バイクと車の騒音がこだまするヴィア・ブッファリーニを抜け、アーチ状の門をくぐった奥にある語学学校「スコーラ・アルノ」のガラス戸を開けた。途端に、石造り特有のひんやりした空気に包まれる。

さっきまでのざわめきは消え去り、かわりに、さまざまな国の生徒が母国語なまりで交わす「Ciao!」の声が響き渡る。教室へと続く、踏みならされた階段を登ってゆくと、事務局のドアの前で舞央さんが見知らぬ日本人男性と話しているのが見えた。

「誰だろう?知らない顔だけど・・・」

一目でラルフローレンとわかる風合いの良い紺地のセーターに、濃紺のデニム。襟元からのぞく白シャツが清潔感を感じさせる。

「はるかちゃーん、チャーオー」

私が声を出すより先に、舞央さんが気づいた。

「チャオ!舞央さん。週末はどうしてたの?」

そう言いながら、舞央さんの肩越しに紺色のセータの男性を見た。振り返った彼は私を見て照れくさそうに笑った。イタリア生活が長いせいか、陽に焼けた顔色が歯の白さを際立たせている。

「週末はクラスメイトが友達を連れてきて、アパートで手巻き寿司パーティをしたんよ」

大阪出身の舞央さんの関西なまりは留学して4カ月過ぎてもいっこうに変わらない。

「すごーい。日本から海苔とかお酢、持ってきてたの?」

「ううん、先週、チャイナタウンでみつけて買っててん」

「具材は?」

「サーモンにイワシの缶詰め、それにツナ、アボガド・・・あとはハムやろ」

「じゃあ舞央さん、僕はこれで・・・」

終わりそうにない私と舞央さんの会話を聞いていた、さっきの彼が言った。

「ああっ!待って!」

舞央さんがあわてて引き止めた。

「ごめんごめん、紹介するの忘れてた」

「えっと・・・はるかちゃんで・・・ユウジ君」

こういう時の舞央さんは驚くほどそっけない。

「はじめまして」

初対面の特に男性にはからっきし弱い私だけど、何故かあまり緊張していなかった。

「よろしく」

言葉こそぎこちないけれど、まっすぐ向けられた視線はどこか安心できた。

「そう言えば・・・ふたりとも京都から来たんとちがう?」

舞央さんの言葉にユウジ君の表情が和らいだ。

「えっ!ほんと?・・・どこから?僕は桂。総合運動公園の先なんだけど」

「うん。私は東山の方だけど」

「東山か。高校に通う時、毎日通ってたよ」

ユウジ君との距離が一気に近くなると同時に、遠く離れたフィレンツェに懐かしい京都の香りが溢れた。気がつくと、地元の話しで盛り上がっている私達を舞央さんが黙って見ていた。

「そろそろ授業始まるから、行くね」

話題を切り上げるため早口でそう言うと、二人に手を振り、廊下の突き当たりにある教室に向かった。



通りからのドゥオーモ








 クーポラ


 教室の窓からはコバルトブルーの空に修復中のサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖マリア大聖堂)がくっきりと浮かびあがって見える。

 通称フィレンツェのドゥオーモ。

 観光客がフレームに全貌を収め撮るのにかなり苦心するほどの壮大さのなかに、優雅な時代の香りを漂わせるたたずまいは、まさにフィレンツェに咲く大輪の花のようだった。

 特に、ルネサンス時代の巨匠ブルネレスキが建設した円形のクーポラは、見る人の心に優しさとぬくもりを呼び起こす。

 映画などでフィレンツェが空撮されるのも、クーポラの美しさを際立たせる演出だろうし、「恋人たちのドゥオーモ」と言い伝えられ、毎日、多くの恋人たちがクーポラにのぼり、監視の目をかいくぐって名前を刻むのも、ドゥオーモがはなつ神聖で愛に満ちた空気のせいかもしれない。
 それから、ドゥオーモに隣接して建てられたジョットの鐘。                            

