予想された展開に予想された程度の出来の映画と言ったら、才人三谷幸喜に失礼だろうか?
ロッキード事件で政治家の答弁として代名詞となった「記憶にございません」を文字通り記憶喪失になった総理大臣という設定で描きます。支持率1桁台の傲慢な総理大臣が記憶を失い、記憶を失うことで逆に政治に真摯に向き合い、それが共感を生み良い人に生まれ変わる、というお約束のようなお話です。
大人の寓話としての物語をコメディタッチで描く事で、時に微笑ましく、時にホロリとさせる、ある意味お約束のようなストーリーを、平坦と見るか予定調和を安心して見るか、その見方によって評価が分かれると思います。
僕なら前者。映画として金を取って見る程の映画ではない。
舞台劇調の作り方は、いつもの三谷幸喜ワールド。才人三谷幸喜は、勉強家だしニールサイモンの舞台を良く研究し、映画そのものも深く探求されてます。であるからしての玄人好みの脚本を書くのだけど、才に溺れて枯渇してしまった感がある。元々もっとハチャメチャなスラップスティックなコメディを得意としていたはず。その辺が曖昧なので、それなら宮藤官九郎の方が上をゆくと思う。オリジナルのコメディを作り続けるの難しいよね。それでも批評が三谷幸喜を甘やかす事なく厳しく捉え、12人の優しい日本人のような傑作を描くよう叱咤すべき。