1987年3月19日
勤務先の名古屋レジャー開発は、マハラジャの勢いに乗って初の県外出店、静岡県の浜松にマハラジャ浜松をオープンさせました。
86年末のホテルでのディスコパーティー(今昔物語07参照)で、成功の鍵は手にしていましたので余裕はありましたね。
ただ、やはり転勤となりますと、通常のリーマンではありませんし、なんたって水商売です。
なれた土地、顧客を手放し地方に行くスタッフなど、なかなかいませんでした。
私は、店長になる○本さんと仲が良く、可愛がられていたので転勤する気満々でした。
でも結果は、社長からの、お前は俺の目を離すと駄目だぁー! ということで却下です。
この当時は、まだまだ上司に比べ、まじめ君でしたけど、本質をみぬかれたんですかね?(笑)
場所は繁華街のストリーム浜松の地下でした。
入り口のエントランスから客席に行くまでに、ブテックコーナーがありました、地元西武百貨店のショップが
期間出店です。
僕が学生のときに、歌舞伎町のGBラビッツでみた、小さな売り場とは違います、
ショーケースがどーんどーんです。
目の前には、古くからあるライバルディスコ、すぐに閉店に追い込まれました。
この時ぐらいから、オープンには、やばい空気が漂ってきたのです。
他店の嫌がらせです。
地下です、階段に道路工事の
コールタールまかれました!
浜松がオープンしてからは、土曜日の仕事が終わると名古屋から新幹線に乗って遊びに行ってました。
営業終了後、店長が売上を夜間金庫に入庫するとき、付き合えといわれ付いて行くと、怪しい輩の車がつけて来ます。(全然、知らない奴らしい)
店長曰く、毎日銀行に行く道 変えないと
やばいのよね 襲われそう!
普通に語ってました、こわー!
(店長も昔は下関のバリバリ族卒業のかたでしたから、やるときゃやる人だったんです)
まだまだ続くよ浜松の夜。。。。。