコルセットではなく、布状のものをつけていました。
なので、私の苦労などわからなかったのでしょう。
その子は、少し前屈みになった時にボコっと出てしまうコルセットを笑いました。
それを、しょうがないでしょ。と庇ってくれる友達もいましたが、私には辛くてしょうがなかったです。
次第に、学校でコルセットをつけなくなりました。
そして、まだ成長期の私の背骨の側弯は進行していき、、、ついには中学卒業後、手術を言い渡されました。
私は、最初手術には猛反対でした。
跡が残るのが嫌だし、高校では運動部に入りたかった。着たい服を沢山着たい。学校は?友達は?
でも、底にあるのは、「また笑われないだろうか」という恐怖でした。
しばらくの生活の制限で、迷惑をかけてしまうのではないか。不安しかありませんでした。
毎日、「何で私なんだ。私だけいつもつらいんだ。」と泣いていました。
しかし、手術の2ヶ月前ほどになると、自然と手術を受け入れるようになったのです。
これに、きっかけなどはあまりありませんでした。
しょうがない事なんだ、と思うしかなかったんだと思います。
手術までに、手術の1か月前から3回の自己血輸血のための採血と、3回のMRI、1回のCTを行いました。
私はその時体重が44kgほどだったので、1回350mlほどしかとれませんでした。
MRIがめちゃくちゃうるさかったです。
人によっては相当なストレスになると思います。
(私は3回全て寝てました笑)
入院は、手術の2日前からでした。
私の手術は夏休みの初めに行われたので、私は学校で出された課題を持って行きました。
最初の2日間は、何も無かったので暇でした。
もちろん検査等があったりしましたが。
手術の日、私は朝の8時に手術室へ行きました。
上はノーブラで長いじんべいのようなものを着て、下は普通に下着とズボンを履いてました。
手術室の手前で、髪の毛を覆うためのネットを被りました。
私は、最後に母と少し話をして、左手首には友達からもらったミサンガをつけて手術室に入りました。
私は手術室に入ってなお緊張とか、不安はありませんでした。
手術中は、血圧や心電図を見ながらやるために、手術の前から注射だの血圧計だの酸素計だのをつけられました。
手術室には私の心臓の鼓動がピッピッ、、と響いてました。
不思議なことにその音はすごく落ち着いていて、まだ実感湧いてないのかよ、、とか自問してました。
ミサンガは、手術直前に外されました。
看護師さんや先生が、「お守りだったのにごめんね。血が着いたらいけないから。」
と言ってくれましたが、私はそれが1番堪えました。
しばらくすると、先生のひとりが、「今からだんだん眠くなってきますよー」と言って、気づいたら病室のベッドの上でした。
目が覚めた時、ベッドの左脇にはお母さんがいました。
でも私は、まだ意識が朦朧としているのか、またすぐ寝てしまいました。
回復室から普通の病室に戻ったのは、手術の翌日でした。
手術後、1〜3日が1番辛かったです。
ご飯も匂いを嗅ぐだけで気持ち悪くなったり、痛み止めも吐き気を催すので、あまり打ちませんでした。
夜になると、より痛みが酷くなってるように感じました。全く寝れませんでした。
手術の翌日に、少しだけ歩いたのですが、すぐ気分が悪くなって病室に戻りました。
術後3日から、尿の管が外れました。
そこからは自分で起き上がってトイレまで行かなきゃ行けませんでした。
起き上がるのに関しては、最初の日は看護師さんが手伝ってくれましたが、次の日自分で起き上がれたので、手伝いはすぐ無くなりました。
(私は趣味と部活で腹筋をよくしていたので起き上がりやすかったのかもしれません。)
術後5日程すると、ご飯も食べられるようになり、すぐに8割り〜全て食べれるようになりました。
また、お風呂に関してなのですが、私は術後5日くらいに洗髪と体拭きをやってもらいました。
大体2日、3日に1回の頻度で、思春期の私は頭皮がすぐベタベタになってしんどかったです。
抜糸は、術後7日(昨日)に行われました。
傷も綺麗なようで、安心しました。
抜糸後、1日様子を見て大丈夫なら次の日退院と言われたので、明日退院予定です!
病院での生活は辛かったのですが、身長も3.5cm伸びて、背骨は真っ直ぐとは行きませんが、10度ほどの側弯に押されえられてて、とても感動しました!
術後は、また3ヶ月〜半年コルセットを付けなくてはならないので、また近況報告します!