12月1日は映画の日であります。

映画に日のは映画のプレヴューですよね。

このところ、映画もよく見たから、どどっとUPしようと思います。

 

まずはこの映画から。

 

北杜夫の児童文学を、『天然コケッコー』などの山下敦弘監督が実写映画化。

と解説にあります。

 

僕の世代だと北杜夫というと「ドクトルまんぼう北杜夫、違いの分かる男」というコピーとともに、♪ダバダーバ、ダバダー・・・なんてメロディが流れるインスタントコーヒーのCMを思い浮かびます。

まあ、どーでも話ですね。

 

なるほど、話の内容自体が古臭いはずです。

昭和の時代の昭和のお話を平成の現代でやるのだから、お話そのものに無理があるでしょう。

てか、よくもこれを映画化したなあ、というのが素直な感想であります。

 

大学で哲学の非常勤講師を生業にしている居候の叔父さんの観察日記を小学生の甥っ子がするというのが、映画のあらすじであります。

その叔父さんの浮世離れした言動が可笑しくて、クスリとしながらも愛おしく映画は描きます。

でもねえ、その愛すべき叔父さんの描き方が、いわゆるステレオタイプなのです。

 

「ゆきお(甥)、今日は火曜日なのになぜ週刊トップを買ってこない?」といって、甥に漫画を買うように催促します。

しかも非常勤講師のため金がないから「幸雄、お前も読むのだから」と言ってお金は半分しか出さない。

漫画を読んで大笑いして「哲学を勉強するというのは頭をたくさん使う」だから「漫画を読むことで頭を休ませているんだよ」と、真面目に言い放ちます。

 

こういうエピソードは、昔TVドラマ等で見かけたネタで、可笑しさよりも苦笑でしかない。

ついでに、このシーンに使われる漫画雑誌に「トップ」とか架空の漫画が使うのは辞めようよ。

この漫画が「週刊ジャンプ」や「週刊マガジン」であったら、何か問題があるのか?

こういう姑息な真似(架空の週刊誌という)をするだけで、その映画の底が知れます。

 

その叔父さんが、ハワイでコーヒー農園を営む女性と知り合い、ひとめぼれし、彼女を追って甥のゆきおと一緒にハワイへ。

その珍道中と、彼女の元カレでお互いの家の事情で別れた元カレを巻き込んでの三角関係が描かれます。

 

その結果はといえば、ほぼ想定内のお話となるのだけど、であるからしての感動と呼ぶには程遠い、とだけ言っておきましょう。

 

主演は、松田龍平。

TV・映画等々での活躍中の非常に魅力的なアクターであります。

どこか不器用でいて芯の強さを魅せた「舟を編む」はかれの渾身作であったと思います。

でも、どちらかというと、この映画で見せたような、どこか飄々としたつかみどころのない青年役を演じることが多いように思います。

「探偵はBARにいる」にしてもそうだし「まほろ駅前協奏曲」の役どころも同じような役どころでしたね。

であるからしてのこの映画の叔父さんは適役といえば適役であるものの、それ以上でもそれ以下でもない。

寅さん映画のインテリバージョンと言えば良いかな。

 

監督は、山下敦弘氏。

「天然コケッコー」は瑞々しい良い映画でした。

が、監督として秀でているような映画は撮ってない。

この映画でも、テンポや脚本を含めて、演出の冴えは感じません。

金返せ映画とは言わねど、映画館で見るほどの価値はどうなんでしょうね。

 

 

映画の中で、煙草を所望する主人公の叔父さんが、ハワイで「大麻」を買わされ、誤って逮捕されるというシーンがありました。

このシーンを見て、昔のハワイでの出来事を思い出しました。

最後にそれを記します。

 

実は20代のころ、ハワイのコンドミニアムで1週間程過ごしたことがあります。

キッチン付きのマンションのようなコンドミニアムで、大なべにカレーを作り、連日海で遊び呆け、夜は同居人の二人とともに(男2・女性1という構成)、曲作りに没頭していた意味のない日々であります。

そんなある日、ホノルルの裏道で、現地の青年から勧められ、一握りの大麻グラス(大麻)を買ったことがあります。

まあ、グラスそのものは、アメリカでも経験があったし、コカインやヘロインに比べりゃ、全くの罪悪感なんてなかったから、安く買い叩けたと喜んで早速帰宅後試してみたら、これが真っ赤な偽物。茶葉だったというオチがつきました。

まあ、若かりし日の若気の至りということで、容赦下さい。

もう時効だから良いでしょう。