〈重心論から説く〉
「内展体制の投影部位」として[表 1 ]を掲示したが、その説明に入る前に一応こういうものがなぜ出てきたかという原理を話しておきたい。その 原理を理解しやすいようにするために、今回は特にその部位として重心の集まる点、それから重心を支える点という、重心論から内展体制を説いてゆけば理解がしやすいのではないかと思う。 遠心性の神経といえば自律神経であり、求心性の神経が感覚神経であると我々は教わってきたが、最近の医学ではそのことだけでは人体というものは不可解ということになった。最近では求心性の線維も自律神経は持っている。一方自律神経は今まで遠心性だけだといわれてきたが、ここにも求心性の神経線維を持っているという。


<自律神経・知覚神経:遠心性・求心性> 
これは重大なことで、要するに内臓の機能を営んでいるのは自律神経で
あるから、これが遠心性だけの機能を発揮しているのであれば、調整するにしても非常に簡単である。ところがそうではないということになると複雑になってくる。
また、求心性が知覚神経だけの問題であれば、これも調整しやすいわけである。ところが全部の神経が遠心性も、求心性もという機能も持ち、いわゆる自律神経の中で内臓に作用するということと、運動系の筋肉に作用するということは、これは性質が異なっている。同じ自律神経でありながら機能が異なっているという非常に複雑なことがだんだん明らかになってきた。
良導絡の中谷先生が言うには、良導絡というものは交感神経の興奮通路である、興奮状態の一つの経路である、自律神経が求心性の線維を持っているのでそれが繋がったものであると言っている。
要するに経絡のツボなるものは、神経の分布からいうならば自律神経と いうものは縦というよりも横に分布している。縦に分布しているのは運動神経が縦に来ている。それにも拘らず交感神経的な通路として表われる場合は、経絡線というものが点在している。それを横に自律神経が分布している。そこに繋がれた通路というものが経絡であると言えないだろうかと述べているようである。


〈内展的体制と外展的体制〉
 しかしながらこれは均整法でみれば、我々にとっては納得しかねるところがある。自律神経に求心性の線維があるということは現代の医学で明らかになったことであるから、これを我々が否定することは出来ない。
そうするとこの経絡というものが末端から上行しているものと、中から 外部へ向かつて末端に行っているものがある。五臓の経絡と六腑の経絡というものはそれぞれに走行が違っている。臓器の経絡というものは末端に行っている。片方は末端から入り、片方は末端へ出て行くというようなことになっている。 これを均整法的に考えると、その経絡というものは、要するに片方が内展的体制を司っているものである。他の片方は外展的体制を司っているものである。そういうような関係から片方は末端から行き、他方は内部から末端へ行っているという理論が成り立つ。
それは要するに重心と重心支点という観点から実験的に重心が掛かるよ うな動作をさせてみると、その経絡というものが面白くなってくる。今まで分からなかった縦の線の経絡線というものがそこから解明できる。これは後に実技の時に、体勢を作らせてみれば何経が何ということがわかる。
それは今までいろいろな東洋医学の著書を読んでみても、右の肝経はわ かる、ところが左の肝経や胆経は何をしているのか、これを明らかにした人はない。
中谷先生は脾経というものはこれは膵臓の経絡だろうというようなことを想定されているが、然らば左の脾経が脾臓に行くのか、右の経絡が膵臓なのかこれは明らかにしていない。無論胃経にしてもそのとおり、腎経や肺経は左と右と二つあるから両方にそれぞれに入っているので納得がいくが、右の心包経はどうしたことになるのかという疑問がわいてくる。それの説明は昔から説いたものがない。


〈重心と重心支点から経絡をみる〉
私はこの点を非常に不思議に思った。それを敢えてこじつけかも知れないが、要するに重心と重心支点という立場から経絡というものを眺めてみると、そこに説明がつくのである。経絡上を走っているツボと称する治療点にも当てはまるわけである。 今回はそのような観点から、経絡点に対する均整法の新しい見解を述べると同時に、まず内部に故障が起きると、 [表 1 ]に示した椎骨の点が代 表点になる。その点だけではないが、おもにその点に故障が起きやすい。 要するに重心がそこに掛かっている。


