ネットで以下の記事を見つけた。

パロディネタか何かのジョークかと思ったら大真面目な記事にびっくりした。

以下引用。

 

 

福岡県内のコンビニエンスストアで、100円を払って150円のカフェラテを注いだとして、62歳の男が窃盗の疑いで現行犯逮捕された。

逮捕されたのは、福岡・那珂川市に住む62歳の会社員の男。

男は、21日午前7時半ごろ、自宅近くのコンビニでセルフ式の機械で入れる100円のコーヒーを購入したものの、150円のカフェラテを入れた窃盗の疑い。

警察によると、店では数日前にも同様の被害があり、21日は、店のオーナーが男がカフェラテを入れるのを目撃し、現行犯で逮捕したという。

男は、調べに対し、「故意にやったことは間違いない」などと容疑を認めている。

警察は、男が同様の手口を繰り返していた疑いもあるとみて調べる方針。

(テレビ西日本)

 

 

糖尿病患者の私は、カフェラテのようにカロリーのあるものは極力控えてるので、コンビニで買うのはブラックコーヒー。

これは毎日買います。

朝食を食べないと出かけては行けませんと諭されてから、朝はウィダーインゼリーを摂取して

ましたが、今はカロリーを抑えるため、奥様がリンゴを小さく切ってタッパーに入れて持たせてくれます。

breakfast at tifanyならぬat apple.であります。

 

その奥様、リンゴの皮を剥こうとします。

だから「皮にポリフェノールが含まれてるから、そのままで良いよ」と言ったら「誰の受け売り?」と聞かれました。

「テレビで言ってた」と答えるも

「テレビ見ないじゃん」としつこい。

「ネットで見た」と言っても信じてくれない。

結局「雪菜さんから聞いた」と白状しました。リンゴ頂いたしね。

すると「私の言うことは聞かないのに、雪菜さんが言うと聞くのね」と言葉にトゲがある。

それでも毎日リンゴを小口に切って持たせてくれるから通勤の途中クルマの中で摂取してます。ローソンのブラックコーヒーと日刊スポーツも一緒にね。

 

そのローソンは、コーヒーを店員さんが入れてくれるから間違いようが無いけど、セブンイレブンやファミマはセルフだから、どのボタンを押すのか確認しなきゃなりません。

その時に、コーヒーのカップにカフェラテ入れてもわかんねーじゃんとか、思ったりもします。僕は根が悪人なので。

もちろん、やろうとは思わないけど、間違えてスイッチを押しちゃう、なんて事はあるやも知れません。

でも、それって窃盗に当たるんですね。

知りませんでした。

 

恐らく犯人(?)は、確信犯的に毎回同じように100円で150円のカフェラテのボタンを押していたんでしょう。

それが常習となり防犯カメラで確認されて、今回の措置になったと思います。

 

しかしね、今一歩、僕は釈然としません。

もし店側がローソンのように、店員がコーヒー入れるなら、今回のような事例は起きなかったわけで、セルフによるこうした行為そのものは、窃盗と呼ぶべきなのか?

 

セルフサービスで、100円と150円を選ぶことができるシステムを採用してるのなら、例え100円で150円のカフェラテを選択しても、そのくらいのリスクは織り込み済みぢゃないの、と突っ込みたくなります。

それが嫌なら、ローソンのように店員がコーヒーを入れて客に手渡すか、もしくはカップにバーコードを入れカフェラテはカフェラテ専用のカップじゃないとスイッチが入らないようにするとかの工夫があっても良い。

 

店側にすれば、セルフによる選択は、お客の善意に頼るものと考えていたのか。

であるから、その善を損ねるズルの摘発をしたという言い分かも知れない。

しかしね、世の中には悪意なり万引きやごまかしに罪の意識無く行える人だっています。

そうで無くとも、ついラッキーでちょっとしたごまかしなら、やってしまうような人というのは、1番人間らしい人間なんだと僕は考えます。

こうちう記事を読んで、これを摘発した店主、窃盗として扱い記者クラブにリークした警察、またそれを記事にしたメディア。

彼らの誰もがこれを事件性のある窃盗と考えているのだろうか?

100歩譲っても、店主が「次回から気をつけて下さい」で終わる話だろう。

僕はそう考えるけどね。

 

 

この記事を読んで、昔読んだ朝日新聞の「声」欄の投稿を思い出した。

その投稿では、野菜の無人直売所で、お金を払わずに野菜を持ち去る人がいる。子供達の教育上、そうした行為はやめてもらいたい、という教師の投稿で有りました。

 

その事自体は正しい。

農家の人の善意である無人直売所で金を払わないというのは、大人として恥ずべき行為だとは思います。

うちの奥様もそういう直売所が好きなので、時としてクルマを停め所望することもあります。

わざわざ人が常駐せずに、自身で作った野菜を無駄にするよりも誰か欲しい人にあげたいという善意がそこにあるのでしょう。

そのこと自体にべつにとやかく言う気持ちありません。

 

でも、僕のね、僕の斜めの視点から見ると、ちょっと待てよ、という気持ちもあるのです。

善意ある無人直売所ではありますが、なぜに無人なのか?

無人直売所を運営してる方は、人の善意を信じてはいても、金を払わないで野菜だけ持っていってしまう輩の存在を有り得ないと考えているのか?

あるいは、例えそういう人がいたとしても、それはそれでやむなしと考えて無人としているのか?

僕はね、後者であると思うのですよ。

 

人が人としての善意を信じる気持ちは尊いものだと僕も思います。

しかし人は多様化し個人の考え方そのものだって、時と場合によって変わります。

その上でスムーズな社会生活を送ることができるのは、法と慣例故で有りましょう。

 

なぜに、コンビニ始め多くの店舗でレジがあり防犯カメラがあるのか?

これは、客を疑ってますよ、という考え方よりも、それがあるがゆえにスムーズな運営が出来るシステムだからであると思うのです。

 

であるならば、同様に無人直売所が、なぜ無人なのか、学校でも高学年なら、良いテーマとなり得ると僕は思うのですがね。

 

ここで、冒頭のコーヒーのセルフ問題に立ち戻ります。

上記の僕の意見を集約すれば、いかにこれを窃盗として告発するということがいかに馬鹿げたことであるか、と考えるのですが、どうでしょうか?

 

ドストエフスキーの小説「罪と罰」の中で、主人公ロージャ・ラスコリニコフは、貧しい苦学生であるがゆえに、金貸しで強欲な老婆を殺害、その金を使い勉強することによって善行をすれば、それこそが正しいという結論を出します。

それがいかに独善的な罪であるか、著者ドストエフスキーは説くのです。

人は罪深き弱い生き物ゆえに、その罪をあがなう上での罰を神が与えたもう、キリスト教の経典が「罪と罰」の根底にあります。

僕はね、確信的にコーヒー100円の対価を支払い150円のカフェラテを入れたことは、ズルではあっても罪に問うことにあくまで釈然としません。