平舘宿(たいらだて)へ

と向かいます



蟹田宿から13.5km


ずっと海沿いでほぼ国道280号線なので、

まず迷いはなく歩けますおねがい








【久須志神社⛩️】

左に見て通り過ぎます


神社って高いところにあることが

多いけれど、

ここは、すぐ海だから

やはり高いところにあるのでしょうね








左側にこんな階段?

山の上に移動するのに歩きなら

ここを使えますね😊👍

目が回りそう…❓









ここは右に入ります➡️











【尻高遺跡】

解説には、発掘調査は行われていないが、

製塩土器片が見つかっている


という

平安時代から鎌倉時代のものです

このあたりで塩作りが行われていたということ











名残の松

道路が舗装ではなければ、

昔のままのように見えますニコニコ


いい景色ですね〜照れ


ここで一休みしたくなる情景☕️










【吉田松陰乗船の場跡】

吉田松陰が、

嘉永四年(1851)

ここから乗船して青森に向かった場所






道路標識も

龍飛の地名も出てきましたよキメてる













旧平舘村のマンホール

平舘の灯台のモチーフで、

旧村の花 ハマナス

旧村の木 クロマツ

上部にウミネコ










【天満宮】

菅原道真公を祀っています










平舘宿

に入りました

小さな宿でしたが、

弘化四年(1847)三月

平館沖に 異国の捕鯨船が錨を下ろし

8人が上陸。

ジェスチャーの結果、

食糧を欲しがっているとわかり、

粕漬け大根を与えたが、

翌日は米を欲しがった。


沖合に鯨が現れたときは

忙しくて上陸せず

4頭の鯨を捕獲


船内で豚も飼っていたというびっくり



このことがあってから、

弘前藩は、

平舘台場陣屋を作りました








【平舘神社⛩️】


敷地内に寺もあり、

明治時代までは神仏習合の場所でした








このあと、松並木がしばらく続きます










【津軽国定公園】

弘前市、五所川原市、今別町、外ヶ浜町

つがる市、鯵ヶ沢町、深浦町、

中泊町

にまたがる26000ヘクタールが

自然公園になっていますが、

ここも津軽国定公園





『松前街道』の表示がされていますねおねがい










草が伸びていますが、

平舘海水浴場です

ここから、ゴミゴミしなくて

泳げそう〜照れ






ここは、海水浴だけでなく、オートキャンプも

できます


何組か車で来てキャンプしている人もいました










【平舘台場跡】

青森県指定文化財

外ヶ浜町指定文化財


嘉永二年(1849)

弘前藩が構築した砲台


弘化四年にオランダ人が上陸したことを

受けて

弘前藩が設置


窪地7個所

出入り口 2箇所

土塁の高さ 2.3m

幅 10m

33本の松🌲


平地に造られた砲台を持つ

西洋流の台場として重要なものです




台場の中はこんな感じで、

左側が海です




こんなに松があれば、

ただの松林くらいにしか海側からは

わかりませんニコニコ








松前街道 の表示がうれしい☺️








台場の左隣には

【平舘灯台】





旧平舘村のマンホールにも

灯台のモチーフですが、

マンホールの灯台は角型のようで、

現在は丸型ですね



灯台から陸奥湾を見たところ

この沖に、オランダ人の船がやってきたのです








その灯台の横にある


『ペンションだいば』

ここで本日宿泊します


ただ、まだ時刻は15時台

日暮まではまだ時間があるので

荷物を置いて

少し進むことにしようかと

思ったのですが、


帰りのバスはどんな時刻であるのか

相談しようと思っていました。


そしたら

なんとペンションの人が

「送っていってあげるよ」

というご厚意で

ありがとうございます😭



歩きで1時間半くらいの場所で

車の停めやすいところまで

送ってもらい、

ペンションに向けて戻ってくる


ということにしました照れ



ただ、ここからは

道順にしたがう形に紹介していきます





ペンションから

国道280号線に合流するところにある

【春日神社⛩️】










ここが松前街道とわかる

国道280号線の表情

龍飛の表示が嬉しい〜

待ってろよ〜龍飛おねがい









【石崎無線中継所跡】

本州と北海道を結ぶ日本電信電話公社の

通信拠点でしたが、

平成13年に光ファイバー開通で

使われなくなりましたが、

高さ89mの塔だけ残されていました。

いよいよ撤去のようで、

周りは工事中でした






同じ 石崎地区にあった


石崎小学校跡


開校百周年の碑がありましたが、

学校はもうありません。


石崎小学校は、1974年に平舘小学校に統合。

しかし、

その平舘小学校も、

2019年に蟹田小学校へ統合赤ちゃんぴえん


無明舎の本には、

「平舘小学校の児童や父兄たちによって

毎年街道行列が行われている」

写真付きで

松前藩の街道行列の様子を

伝えていましたが、

平舘小学校自体がないので

今はもうやってないのでしょうか?


奥州街道を北上するに連れて、

閉校した学校をいくつも見てきました。

本当に多いですあんぐり









【聞法寺】

鎌倉時代の永仁三年(1295)、

日持上人が伝導のため

蝦夷へ渡る際、

海上で法華経を唱えると

大量のが浜辺に打ち寄せ

漁師たちは喜んだのでした。


法華経のお坊さんが授けてくれた魚なので

ホッケと名付けた


ということでした

そうだったのですねびっくり



その船の上の様子の像が、

お寺の前に立っています。


このお寺の前も工事中でした。




本日はここまで