〈重心とは〉
重心とは何かということを一応説明しておくが、この場合謂うところの重心というものは、その重心の掛かったところが病的になる部位であると いうふうに一応解釈してもらいたい。そうすればだんだん明らかにな ってくる。
まず重心が掛かっているところがなぜ病的になるのかというと、人聞は行動動物であるから、行動するというのが人間の特色である。その行動す る場合には重心があって、その重心を支える点があって行動が出来るわけ である。重心とは、日常の行動において重力を吸収するところである 。
体のどこかで動作をする。あるいは頭脳を働かせば頭脳労働なりに頭に重心が 集まってくる。使用するところに重心というものは移行してくるという性質を持っている 重心がその点だけに集まって、重力がそこに加わると機械が焼けついたようになる 重心が日常いつも加わっているところは故障が起き易いわけである 。 それと同時にその重心の掛かっているところにエネルギーが吸収されるというような傾向が人間の体にはある。 これは人間だけでなくて動物はみなそ う なのである。そうすると重心というものが如何に掛かって、如何なる場合に故障になるのかというと、その重心が片寄ってしまって移動しな く なる、固定してしまう。その 重 心が固定してしまうと夜に寝ても、 左を下にすると痛いとか、右下にすると苦しいとか、仰臥した姿勢では寝られないとか、 或いは体をいつも移動させて反転をしていないと寝苦しいということが生じてくる 。
それは何故かというと、重心を一定のところに固定すると、その重心を 支えるために体のある一部を支点とした姿勢が取れなくなるからである 。 そのために右下にしか寝られないとか 、左下にしか寝られないというようなことが起きてくる。


〈健康体は重心の移動が容易である〉
 だから普通の健康体というものは、重心が一様に移動するものなのである。重心が容易に移動するほど人聞の体というものはいい状態にあるわけである。 運動選手でも非常にスピード感があるものは重心が直ちに移動するわけである。動作をするたびに重心が直ちにパッと決まって移動してくれるのである。ところが状態が悪くなって重心が固定してしまうと動作 が鈍くなる。体を立たせておいて実験的に前後に押すとか、左右に揺さぶるとか、捻じってみればそういう動作の良し悪しはすぐ分かる。
だから健康体とは重心が非常なスピードをもって移動しやすい人、移動 がスムーズにゆく人である。ところが一定のところへ重心が片寄ってしまうと、もうこれは一定の動作が出来ない。ある動作は体が引きつるとか、 この動作は出来難いというようなことになってしまう。
それが傾斜圧となって残り、体に影響を及ぼ すわけである。だからそういう重心の片寄りやすいところがあるのを、外的な衝動を受けてそうなった場合、外部から内部に及ぼす影響を椎骨だけの運動という面から眺めて、背中の椎骨に当てはめたのが、第16回までの講習で説いてきた「外展体制の投彫部位」という分類なので ある。


〈重心を支えるところに治療点がある〉
 重心のあるところに故障があって、支えているところがその治療点である。だからその面でいうならば末梢部であるところの手と足の点というものが、いろいろ体に効いてゆくというのは、そこが体を支える重心支点だ から効くわけである。これは均整法の立場から眺めた場合にそういうことが言 える。
だからある面から考えれば、経絡というのは中国人がそういうような 重心とか重心支点という面からも眺めた時期があるのではないか、どの動作 だって全部が合致するのである。均整法ではそういうふうに重心がどこに あって、重心支点がどこになっているかということを考えればいいわけで ある。

<同系統のものは同系統へ作用する> 
何らかの条件で脳の中枢に影響を与えてそういうことになるのだろうと思うのだが、人間の体というものは同じ形をしているものは、同じ形をし たところに直ちに作用するという性質がある。
だから角質層の下に脂肪突起がある。あの脂肪突起 に刺激を加えると、体にあるところの脂肪突起の全部 に影響を与える。これを我々は断層論と称しているけれども、これは重要なことである。毛根のところに脂肪が溜まっているところがある。頭の髪とか、髭とか 足の毛が生えているところに脂肪が付着している、その点を刺激すると腹などに回っている脂肪が取れてし まう。