 20世紀最後の年が明けて間もない1月4日。

 ミラノからユーロスターで約3時間。私は初めてフィレンツェに足を踏み入れた。

 ミラノ中央駅のような豪華さは微塵もない、石造りのこじんまりしたサンタ・マリア・ノベッラ駅を一歩出た瞬間、耳に飛びこんできたのは、風に乗って街中に反響する鐘の音だった。それはイタリアンブルーの空に溶け込むかのように深く、澄んだ響きだった。
 フィレンツェに到着した私を迎えてくれたのはアパートの先住人だったイタリア系オーストラリア人のクリスティーナ。クリスティーナは小学校のイタリア語教師で、フィレンツェには冬休みを利用して語学力を高めに来ていた。

 翌日、彼女に誘われてチェントロまで夕食に出かけた。夜のフィレンツェはオレンジ色の光が街を包む。灯りに照らし出されたドゥオーモは「巨大な大理石の建物」という印象だった。
 あれから2週間、ナターレも終わり、フィレンツェのチェントロはソルディ一色。トルナブオーニ通りのブランドショップには連日、日本人観光客が列をなしている。

 先週末、私はクリスティーナに誘われて、同じアパートのスイス人のアンドレと彼の友達ヤコブの4人でドゥオーモのクーポラにのぼった。

 その日は私の26回目の誕生日で、クリスティーナはそんな様子は少しも見せなかったけれど、この提案が彼女の温かい気持ちからだということが、私には充分伝わっていた。

 正面右側にある入り口を入ると、クーポラの内部に設置された円形の通路に出た。美しい壁画と、くすんだ金色の文字を眺め、細くて、長くて、急な、円を描くような白い石の階段をのぼった。すると、前方からまぶしいほどの光が差込み、アーチの向こうに青い空が見えた。

 クーポラに立った時の爽快さは登った人にしか説明できない。太陽と、風と、フィレンツェの匂い、そして、眼下に広がるフィレンツェ市街。限りない開放感が包み込んでくれた。

 私たち4人はほとんど言葉を交わさなかった。言葉で感動を語るより、クーポラに立っているこの感触を、しっかりと心に焼きつけておきたかった。

 授業中、窓の外のドゥオーモを眺めながら、そんなことを思い出していた。 

 天井の高い教室には、ホワイトボードに先生が大きな声で発音しながら、動詞の活用形を書き出す音だけが響いている。

 私は先生から一番近い席に陣取って、必死にノートに書き写す。前列、左から2列目。毎日、指定席のようにそこに座る。

 クラスに日本人は私一人。他の生徒も、もちろん「イタリア語は初心者」にちがいないけれど、ラテン語を語源とせず、アルファベットを使用しない言語を話すのは日本人の私だけ。 

 文法のクラスはともかく、会話のクラスではその差は歴然だった。

 だから、この2週間で身につけた大切な技のひとつ。

 授業中は先生のすぐ側に座り、わからない時はアピールしてもう一度ゆっくりと説明してもらう。フィレンツェで生活し始めて一番変わったのは、耳から入ってくる音に全神経を傾けるようになったことかもしれない。

 授業が終盤にさしかかると、毎日、美しいジョットの鐘の音色が教室に流れこんでくる。その心洗われるような音色に包まれるたび、私はフィレンツェで暮らす人だけに与えられる最高の贅沢だと感じる。

 通常の授業は午前中だけで終わる。

 朝9時半から11時までが文法のクラス、11時から12時半までが会話のクラスで、午後は希望者だけが受講できる会話のクラスが2時間あった。

 人影まばらな階下のレクリエーションルームでいつものようにプランツォ(昼食)を食べた。できるだけ生活費を抑えて他の街に足を延ばす費用にしたかったから、プランツォは毎朝アパートで作って持ってくるようにしていた。スーパーで売っている小型の食パンに、同じくスーパーで買ったハムとチーズ、日によってはトマトをはさんだだけのサンドウィッチだ。

