あの震災から今日で2年と言う感じです。
2年前の今日、丁度今ぐらいの時間に拓也さんが発見されました。
後に『東日本大震災』と呼ばれるようになったあの日から、3週間後のことです。
もう、あまり震災の事は書くのをやめようと思います。
2年目を過ぎて、自分の中の気持ちは変わらなくても、他人の気持ちは変わるモノ。
時間が経てば経つほど温度差を痛いほど感じる現実。
震災後
「何も出来ないけど・・・」
と、拓也が見つかるまでほぼ毎日隣で私の肩を摩ってくれた友達。
拓也の車が瓦礫の下から見つかり、重機を使って出して欲しいと願った時、
「車の中に人が居る事が確認出来なければ重機は出せません」
と平然と言い放った市職員。
そのやり取りを聞いて、
「だったらオレらが手で出すよ」
絶対に無理なのに、そう言って瓦礫を手で除けてくれた地元消防団の皆さん。
毎日毎日、捜索に歩き回る私たちに
「絶対に見つけてあげましょうね」
と言ってくれた自衛隊の方。
子供達が心配で戻って来てしまった拓也を
「責任感があるのも時には問題だよね」
と否定した人。
逆に、
「最後の最後までカッコ良いパパだったね」
と言ってくれた友達。
悲しみに暮れる私に、
「頑張って」ではなくて
「一緒に頑張りましょうね」
と言ってくれた人。
「拓也の分も、オレ達が永遠と久遠の成長を見て行くから」
と言ってくれた、たくさんの拓也の友達。
震災当日、子供達に会えず不安の中、余震に耐えて眠れずにいたこと。
翌日、子供達を小学校へ迎えに行くのに、瓦礫の中を歩いたこと。
足元に横たわっていたご遺体。
遺体を見つけて自衛隊に声をかけても、
「今は生きている方が優先なので」
と悔しそうに言ったその人の顔。
子供の亡骸を泣きながら抱える友人に、何も声を掛けられなかったこと。
豊間に行く度、震えて一人では歩けなかったあの日々。
いっぱい泣いた。
いっぱい、いっぱい辛かった。
たくさんの励ましの言葉に助けられ、それと同じぐらい心無い言葉も浴びせられました。
忘れてはいけない事も、忘れてしまいたい事もたくさんあるけど。
全部ひっくるめて、
私は絶対忘れません。
そしてこの光景も。
震災の翌日早朝、高台の神社から見た豊間です。
iPhoneからの投稿
2年前の今日、丁度今ぐらいの時間に拓也さんが発見されました。
後に『東日本大震災』と呼ばれるようになったあの日から、3週間後のことです。
もう、あまり震災の事は書くのをやめようと思います。
2年目を過ぎて、自分の中の気持ちは変わらなくても、他人の気持ちは変わるモノ。
時間が経てば経つほど温度差を痛いほど感じる現実。
震災後
「何も出来ないけど・・・」
と、拓也が見つかるまでほぼ毎日隣で私の肩を摩ってくれた友達。
拓也の車が瓦礫の下から見つかり、重機を使って出して欲しいと願った時、
「車の中に人が居る事が確認出来なければ重機は出せません」
と平然と言い放った市職員。
そのやり取りを聞いて、
「だったらオレらが手で出すよ」
絶対に無理なのに、そう言って瓦礫を手で除けてくれた地元消防団の皆さん。
毎日毎日、捜索に歩き回る私たちに
「絶対に見つけてあげましょうね」
と言ってくれた自衛隊の方。
子供達が心配で戻って来てしまった拓也を
「責任感があるのも時には問題だよね」
と否定した人。
逆に、
「最後の最後までカッコ良いパパだったね」
と言ってくれた友達。
悲しみに暮れる私に、
「頑張って」ではなくて
「一緒に頑張りましょうね」
と言ってくれた人。
「拓也の分も、オレ達が永遠と久遠の成長を見て行くから」
と言ってくれた、たくさんの拓也の友達。
震災当日、子供達に会えず不安の中、余震に耐えて眠れずにいたこと。
翌日、子供達を小学校へ迎えに行くのに、瓦礫の中を歩いたこと。
足元に横たわっていたご遺体。
遺体を見つけて自衛隊に声をかけても、
「今は生きている方が優先なので」
と悔しそうに言ったその人の顔。
子供の亡骸を泣きながら抱える友人に、何も声を掛けられなかったこと。
豊間に行く度、震えて一人では歩けなかったあの日々。
いっぱい泣いた。
いっぱい、いっぱい辛かった。
たくさんの励ましの言葉に助けられ、それと同じぐらい心無い言葉も浴びせられました。
忘れてはいけない事も、忘れてしまいたい事もたくさんあるけど。
全部ひっくるめて、
私は絶対忘れません。
そしてこの光景も。
震災の翌日早朝、高台の神社から見た豊間です。
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