<後頭骨と環椎> 
だから形でも同じで、同じ形をしているものは同じ形のところに影響するわけであ る。手の操作をやって足に効くのもそういうことで説明が出来る。要するに環椎と後頭の関節、頚の付け根、昔から中風になる と親指が内屈しているが、この肺経がなん で中風に影響するのか。脳溢血を起こした りすると鍼灸では親指のこの点(合谷)が覚醒点になっている。 何故なのか、これは後頭骨と環椎の関節と、親指の手根中手関節とが同じ形である。 だからこの手の関節に刺激が行きさえすればこの頭の関節は緩んでしまうことになっている。そのために効くのであって、頭頚関節のところへ肺経の経絡なんか行っていない。だからこれを経絡線で説くとおかしくなる。

〈耳、鼻、目に五臓六腑が現われる〉
耳だって同じである。鍼灸界で耳診法などといって、耳にプスプス鍼を刺しているが、耳だけではない何処だっていいのである。観歪法でいえば鼻にだってある。鼻の奥に五臓六腑みな並んでいる。それで鼻ヘ刺激を加えてもいいし、鼻柱というのは脊椎骨を比例して現わしているといわれている。鼻柱を押せば何番の骨が歪んでいるなどということが分かる。目にだって五臓の関係が出てくる。どこにだって全部ある。
そういうふうな解剖学上似ているところがみなあるのだから、我々が知っておかなくてはならないことは、同系統のものは同系統のところへ作用するものであるということである。
要するに私などは形体学という点から研究しているのだから、そういう 面から眺めていけば、経絡であろうが、銭灸点であろうが、形体学という点からそういうようなものを一つ一つほぐして行くと、今まで全然分からなかったものがそこに明らかになってくる。


<経絡の走路と重心支点>
 経絡でいうならば、なぜ内界から外方へ向かうところの経絡の走路と、末端から内方ヘ向かっているところの経絡の走路があるのか。これに私は 不思議に思った、なぜこうなのかという原理を説いた人がいない。
これを重心という面から考えてみた場合に、なるほどこれは中から起きるのは当然であると、中から外へ向かうのが本当である。それから片方は 末端の方から中へ行くというのが本当の姿であるということが、重心と重心支点の関係から解明された。


〈足と手:同形の関節が応じる〉
 立っていていろいろ動作をするものがあるが、それには上肢と下肢とに同じような関節を持つ てないと応じられない。よく軽業師が綱渡りを やっているが、手を振って体のバランスをとっ ている。手を使わない綱渡りなんてない、手が ないと舵がとれない。要するに足を中心にパッと決めるには、手がシーソー現象を演じなくては足の行動にはならない。
手で行動する場合は、足がそれに応じなくては手の行動にならない。小手先でやるものだったらこれは手の先だけでいい。肘から動かすようになってくると、足が動かなくては肘から先の運動にはならない。足が応じない動作というものは、暫くは出来るがすぐに疲れてしまう。足が応じるのには、足が手と同じような関節を持っていないと、手の動作に応じない。手も足の関節と同形で なければ応じることが出来ない。だから手の操作をやって足が治ったり、 足の操作をやれば手が治るということが生じてくる。


<重心支点は経絡線上に出る>
 例えば、第 3 、 4 、 5 指が痩れたり痛んだりする。それは整形外科などの原理では僧帽筋の緊張のために胸椎の 1 番が萎縮する。そうすると肋骨のこの位置が鎖骨の方へくっついてしまうのである。そうすると この 3 本の指が痔れる。大抵この 2 本(第4、5指)がいけませんという。知覚神経の関係 からいうならば、それは D1の脊髄神経がおかしくなっていることになる。
ところが我々の形体学的なものから見る ならば、鎖骨と 1 番目の肋骨とがぴたっとくっついている。それを離してやると治ってしまう。 この場合、重心支点から考えて見ると、胸椎の 1 番が萎縮して肋骨が鎖骨へくっついてしまうのである。鎖骨がくっついてしまうと、立位の場合に足の小指側ヘ重心支点が掛かる。だから小指側にこれを治す点 がある。小指側といえば膀胱経と腎経である。この場合足の腹の腎経(湧泉)ヘ支点が 掛かる。鎖骨のここ(兪府)が萎縮すると腎経が支点になる。
ところが鍼灸師に言わせると、これは腎経が僧帽筋の関係で、僧帽筋の中を通っているからその腎経は治るんだというような苦しいことを言っている。僧帽筋は腎経だけではない、他のものだって通っている。僧帽筋を通っているものは全部効かなくてはならないものが、腎経でないと効かないのは何故なのか。


