台風19号がやってきます。

一か月前の15号の傷跡も癒えない中、再びの来襲。

前回の停電と断水がよほど懲りたのか、前日からホームセンターは大盛況、ガソリンスタンドにも長蛇の列が出来てました。

災害への備えは必要なれど、過剰反応はどうなのか、この集団心理に実は少々癖壁としています。

 

千葉県も、今回は前回の反省に立って、衛星非常電話を持つ職員全市町村に派遣とメディアにありました。

前回の森田健作知事の無策があまりにひどかったから、これもまた過剰反応。

 

ただやはり、今回の超大型と呼ばれる台風の影響がありませんように、と願うしかない。

自然災害の怖さはまざまざと見せつけられましたからね。

 

 

 台風15号による災害について、恐らくはメデイアでは伝えきれてない点が多いと思うので、ここでいかに今回の災害が酷かったか、僕の知る範囲で書き留めようと思う。

こういう記録は当事者として書くべきだと思う。

 

僕自身、今回は色んな意味で困難を極めた。

「そんなことないだろ、お前野球来てたじゃん」なんて言われる向きには、一言もない。

確かにその通りです。

本当に大変な思いをしてたらそれどころじゃないでしょう。

それでもね、俺は大変だ、なんて言う泣きは好きではない。

どんな時でも極楽トンボを決め込むくらい楽観的でありたいと思ってます。

 
まず第一に、今回の台風では死者行方不明者がほぼ0だった点、ラッキーでした(熱中症等の間接被害は除く)。
台風そのものの爪痕を見れば、よくぞこれで死者が無かったと思わせるような、それほどの衝撃であります。
 
幸い千葉は土砂災害するような山や大きな氾濫を起こすような河川が少なかった事が、人的被害をもたらさなかった要因ではないかと思います。
恐らくは今回の台風の規模そのものでいうならば、広島や九州での土砂災害に匹敵する程の規模であったろうと推察します。
この死者0という結果が県や国の災害支援の遅れになったし、メディアの無関心に繋がったものとおもわれます。
 
それでも多くの家屋が損壊し、鉄塔は倒れ電柱はなぎ倒され、千葉のライフラインは危機的状況でありました。
実はこれが1番応えた。
これまでの台風の時の停電なんてのは、大概1時間程度、東日本大震災の時でも復旧に1日。
それがこれまでの常識でした。
 
それが完全に覆った。
東京電力の見通しの甘さもまた混乱に拍車を掛けた。
そもそもが、東電は東日本大震災から何も学んでない。
あの悪業である計画停電において、送電線がどこを通っているか東電は把握してなかった。
であるからして、病院や老人ホームが計画停電で電気がストップしても、隣のパチンコ店ではこうこうとした明かりが灯っていた、なんてことがありました。
今回の停電でも、東電はその電線や電柱がどこにあるのかも把握してなかったのではないか?
だから、壊れた電柱や切れた電線を一つ一つアナログ的に見つけては補修して行くという手作業に終始した。
それが停電が長引いた一番の原因だったと考えます。

 
そして、何よりも今回の災害、県もメディアも被害の実情を舐めていた。
県が国に災害支援を要請したのが、台風一過から5日を経過してこら、なんてのを見ればそれが分かります。
今回多くの被害に見舞われた地域は、千葉の安房・上総というチーバ君でいうところの下半身部分であった点。
千葉でも東京寄りの都会地域は森林もなく海浜幕張のように電柱も地中化してる地域などは被害が最も小さい。
これが東日本大震災との大きな違い。
東日本大震災では、マリン周辺の幕張やディズニーの浦安などは地盤が液状化し断水の憂き目もありました。
ところが今回の災害は、コンクリートに覆われたマンションや整備された街に被害は少なく、沿岸部や森林部に被害が集中しました。
民家の瓦や屋根が吹き飛び、多くの大木がなぎ倒されました。
それが一番の被災でした。

当初から停電が長引くと分かっていれば、電気のある地域に避難所を設けることも出来たし、それならば被災者が我慢大会をしないで済んだ。
この辺の責は、行政と東電の罪といってよい。

 被災から一週間、僕の実家に自衛隊がやって来た。
その時の画像。