 午後の予定は空白。
 トルナブオーニ通りには太陽が燦々と降り注いでいた。
 最初の2週間は宿題を仕上げるだけで手一杯で、授業が終わると一目散にアパートに戻り、夕食の時間まで勉強、そして自炊、夕食後には明日の予習をして、それが終わるとシャワーを浴びて眠るだけの毎日だったけれど、今週になってやっと夕方までフリータイムを楽しむ余裕ができた。
 昼過ぎのフィレンツェは1月とは思えない温かさで、Tシャツ一枚で日光浴をする男性の姿も見られる。
 ドゥオーモのある広場を横切り、ポンテ・ベッキオを目指した。
 フィレンツェの街と京都の街はとても似ている。
 姉妹都市だからというのもあるけれど、周囲を山に囲まれていたり、街の中央を川が横切っていたり、学生が多かったり、他の都市に比べて閉鎖的だったり、そして、なにより、古の都だった街に共通する古さと新しさが絡み合って創られた、年輪を重ねた街並み独特の落ち着いたたたずまいが私を安心させた。
 ポンテ・ベッキオは今日も観光客で賑わっている。
 建物が途切れている中央からは遠くが見渡せ、晴れた日は遠くの空港まではっきりと見える。
 フィレンツェには見晴らしのいいロケーションが山ほどあるけれど、ポンテ・ベッキオから望む景色はとても日常的で、観光ではなく、ここで生活していることを実感させてくれた。
ポンテ・ベッキオ

夕方、アパートに戻り、デリで買ったアランチーニをオーブンで温めているとクリスティーナが部屋から出てきた。

「おいしそうな料理ね、ハルカ」

「帰り道に見つけたの。クリスティーナは部屋で何をしてたの」

「いらない荷物をまとめようと思って」

「えっ、どうして」

「今週末、オーストラリアに戻るからよ」

「そう。クリスマス休暇はもう、終わりなのね・・・じゃあ、ジャック夫妻も一緒」

アパートに奥さんと一緒に滞在しているジャックは、クリスティーナと同じ州の高校教師で、奥さんとのバカンスを兼ねた語学勉強に来ていた。

クリスティーナはジャック夫妻の部屋を振り返りながら「そうだ」と言って、続けて「もうすぐ彼に会えるわ」と顔をほころばせた

クラスでもアパートでも、良き相談相手として誰からも頼りにされているクリスティーナだけれど、ことフィアンセの話になると、サンタクロースを待つ子供のような無邪気さで、「今すぐにでもダーリンに会いたいわ」と目をキラキラさせて話すのだった。そんな時の彼女を、私はいつも以上に愛しく感じていたし、フィレンツェに来て依頼、週末に近くの公衆電話からかける2時間近い国際電話だけが、クリスティーナとフィアンセが愛を確かめ合う唯一の時間だと、ジャック夫妻に聞いてからは、片時も離れたくない気持ちに鞭打って、教師としてのスキル磨きのために離ればなれのバカンスを過ごしたクリスティーナを、表彰に値すると感じていた。

3人は私が寂しがるだろうと思って、今週になるまで言わずにいたみたいだった。

ジャック夫妻の滞在はバカンスを兼ねていたから、ルームメイトにもとても気前が良かった。

ジャックの好きなジェノバソースがかかったリングイネを奥さんが作ると、必ず、ルームメイトである私たちにも振舞われたし、週末にはふたりが買ってきたワインやチーズを囲んでみんなで夜遅くまで語り合ったりした。

シチリアの血を引き、もとオールブラックスのフランカーだったジャックは大柄で、南イタリアの男性らしいはっきりした顔立ちからは想像もできないユーモアに溢れた懐の深い男性で、おだやかで、優しく、勇敢な人柄はアパートでも学校でも出会った誰もが愛して止まなかった。

「じゃあ、週末は盛大にパーティしようね」

精一杯、明るくそう言ったけれど、クリスティーナとジャック夫妻のいないこのアパートでの生活なんて、まったく想像できなかった。

「ありがとう、ハルカ」

クリスティーナは笑顔で返した。

いつものように、クリスティーナ、ジャック夫妻、アンドレと一緒に食卓を囲んでいると、ふらり、とレノアが部屋から出てきた。

大理石発掘現場で働くレノアは、先週、自分の車にストーブやテレビなどの生活道具を積み込んで、アムステルダムからこのアパートにやってきた。

私はキッチンの棚がどうしてあんなに高くて使いづらい場所にあるのか、ここへ来てからずっと納得いかなかったけれど、驚くほど長身でバランスのとれた筋肉質な体型を持つレノアが、やすやすと目線の先にある棚を開けるのを見て、その棚が効率的であることを受け入れざるを得なくなった。

