第1章:幼少期のクリスマス
~コチラは、あくまで発達障害及び自閉症スペクトラムなどの宇宙人一家(褒めてる)のhistoryです。~
父:ASD
母:ADHD
IOLA:ASD(グレーゾーン)
弟2人居ますが、主に両親と私の物語をblogでは記していきます。
※両親に関しては、私の心療内科の主治医に相談していて、ほぼ該当。本人たちは診断書などはありません。
宇宙人凸凹ファミリーIOLA家の、クリスマスにまつわるエピソード。
①IOLAの乳幼児~保育園時代
・IOLAは活発なお転婆、おしゃま、ショートヘアの女の子。乳幼児は母の母子手帳や話によると、夜泣きなどは少なかったようです。基本的にひとり遊びが好きで、音楽や絵本、ダンスが好き。音楽はなんでも、歌ったり踊ったりする子。寝る前の母の読み聞かせはわりとねだった記憶があります。
数少ない、母との対立のない時期。
・保育園時代は、近所の子たちや成人、おばあちゃん、おじいちゃんと、年齢性別問わずに関わり、
母の自転車に乗せてもらい、東西南北構わずに行きまくって、帰りには帰りたくないと駄々をこねる子でした。
同級生たちの家に長時間遊びに行っては、その子たちと関わるよりも、●●の家に行けば自分が好きな●●が有る、食べられる、遊べる、弾ける。
そういう意図で行動するタイプ。
でも、保育園とかって、絶対クリスマスとか
要は季節行事があるわけで、私の保育園はお寺の仏教の保育園でしたが、給食には一応ケーキがあったと思います。誕生日が12月の中盤なので、誕生日とクリスマスで親は大変だったと思います。
私の幼少期のケーキの定番は、近所のパン屋さんで予約したケーキ。しかもなぜか、アイスケーキのホール。小学3年生くらいまでは、母方の祖父母と同居・健在だったので、7人家族でした。
父が歌好き、グルメ好きで、家族愛もこの頃は歪んでは無いというか、よく言えば、【家族】を大切にするタイプ。しかし、アルコールやタバコ、ギャンブルも好きなので、一歩不機嫌になると、そちらの俗世になるタイプ。タクシー運転手だったので、わりと母子家庭みたいな保育園時代だったと思います。
それでも、クリスマスとか、そういう時は、父が夕飯に居た記憶があります。
あら〜意外と。ね![]()
電飾やらツリーやらプレゼントやら
なぜか子供用ドレスみたいな服着てた写真があり、
保育園時代からピアノ教室にいっていて、自宅に電子オルガンがあったので、クリスマスには私がそれを弾き、父が歌うみたいな保育園~小学一年生を過ごして居た気がします。
書いてて思いますが、
いわゆる、【しあわせなかてい】だったと思います。
弟とは3つと4つ違いです。
この頃の事を思い返すと、やはり恵まれていたし、
それなりに、『楽しい』があったクリスマスだったのかな?と思います。
母は写真、一人旅、可愛い・伝統的なアイテムコレクターな一面があり、カメラマンは母なので、
幼少期の家族写真に母はあまり写っていません。
保育園時代に描いた私の絵は、なぜかお姫様系が多くて、太陽より星が多く描かれて居ました。
母が子どもの描いたもの、作った物は保存タイプなので、あるんですよね。
これらのほとんどは、私の進路などに於いて、わりと重要になってくることを、当時の私はまだ、知らなかったのです。
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本日はここまで。
IOLA