イリちゃんのブログ -4ページ目

ありがとう、アサイ。

まだ赤ん坊の頃、アサイは、おばあちゃんに連れられて僕の家によく遊びに来ていたそうだ。
それから同じ幼稚園、小学校、そしてバンドを始めた代々木中学に通い、高校は別だったけど、学校がある駅が同じだったので待ち合わせて一緒に電車で通学もした。
出会ってから、とうとう57年もの付き合いになったね。
ここ数年は、バンド活動とは別に同じ会社で一緒に仕事もしていたんだけど、あいつはそこでもやっぱり皆んなから好かれて、僕なんかよりよっぽど人望を集めた。そして僕は嫉妬した。アサイにじゃないよ。周りに対して「僕の方が、アサイのこと好きなのに」って、変なジェラシー(笑)
アサイは、先頭に立ってぐいぐい皆んなを引っ張ったりしない。周りが勝手にあいつのために働く、そんなリーダーだったような気がする。

10月に入り、秋らしい日が多くなって来た先週、僕はアサイの職場に行き、あいつが使っていたロッカーやデスク周りを片付け、会社から貸与されていたパソコンを整理し、必要なデータをUSBメモリに抜き取ったあとフォーマットした。僕の周りからあいつの痕跡がすっかり消えてしまった。
同じ職場の部下は「浅井さんと最後に交わした会話が、普通に“お疲れさまでした”ってだけだったんですよね。もっといろいろ声を掛ければよかった...」そう言って肩を落としていたので、誰もが同じ気持ちだよ、と言ってなぐさめた。でも、それは自分自身へのなぐさめに他ならなかった。
あいつと最後に話したのは電話だった。そして、楽しみにしていた地元のお祭りがいよいよ週末にせまった9月20日、「お祭り。思いっきり楽しんで👍」とチャットで送った僕からのメッセージに「👍」と返って来たのが最後になった。まさか、そのまま会えなくなるなんて考えもしなかった。



 

9月24日、日曜の午後、アサイのお兄さんのお嫁さんから、あいつが体調を崩し入院することになったので、週明けからの仕事をお休みさせてほしい旨を電話で伝えられた。
いつもなら本人から「イリちゃん、悪い。調子が良くなくて」と電話があり、僕も「大丈夫? 気にするな。お大事に」と言って仕事を調整した。最近はそういうことに慣れてしまっていたのかも知れない。本人からの連絡ではないことを“異変”とは捉えられず、僕は“お祭りではしゃいで体調を崩しちゃって、自分からは言いづらかったのかな”と、ポジティブに捉えてしまい、そこまでの心配はしなかったんだ。

9月25日の朝、目が覚めて、早朝にアサイのLINE電話からの着信があったことに気づいた僕は、ようやっと調子が戻ったのかと安堵し、あいつの「イリちゃん、ごめんねー」といういつもの屈託ない声を想像しながら、すぐに折り返した。でも呼び出し音が鳴り続けるだけで応答はなかった。
(お兄さんのお嫁さんが、あいつの携帯を使って僕に連絡してくれたことを後で知った)

ほどなくしてベンから電話があり、アサイが息を引き取ったことを知らされた。ベンは泣いていた。泣いて言葉を詰まらせながら僕に伝えた。
電話を切った僕は、できるだけ冷静にそのことを妻に伝えると、すぐにヒロべに電話をした。ずいぶん長い間呼び出し音が鳴り、ようやっと電話口に出たヒロベの「おお、イリちゃん」という声を聞いたとたん涙があふれて止まらなくなった。
ヒロベは最初混乱していた。そのためか一度電話を切ったあと今度はヒロベから電話があり、取り止めのない話をしながら二人で泣き続けた。
マッケンは、すぐには電話に応答せず後で折り返しがあった。そのときには、僕も疲れ果ててしまい放心状態だったので、どんな会話を交わしたのかうまく思い出せない。マッケンは「うん、うん」と僕の話を聞きながら静かに泣いていた。

その日のうちに、お兄さんの家に戻ってきたアサイに会うため、僕は代々木上原に向かった。
改札口で待ち合わせた代々木中学からの親友、マチャは、バンドのライブのときや、昨日までのお祭りでもアサイの介助を買って出ていたので、病院に運ばれるまでの経緯を歩きながら聞いた。


お兄さんの家の一階のリビングで、あいつは静かに横たわっていた。
いつまでも泣き続ける僕の肩を、アサイのお母さんが後ろから抱きしめてくれた。



9月29日、アサイの愛用していたギターを葬儀で飾ることになり、それならぴかぴかに磨き上げてやりたいというベンの想いに、作業を買って出てくれた小学校からの親友、トミタ、そしてマチャと僕の三人でアサイの部屋を訪ねた。ご家族に鍵を開けてもらい部屋に入り、特に大切にしていた2本、赤のヴァレー・アーツと、Dramatic 50'Sのサリーさんに絵を描いてもらった白のテレキャスを運び出した。
アサイは、お気に入りの写真を数枚ピンで留めたコルクボードを部屋に飾っているんだけど、夢工場時代の写真は、僕も一緒に写っているこの一枚だった。

10月1日、お通夜。あとから聞いた話では340人以上の参列があったそうだ。
受付などを手伝っていた僕たちメンバー四人は、一番最後に焼香させてもらった。三人づつ焼香台に進むよう係りの方に案内されたが、ヒロベがお願いをして四人揃って焼香した。

10月2日、告別式。棺が花で埋め尽くされると、最後に仲間たちで着せるようにステージ衣装を掛けてやった。白い帽子、白いロングブラウス、白いパンツ、白い靴。全身ホワイトで揃えた姿は、夢工場の生みの親、山本社長からアサイが教わった舞台の上で最も鮮やかに映える特別な意味のあるスタイルだった。

今年4月の、地元のライブハウス“エッグマン”でのステージや、昨年11月のBay City Carnival Finalでも着ていた、そのお気に入りの格好で送り出した。

アサイのお母さんが「またギター弾きな」と言って泣いていらした。




同級生なのに、兄貴みたいなやつだったなあ。特に少年のころは、アサイが見せてくれる大人の世界が眩しくて何だって真似した。
もともとは引っ込み思案で内気だった根暗な僕を、きらきら輝くエンターテインメントの舞台に引っ張り上げてくれたのもアサイ。
バンドはね、ちゃんと続けるから安心してね。
いろいろ頑張るよ。
今まで本当にありがとう、アサイ。