今日のレノアは、お決まりのTシャツにGパン、皮ジャンといういでたちじゃない。白シャツに黒の皮パンツを身につけている。

それに香水。レノアからこんなに香水の香りがするのは初めてだ。

私たちは無言でアパートを出て行くレノアを見送った。

翌朝の光景は忘れることができない。

いつものように7時に目が覚めて、部屋で身支度を整えた私はキッチンで、フィレンツェで発見したお気に入りのパン、“パーネ・オーリオ”(オリーブオイルを生地に練り込んでいるので、すごくしっとりしている)と、ホットミルクという簡単な朝食を食べていた。

「おはよう、ハルカ」

部屋から出てきたクリスティーナがオーストラリアなまりの英語で言った。

「おはようクリスティーナ」

私も日本語なまりの、つたない英語で返した。

今日のクリスティーナは、栗色の長い髪を頭の一番高い位置でキレイにまとめている。

「おはよう、みんな」

朝から陽気なジャックが、軽くステップを踏みながらやって来た。もちろん奥さんと一緒に。

その時、キッチンと隣り合わせた真っ赤なソファのあるリビングに面した2枚扉が大きく開いて、レノアの部屋が見えたかと思うと、中から金髪の女の子が出てきた。

キッチンに居た誰もが、一瞬、言葉を失くした。

「ハーイ」

  ハリウッド映画さながらのアメリカ英語の発音が響いた。

  はにかむように上目づかいで、私達にあいさつすると、女の子はゆっくりとキッチンのテーブルに近づいて来た。

  20代前半といった感じの女の子で、青い瞳とセミロングの金髪が肌の白さを一層際立たせて見せている。
  「昨夜遅くまで友達と飲んでて・・・飲みすぎて帰れなくなっちゃったから泊めてもらったの」。

  「そうなの」

  「仲間で飲んでたのね」
  クリスティーナとジャックの奥さんは大人だけあって、尋ねもしないのに昨夜の様子を話し始めた彼女に、笑顔で相槌を打っている。

  「そう。それで・・・レノアが部屋のソファを使っていいって言うから、彼の服を借りて朝まで休ませてもらってたの。おかげで、すっかり具合良くなったわ。彼はまだダウンしてるけどね」。

  赤いチビTにデニムのミニスカート姿の彼女は、そう言って初対面の私達に屈託なく笑いかける。

「彼が親切で、良かったわね」

「よかったら朝食一緒にどう?」

ジャックの奥さんが勧めると

「ありがとう。でも、まだ彼が気分が悪いって言ってるから朝食はいいわ。コーヒーいただいてもいいかしら?」

「どうぞ、どうぞ、それを使うといいよ」

ジャックが、ケトルを指差しながら言った。

さりげなく交わされる大人の会話を、私も終始笑顔で見守っていた。

金髪の女の子は、ケトルでお湯を沸かして部屋から持ってきたインスタントコーヒーで2人分のコーヒーを作ると、また、レノアの部屋へと戻っていった。

アメリカのホームドラマのワンシーンを見ているかのような出来事だった。
 いつもより、かなり起床時間が遅れているレノアの立場を気遣って、シェアしている私達に愛想をふりまく女の子の気配りが、なんだかとてもいじらしく、微笑ましかった。

クリスティーナとジャック夫妻が帰国する週末は、またたく間にやってきた。

授業の予習と復習や週の終わりに控える定期テストの勉強で、火曜から木曜まではアパートに帰っても部屋の勉強机の前から動けない状況だった。

最近のお気に入りはスーパー「エッセルンガ」で見つけたチョコチップ入りのビスコッティ。

ビスコッティは種類が豊富で各メーカが競って発売しているけれど、私のお気に入りは白いシンプルな袋に100個ほどの小さなチョコチップ入りビスケットが入っているもの。

バターが少なく小麦粉の量が多いので、牛乳に浸して口に入れると瞬時に溶けてなくなるちょうど良いやわらかさで、子供の頃に食べた動物の形をしたクッキー(上にピンクやグリーンの砂糖シロップコーティングがしてある)にどこか似ている。

