秋とはいえ、表面はちょっと冷たくとも、内側には温もりがあった。今日は芯まで冷えた雨が降って、もう決定的に元には戻らないのだなと思う。春にもあるが、季節の使者となる雨だ。そうはいってもまた暑くなるだろうけど、ほぼ角を曲がり切ったという感じだ。
曲がり角に呆然と立ち尽くし、「質量保存の法則なのよ」と語ってみても、気が晴れることはないだろう。秋の深まり、夕闇、薄曇り・・・寂しさと死とを感じさせるものが胸に迫りすぎる。残された時間のある人にだけ、そして死と向き合わない人にだけ許された抒情というものがもう自分には辛く感じすぎる。いつも頭の片隅に、現実として身近な人間の死がある。
すこしマシな日々が続いたり、ちょっと辛くても、慣れてしまったせいでここにお世話になることも少なくなった。今日はちょっと寒くて気分が落ち込んだだけ。
体調がちょっと良くなると、割と本気でファイトケミカルや漢方薬がまさか効いてきたのではとか思ったりする。そんな感情に疲れる。わかっているのに、言葉としてはなんども心で発しているのに、他の人が「やっぱりだんだん悪くなってるんだな」と言うと気分が落ち込んでしまう。
感情に振り回されたくない。納得がいかないなんてことを思いたくない。いつでもこうなるかもしれないと思っていたかった。生きているうちに死んだ心を手に入れたい。
もう一度自分の方法論を捉えなおしてみようか。自分の方法論に殉じて死ぬことにもっと本気になるべきだろうか。そんなことができるのだろうか。
今考えてるのは、とにかく辛い目にあって最後の時の苦しみにどれだけの覚悟が必要なのか知りたいということと、自分が本当に自分の方法論を、自分の生き方のすべてに適用しているかということだ。