〈経穴点とは重心支点である〉
それは重心支点が掛かるからである。私はある点では鍼灸の経穴点というものは、あれは重心を支える点なんだと現在ではそういうふうに解釈している。その点が全部合致するのである。手をついて試してみても、足で立ってみてもそのものがずばりそれへ効くのだから仕様がない。
だから経絡というものは、その重心とかいろいろな角度から研究された ものであると思う。この重心の系統だった研究というものは私を以て嚆矢 (コウシ=はじめ)としている。だからこういう面から経絡線というものを扱ってみるのも面白い。これは手技でやる場合には非常に効果がある。それと今回大切なことは、同系統のものは同系統に作用を及ぼすということ、これは治療のコツである。


〈縦に走行する経絡線〉
縦に走行する経絡線というものは解剖してみても全然ないが、ただ経絡線上の経穴は交感神経の興奮点であるということだけは現在生理学者が唱 えるようになってきた。
交感神経の興奮点といっても、交感神経がなぜ興奮するのか、なぜに縦 に興奮点があるのか? やはりそれも重心と重心支点ということから考慮すれば、交感神経の興奮点ということの説明がつく。 そしてその間に点在している交感神経の経路であるところの縦に走行する経絡線上のツポなるものは、体がいろいろ変動するものだから、上が少し形が変わってもその支える所が上になったり下になったりする。だから 重心支点となる重要な点(ツボ)は膝から下にあるというのはそのことである。


〈重要なツボは手足の先にある〉
体を変幻自在にするという、遠心的に影響を与える点がみなこの手の肘から下(先)にある。上にはあまりない。それから見てもこれは重心という ことを考慮に入れないでは語り得ないことになっている。
体の中心に近いところほど重要な点がなければならないのに、遠心的に頭の中まで浸透させるとか、いろいろ体の中へ反射を及ぼすというのはみ な手足の末端にある。末端ほどいい。
それから経絡において原穴と称するものはみな手首足首のところ になっている。そこに原穴があるということを考えても、足首と手 首というのは行動する場合、その 点にいつも重力が鋳かるからである。
あまりスムーズに動かないところに原穴がなくて、手首足首にそういうモトになるところの原穴が あるというのは、やはり重心、重力関係ということが考慮されたためである。
そこへ気が付かなかったとしても、そこに原穴が生まれたというのは、そこが支点になっているからである。体を支えている点だからそこにそういうものが現われるというのは当然である。そういうことから人体というものを眺めれば自ずから新しい分野が開かれる のではないかと思う。


〈経絡は肘・膝から先を使う〉
それから機関誌( 11号、 12号・・臨床均整法)に各臓器の故障を治すことが克明に書いであるが、その点がポイントであるということを考えておけばよい。 それが重要な点で、その点だけでもうまくいけば治るのである。でも一点 だけで効果を現わすことは仲々難しい。だから体型を整えてから、機関誌に挙げてあるその一点だけを調整する。その一点が病気の活所なんだから。 それから均整法として内臓の機能を鼓舞したり抑制したり、或いは肱張 したり収縮したりするような経絡の点が挙げてある。経絡の点は出来るだ け膝から下を使うのである。手であるならば肘から先の点を刺激する。それは鍼灸点を刺激しなくてもよい。我々が行使するのは銭灸点でなくてもよいのである。
人体を縦に走行する経絡を用いて調整する場合、足なら膝から下(特に 足首から先)を、手なら肘から先(特に手首から先)を操作する。刺激点は鍼灸の経穴にこだわらなくとも、手技でやる場合は経絡のどの経穴を用 いてもよい。