テキストと辞書とにらめっこしながら、ビスコッティをつまみ始めると止められないとわかっているから、何度も袋をゴムで止めて片付けるけれど、今週は既に2袋目が半分以上なくなっている。

金曜日、テストが終わって教室から出ると舞央さんに会った。

「はるかちゃん、やっと週末やね。どっか行くの?」

「ううん。今週はアパートにいる予定だけど・・・そう言えば、舞央さんってまだ、私のアパートに来たことないよね。よかったら、明日、夜ご飯でも一緒に食べる?」

「えっ・・いいの」

舞央さんは、こういう時なぜか急に消極的な人になる。

「前に舞央さんがアパートで日本食作ったって聞いて、私もチャレンジしてみようと思って。お米あるから親子丼なんてどう?」

これには、舞央さんも笑顔で応えた。

「じゃあ、夕方5時に学校の前で待ち合わせよっか」

「うん、そうしよ。私、日本から七味持って来てるねん。持ってくね」

そう言って舞央さんは教室に戻っていった。

その夜は大晩餐会だった。

クリスティーナとジャック夫妻がアパートに蓄えていた食材を洗いざらい全部放出したから、テーブルにはワインにチーズに、プロシュット・クルッド(生ハム)、そして、ペンネ・ジェノバがどっさりと並べられた。

「ハルカ。いつか絶対にオーストラリアにおいで」

ジャックは私の目をじっと見つめて言った。

「うん。行く時は絶対連絡するからね」

私も心からそう応える。

大晩餐会は果てしなく夜がふけるまで続き、クリスティーナやジャックと思いっきりたくさん話したはずだけど、後になって思い出すとあの夜、一体何をあんなに盛り上がって皆で話したのか、ほとんど覚えていない。

あくる朝早く、クリスティーナとジャック夫妻はアパートの大階段を降りた玄関先で私をしっかりと抱きしめ、「ハルカ、元気で」「ハルカ、笑顔、笑顔」と何度も口にし、ほっぺにキスした。

肌に突き刺すように寒い朝もやのかかった通りを、3人は大きなスーツケースをガラガラ押しながら去ってゆく。

私は何度も手を振り、姿が見えなくなるまで見送った。

  3人と交わしたさよならのキスの感触が、言葉にならないくらい私を寂しく、孤独で、不安にさせた。


  第3土曜はアパートの清掃の日。

10時半頃、オーナーのマウリツィオ氏が家族を連れてやって来た。

イタリアの上流階級であるマウリツィオ一家は市内に数件のアパートを所有していて、2週間に一度、週末にそれらのアパートを回って大掃除をするのが習慣だった。

マウリツィオ氏が持ってきたモップとバケツで床磨きを始めると、奥さんはアパート中の部屋の窓を開けて空気を入れ換え、リネン交換を始めた。

それが終わると、キッチンとバスが丁寧に磨かれ、アパートは見違えるように美しくなった。

2人の男の子はバケツを運ぶなど、両親のお手伝いをしたり、持ってきたリモコンカーで遊んだりしていた。

「何か困っていることはない?オイルヒーターは問題ない?」

奥さんのイタリア語はスコーラ・アルノの先生やアパートの住人が話すイタリア語よりずっと早いので、初対面の時は全くわからず、クリスティーナに英語で通訳してもらったほどだ。

あれから2週間が経ち、今回は、はっきり聞き取ることができた。

「ええ、大丈夫です」

「もし問題が起きたら、いつでも電話してね」

彼女は笑顔でそう言うと、子供たちを連れて、マウリツィオ氏と共に急いで次のアパートへと向かった。

美しくなったのは嬉しいけれど、サロンからの眺めは、空き部屋の扉が開かれているので、とてもガランとして見える。

ジャック夫妻がいた部屋も、今はだだっ広いスペースにダブルベットが殺風景に横たわっているだけ。

舞央さんとの約束の時間には、まだ4時間くらいある。

部屋にいると、ますます孤独感が増しそうな気がして、スケッチブックと色鉛筆をバックに積めるとアパートをあとにした。



 

