平成26年11月16日
田老桜植樹ツアーの二日目です
 
7時半にグリーンピア三陸みやこ発
 
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早朝の静かな庭
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食事を済ませて玄関に出るとボランティア運転手の伊藤君、佐川さん
がマイクロバスを玄関に寄せていました
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まだチェックアウトする人もいません
ロビーは静です
壁には地元の言葉で「がんばっぺぇ~す、宮古」の垂れ幕が見えます
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 7時30分車で移動
グリーンピア三陸みやこから車で10分程の所に大防潮堤があります
そこでNPO田老の大棒さんと待ち合わせ
15mの高さにいる人影が小さく見えます
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この防潮堤は明治の大津波の後に作られました
 
説明によると
 
当時、満州建国の為に多くの人が満州へ移住する政策が取られ、
宮古にも要請があったそうですが、住み慣れた郷土に住み、故郷を守りながら
漁業で生業を立、住み続けたいと言う多くの人たちの熱意で
この大防潮堤が築かれたとの事
 
当時の熱意と技術力が如何に素晴らしいものであったかを
平成の大津波で証明しました。
崩壊する事なく津波を弱める役割を果たしたそうです
 
 
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巨大で厚みのある水門
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漁業関係者の作業場
水揚げされたもろもろの品が処理されます
漁業を復興させるために、いち早く建設されたそうです
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15mの防潮堤の上で、震災前と震災後の写真を見ながら説明を受けます
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説明に聞き入る
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高台にある旧田老役場庁舎を望む(電柱の奥のドーム型の建物)
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明治の大防潮堤から被災した「たろう観光ホテル」を眺める
今は震災遺構として宮古市が買い上げ、保存する事になっている
新しい「たろう庵は」写真右手奥の方の高台に移転、建設中
 
手前のコンクリート群は昭和の大防潮堤の杭
杭を残して全てが津波で崩壊した
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バスで震災遺構のたろう観光ホテルを訪ねる
廻りが整備中の為に中には入れません
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この横にあるプレハブの事務所で
ホテルの松本社長自身が撮影された被災時のビデオを見る。
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海面の高さが6mにもなり、15mの防潮堤に津波がぶつかり
越える様子が良く分かる。下にいる人達に「津波来るよ!早く逃げて!
とビデオを撮りながら叫ぶ声が痛々しい
 
襲った津波は2階までを破壊し、
3階は裏山に当たって跳ね返った波が破壊したそうです
 
自然の脅威は人の想像を遥かに超え、人は成す術がないのでしょうか
イヤ、備えは出来るはず。残った防潮堤がが証明しています
 
更にバスで
震災遺構から国立三陸公園近くの高台に再建中のたろう庵へ
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建設中の為、足場と防御塀があります
岩清水園芸の吉田会長の説明を受け、現地の方々と一緒に植樹開始
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裏手の庭
松本社長、たろちゃん共同組合理事長・箱石さん、メンバー山本さん
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大棒さん、山崎先生
雨澤ご夫妻、 佐川さん
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JF漁業組合の前田さん家族、NPO田老・理事 新屋さん
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祈念碑の前で記念撮影
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当会からの祈念プレート
松本社長と岩清水園芸さんの計らいで庭の石に取り付けて下さいました
”感謝”
そして、桜が年々成長し、渚亭・たろう庵の発展と共に成長する事を祈ります
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植樹後、歩いて国立公園・三王岩を見学
 
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駐車場の展望台から夕日の沈む方角にある町を望む
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津波鎮魂の歌碑
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津波に打ち付けられたアワビの貝殻
高台の中腹にあり、津波到達地点碑よりも遥か高い所にある
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漁港製氷塔に記された各年代の大津波表
明治の津波15m、平成の津波17mが一番大きく昭和は10mである
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この後、JF前田さんのお世話で組合事務所で海産物を購入し帰路に就く
お昼は善助屋食堂のお弁当を注文しバスの中で頂く
 
宮古~盛岡
峠はやはり雪でした
 
ボランティアで運転をしてくれた伊藤君
皆さん、トイレ休憩中
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途中事故渋滞にあうも予定通り佐野SAに到着
仁平さん、雨澤さんご夫妻が下車
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佐野SAでパチリ
お疲れ様でした
 
21時30分、予定通りに目黒駅着
参加頂いた皆様、お疲れ様でした
そして、有難う