〈支点と経絡の実例〉
経絡を用いて体に現われるのをのを実験してみせる。さあ誰かモデルと して出てごらんなさい、経絡線を見せてあげる。
(モデルが出てくる)これは右が萎縮している。右肩が下がっているのが見える。 乳房も右が下がっている。肩が下がっているしこの肩幅が長い。こちらは 短い、下がっているからこの肩が長くなっている。これはそういう傾斜圧を受けている。
目をつむって足をぴしゃっと合わせる。そしてお腹の力を抜いてしまう。肩で重心を受け止 めようとするから右が下がっている。倒れるからこちらへ寄せて自分の体を保つのだから、こ れは F4 である。
この姿勢を保つためにいつもこう下がってい ると、左足の指先(左足の肝経、第1、2指)でいつも支持しているわけである、おのずから知らず知らずにこれへ無理が来ている。ここを支点にして いる。右が下がっていると、左を支点にしない とこの体は止まらない。はい分かりました、仰向けに寝た。
こう下がっているのだから一番影響を受けているのは、肝臓が傾斜圧を 受けている。傾斜した圧を受けているからこれは肝臓の機能が低下してい る。肝臓を拡げたらいいのであるから、背中でもこれは調整できてすぐに治すことが出来る。
肝臓を拡げるのだから D 10でも D 11でも構わない。 D 11の棘突起を捻ってびゅーんとやると、肝臓はぱっと砿大して形が伸びてしまう。肝臓が鉱 がれば重心が移動してしまう。(注:これはカイロの技法)
経絡でやる場合は、肝臓が悪いのだが、直接肝臓はやらない。肝臓が悪 いために立って行動するのは左足の肝経を支点にしているのである。経絡 では肝経を補すのはどこかというと、腎経である。では左の腎経が補しているのであれば、右の腎経は用事がないのである。 重心支点からいえば、左の腎経で肝臓を助けているという現象が力学的に証明が出来る。だからどれを用いるかということは、どの経絡が力学的 に支点になっているのかと考えて用いればよいのである。
右の腎経などやっても何の効果もない。右は胆経をやるのである。だか らこの人の体型では左の腎経を以て補し、右の胆経を以て補法とするという。それをやると完全にぴしやっと合う。均整法では経絡の使い方など技術の行使が見事にできる。
ではその腎経でも点を使うのであれば、左の腎経の経穴点のどこかにこ の肝臓の疾病の様相が出ている。投影がこれ(注:左足の第5趾内側の腎経線上か?)にあるのである。調べてみたらこれへ出ているからその点を選ぶ。
だから鍼灸の経絡の点の用い方でも、均整法では姿勢を取らせただけで どの点を用いるということが的確に分かる、だから無駄がない。この姿勢 ではこの経穴を選ぶべきであるとピタリと決まってしまう。
このモデルは肝臓がおかしいから、肋骨も右 が下がって右の「期門 」をこすると痛い。ではこれを経絡でとる。重心を掛けると左足の肝経で、親指のここ (拇趾と第2趾の太敦、行間、大衝あたり)へ重心が掛かる。重心は左足の親指が支点になる。
だから経絡とは、人間の行動におけるところの支点の線である。行動支点である。それ故そこに重心が加わるから痛い。それで一番痛いところを操作したらいい。そこを擦すってみるのである、擦すってみてどれが一番痛いですかと相手に聞く、モデルはこれ が一番痛い。だからこれを調整しておけばいい、一番応えるところを突いてやればよい。お灸と変わりない、チクッと縦に突いてやる。最後にちょっと横に捻る、きゅっと拡げる。これで終わりになる。
編者:注(矢野先生に聞く) 
これは刺激を深部に聞かせるためのテクニックの一つである。
亀井先生は筋肉の断層論で以て、一層、二層、三層と筋肉の深部に刺激を加える法を説いておられる。
或る人は (1)の圧、 (2)の圧、 (3)の圧という表現を用いている。野口整体では刺激の角度を変えると説明している。 例えば、肝経の原穴の「太衝 」を刺激する場合(1)で太衝の少し先の点に拇指を当てて固定し、 (2)で大衝に向けて縦に突き上げ、 (3)でその力を緩めずに、キュッと横へ捻るように 押し開くことによって深部に刺激が入ることにな る。

