昨日はゲンロンカフェにいってきました*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
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飴屋法水さん×佐々木敦さん!!

これは見逃せないなとずいぶん前から予約して楽しみにしてました!

いやー飴屋さんってかっこいいですね!

飴屋さんのかっこよさの正体も少し見えたような気がした充実の4時間でした。
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以下メモ_φ(・_・

どうやってつくってるのか?

メソッドがない(躊躇)んですよ

誰か立っててしゃべるとかね、

出くわした(閃いた)シーンをつないでゆく

きた依頼をどうするか

表現の衝動はないのか⁉︎
ないです

他人の欲望?とのコラボレーション/半々
どちらかにかたよるときもちわるい

対応するときにでてくる

生まれてくるぞと生まれたわけではないから

緊張しないし、あせらない


鳥、
どうやったら関係もってくれるのか
エサ置いてたら来てくれるかな、これをいつまで待つのかという問題

待つし、
焦んないよね

死ぬことも防げなかった、


作品ていう意識が、ない? ないんだろね

演劇はいま生きてる人がそこにいる

時間は便宜的
20分が80分てやばいよね
でも間延びしたとかじゃなかったっぽい
舞台上でつくりながらというのとも含めて結果として


二重にみえてるのが演劇

当事者だと思っていない自分を知る

演じることによって当事者でなくなる、そういう原理なのかもしれない

3人いる

半分になりたがっている

半分半分に落とし込む作業、演出

麒麟のはなし。
虚構を現実として扱うのが人じゃん。
生き物の発表。しつくした。
そして麒麟ビールの麒麟をみつけた。これにしようと。
河童の一生とかね。

地面との距離。

3階でも床から1メーター。
地面からだと7?メーター。

同時性。
矛盾していることを明らかに同時に体験している。

電車とか。
走ってんのか止まってんのか。
時速何キロで止まってる。

この感覚。

この完全に違ってることが同時におこってるんだ。

だからできないひとはない。
できないわけはない。

観客の想像のなかでできてる
だから生身は必要ない、必ずしも。

生身の生身性が失われてゆく

よむってことがわかんない
作品ってことがよくわからない

メディアミックス
は、物語、あらすじが一緒だから

でも、
コルバトントリはそれができるものではない、

飴屋作品もそう

読んだ、
わたしはコルバトントリを読んだ、
こうして読みました、
わたしのオリジナルもあるかもしれないが、
いや、わかんない

半々ということにはこだわる

小劇場演劇の批判者、
としての転校生メンバー
オリザも知らない、

プロの俳優こわい

半々の感覚を増幅する

非日常にもなれるんだよね
缶コーヒーで気づいた
唐さんとこで、わきで缶コーヒー飲んで気がついた
これって日常じゃん
でも缶コーヒーつくってんの人間だし、BOSSって書いてあったりするじゃん、

ぼくの場合は成り行き。
成り行きって大きいじゃん。

影響力。
演劇のもってる影響力って少ないと思うけど、

動物って影響力少ない。

でも少ないけど、ある。

それでいいんじゃないかと。

若い頃はもっと影響力ほしいと思ってた。

保守じゃなきゃいけないとも思ってる、ある意味。

つくってゆけると思っちゃうとまずい。

魚とかってこっちに泳ぐとか、
いい加減な判断してると思うの

保守性が基本

ビル崩れるとは思ってないじゃん、崩れるかもしれないのに。
そこに安心して座れてるってのは

幸福の提示をしている

しにたくないという意味では保守なんだけど、
対向車はこわくないのに階段落ちはこわいってしたら、これはおかしいんじゃないか

アンチ人工ではない、
でも人工を疑わないわけでもない、

動物的な感触で確かめてみる

動物的な勘で死にそうだったらやらないですよ





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