ドナテルロ広場を越えた場所にあるアパートからチェントロ(中心地)までは、徒歩20分。

きっと、イタリア中がそうなのかもしれないけれど、石畳の道を歩いていると、慌しいラッシュアワーの時間帯でさえ、日本の何十倍も時間の流れがゆっくりしているように感じる。

目的地は、前から行ってみたいと思っていたボーボリー庭園。道々、冬とは思えないほど、色鮮やかな野菜が豊富に並ぶ朝市に遭遇した。

   アゼリオ広場の側を通り、サンタクローチェ広場を横切り、中華街らしき地域を抜けると、アレ・グラツィエ橋に通じる道に出てきた。

 ポンテ・ベッキオの背面を眺めながら、ウフィッツィ美術館から繋がるバザーリの回廊下を歩き、橋を渡る。


ウフィッツィ

  1月の朝のボーボリー庭園には、人影はほどんどない。うっすらと霜が下りる坂道を滑らないように気をつけながら登った。
   高台から三角やひし形で構成された幾何学模様の庭を眺めていると、「不思議の国のアリス」のトランプの兵隊が今にも飛び出してきそうな気がして、一人空想を膨らませる。
   ピッティ宮殿の裏手に陽の当たるベンチを見つけると、無印用品で購入したスケッチ用のノートを広げて写生を始める。手袋をはずすと指先がみるみる冷たくなり、息を吹きかけながら鉛筆を動かす。
日本ではスケッチどころか、落書きさえしないけれど、出発前、ふと小学生の入学祝いに買ったもらった色鉛筆がそのままの状態で残っていたのを見つけて持ってきていた。でも、こんな時に役立つなんて・・・。

 宮殿の屋根越しに見えるアルノ川を挟んで、フィレンツェ市街が見渡せるけれど、全てを見渡すには微妙な高さで、家々の屋根が重なって赤茶色のブロックみたいに見える。

 その中でも一際ドゥオーモのクーポラは突出して見え、映画「眺めのいい部屋」を彷彿とする風景が横たわる。

  小一時間もすると、一応、誰が見てもフィレンツェを書いたのだとわかる程度の幼稚なデッサンができあがり、スケッチブックを閉じると大きく深呼吸した。

  デッサンに集中している間だけは、クリスティーナたちが去った心の隙間を埋めることができていたのに・・・。何かしていないと、心の中に再び孤独が蘇りそうな気がして、バッグを斜めがけにするとまた歩き始めた。

  時計は正午を回っていたけれど、アルノ川の向こう岸にいることを良いことに散策を続けていると、川沿いから一本はずれた所に車一台がやっと通れそうな坂道を見つけた。

 坂道の入り口にかかる、建物から繋がったアーチ状の屋根に誘われるようにその道を入って行くと、生活の臭いのするアパートにはさまれた石畳の道が続いていて、アパートの近くではあまり見かけない、赤い葉をつけた木々が家々の壁から道側に迫り出していた。

 しばらく歩くと、重厚な造りの赤レンガの壁が見えてきた。絵画で見たフランス革命のバスティーユ牢獄を思い出す、レンガを積み上げた頑丈そうな壁。

 後になって知ったけれど、その場所の呼び名はヴェルヴェデーレ要塞といって、何世紀も前にコジモなんとかという人が敵国から攻められるのを防ぐために築いたらしい。

 真っ青とまではいかないけれど、正午過ぎの一番温かい時間帯に、フィレンツェ市街を一望に見渡せる場所にいるなんて、本当に贅沢な気分だった。

 この世の平和が全てここにあるような、のどかで、のんびりした風景を前に、私はこれからのことに思いを馳せていた。



 全景


 クリスティーナ達のいなくなったあのアパートで、これからどんな生活が待っているんだろう。

 一日でも早く語学を習得したくて、この2週間、なるべく日本人と接点を持たないように日々を送って来たから、友人と呼べる日本人は舞央さん以外にいなかった。

 舞央さんを引き会わせてくれたのは、彼女と同じクラスだったクリスティーナで、クラスのムードメーカーだったクリスティーナが紹介する日本人ということで、舞央さんも初めて会った時から私に気を許してくれていた。

 でも、チェーナを一緒に食べるのは今夜が初めて。5時少し前、スコーラ・アルノのガラス張りのドアを開けると、舞央さんがガランとしたレクリエーションルームに一人座って待っていた。

