時を費やして

人生が導いてくれる言葉の意味を

深く感じてみる






わたしが大好きな

若松英輔さんの著書の一節です。



それは得なのか

意味があるのか


追いかける現代の価値。



そこに生産性はあるのか、

無駄はないのか、

メリットはあるのか。




もちろん

その恩恵の上に

いまの豊かさがあるというのも事実で

有難いと思うし

その価値観を否定するつもりは無い。




それでも

言葉だけは

その対極に

価値があると思うのです。




相手をどんなに深く思っているかを

言葉で伝えようとしても、

なかなかうまくいかない。


思いはつねに、

言葉の領域を超え出ている。




愛する人や

美味しいご飯を前にして

自分が持ち合わせる言葉の少なさに

絶望することがある。



おいしい
うれしい
しあわせ
だいすき



どんなに美しいことばも

思いを表すには不十分で




探す

潜る

もだえる





その時間は

生産性がなく

無駄なんだろうか。




その思いは

価値がないのだろうか。




かけた時間の分が

そのまま

愛情の表明になることもある。



そのとき

「速さ」は

必ずしも

価値ではない。



恋愛の当時は

そんな悠長なことは

言えなかったけど笑

いまなら

既読がついてすぐかえって来る返事より

3時間かけて

「ごめん、探したけど、いい返事が見つからない」


言われたら

うれしい。



愛しすぎて、

書けない。



それも真実だと

知っている。



美味しいから

おいしい!

と言える時もあれば

思わず絶句して

お店のひとに

かろうじて

ありがとう

しか言えない時もあって

必ずしもそのありがとうの価値は

上手なグルメリポートに劣らない。





かけた時間の分だけ

輝くものがある。




それが

本当の

言葉の力で

無言さえも

それは

ことばになる。