それから腎経の操作になる。この親指のこの側へ、この 2 指のどちらか へ、体をこれで受け止める。これ(親指)か、この 2 番目のこれか、両方 のどちらかへ、これを受け止めているところがある。こちらは受け止めて いないから痛くない。こちらは受け止めているから、ちゃっちゃっとやる と痛い、ここが支点になっているからこれが痛い。(この、これ、こちら等々不詳) この重心支点が操作点なのである。この両者(左足の肝経と、腎経の過敏点)を消しておいたらいい。
これで最初の姿勢へ戻したらどうなっているか。これは痛みがなくなっ ている。(モデルも自分で擦すって痛くないと言っている)
少し残っているけれども肩が上がっている。肩が上がっているから目を つぶらせてみても揺れがなくなっている。揺れの無理な止め方をしなくなっている。これが均整法におけるところの経絡線の用い方である。重心が どこへ掛かつて、それを支えているのは何処が支えているのか、それから 各ツボを探す場合は、支えた点の経絡線上にそのツボがあるのだということを忘れてはいけない。 だから只今の実技で、昨日講義で経絡は重心の支点の線であるということが分かっただろうと思う。体を保っている縦の線というのはなぜあるの かということ。我々は行動しているのである。その行動を支えているとこ ろのその線が経絡線なのである。銭など持ってこなくてもぎゅっと突き上 げさえすればいっぺんに治ってしまうから経絡線を応用できる。
だから肝臓ではどの経絡とどの経絡が補法になる、どの経絡とどの経絡 が抑制法として使うとなっているから、その径路をどこでもよい、経絡をつかまえるのは足首から下でありさえすればツボは何処でもいいのである。 それをやれば全部経絡線で病気は治ってしまう。



<三動作で支点を探す>
 それから背骨はこういうふうに移動して曲がるのであるから、背骨がどこで屈曲しているのか、その屈曲している点が治療点になる捻じれているものなどは、捻ったときにどこへ掛かるかというと、その姿勢をやってみると、どの点どの点ということが支えで分かるあるいは前後の動作で、踵の方で維持しようという人がある。
前後・左右・捻れという三つ動作しかないから、その三動作をやるとど の所で支えょとしているか、捻じるときは手をこう捻って手でカジを取っ ているから、手の点はそれでやればいい。力感を感じる。
自分でこうきゅっと思いっきり捻じる姿をすると、体が捻れるものだか らこの手を捻ってカジを取っている。自分で捻じってみれば、どの経絡に力感を感じるか、これが支点である。だから手の経絡も全部そういうことで使用できる。


〈ツボを姿勢で浮き出す〉
 それでツボというものは、鍼灸の人がやるのであれば、経絡点にツボがあるのだから、その経絡点に鍼なり、灸なりすえたらよい。我々は末端できゅっと締めるだけで終わらせてしまうけれども、鍼がしたいとか、灸がしたいのであればその点にやればよい。 どの経絡のツボを用いても、その時の姿勢によっていくら探しても過敏などは出てこない。捻って探すと経絡のツボは浮いてきて、捻じったままぽーんと鍼をうつ、灸をすえても一位でいい、痛みを止めるのにも手を捻ってやるならー火(ー壮)でいい、チカッと鍼を刺したり、灸をすえたりしたら痛みは止まる。捻じらないでそのままでやったら、毎日据えても駄目である。捻って経絡を受け止めればいい。だから鍼でも捻ってこのままキュンと刺す。一ぺんで効くんだから仕様がない。 それは皮膚針を打ったらよく分かる。痛みを止める場合、私は皮膚針の中の大体角質層のところまで行くところの鍼を使う。その点までピンとゆく。捻ってピョンと打つとーぺんで止まる。真っ直ぐにしてピョンとやっても駄目。だから経絡というのも近頃はわけが分かつてきた。力学的なものからいうとその様相が分かつてくる。