「はるかちゃん。ほんまによかったん?」

「もちろんよ。感謝してるぐらいよ。だって、今朝クリスティーナ達が帰ってしまったから、舞央さんが来てくれなかったら、今夜は一人でご飯を食べる所だったんだから」

「そっか。クリスティーナ帰国したんや」

「行こう、舞央さん。帰り道に小さなスーパーがあるから、そこで食材買って・・・」

「うん、うん、そうしよ。それがええわ」

その夜、舞央さんと一緒にアパートで親子丼を作った。

鶏肉に舞央さんの貴重な七味をまぶして、私が日本から持ってきた醤油に砂糖、みりんの代用品として白ワインと砂糖を併せて煮た。レノアとアンドレは甘辛く煮た鶏肉の臭いに惹かれるようにキッチンに来ては、私たちが作る奇妙な半熟卵のジャパニーズ・フードをもの珍しそうに眺めて、ニヤニヤ笑いながらまた部屋へと戻っていった。手鍋で炊いたご飯に具材をのせ、香りづけにイタリアンパセリを散りばめた。

「出来たね」

と言う私をよそに、舞央さんは

「ジャジャーン!」

と持ってきたバッグから海苔を取り出した。

「この間、家で手巻き寿司パーティをした時の残りやねんけど、あったらいいかな~って思って・・・」

「わぁ~嬉しい!舞央さんって最高ね」

手巻き寿司用海苔を細長くカットして最後にトッピングした。そして、こういう時のために少しだけ持ってきていたレトルトのワカメのお味噌汁をマグカップに注いで食卓に並べた。

「イタリアで作ったにしては上出来やん!」

「ホントに。フィレンツェで食べてるとは思えないくらいおいしい!」

イタリアンパセリは絶妙な風味をかもし出していたし、ちょっと湿った海苔の加減も、微笑ましいくらいおいしかった。

「ねえ、はるかちゃんは日本でもこうして友達の家で料理とか作ったことある?」

「うん。職場で一緒に働いてた子が一人暮らししてたから、彼女の家では、よく料理を作ったり、ビデオ観たりして遊んだよ」

「私はイタリアに来るまで、誰かを家に招いたり、招かれたりってこと、ほとんどなかっったんよ。でも、ここへ来たら、週末は交代でアパートに集まってチェーナやん?最初は抵抗あったんやけど、最近は楽しくなってきたわ。はるかちゃんは、そういう苦労なさそうやもんね」

「どうして?」

「なんか新しい人と会ってもあまり抵抗なさそうやし、私のこともすごい自然に誘ってくれたし・・・」

「さみしがり屋なだけよ」

「そうなん?うちは一人のほうが気楽なところがあるけどな~。気ぃ使うのに慣れてへんから」

「私といても気を使ってる?」

「はるかちゃんは別。同じ関西人やし。それに・・・学校の日本人って、今度また会うと思うけど、由梨子さんみたいに服装からしてお金持ちのお嬢さんってタイプの人多いやん?優雅な留学生活送っている感じの人たち。そういう人とは話しても合わへんしね」

「由梨子さんってどんな人?」

「私よりひとつ上のレベルで、ソバージュヘアにいつも黒の高そうなコート着てる子」

「う~ん。まだ、会ったことないわ」

「性格悪いんよ。男の子としか仲良くしてへんし・・・あっ、そうだ。この間会ったやん?ユウジ君。覚えてる?」

「うん。京都から来た・・・」
 「そうそう、彼と同じクラスやわ」

「そう。じゃあ、もし今度学校で由梨子さんって人に会ったら紹介してね」

「いいけど・・・気ぃつけた方がええよ。彼女には」

舞央さんがこんな風に誰かのことを言うのは初めてだった。私より5つ年上の彼女は、大阪のアパレルメーカーで技術者として働いていた。高校を卒業して、一人暮らしをしながら専門学校に通ってきたから社会の荒波に一人で揉まれてきたせいか、時々、世の中を斜に構えて見ているような発言をして私を驚かせた。

イタリア語を習得して、テキスタイルの製造現場で指導者をするのが彼女の夢だった。

食事の片付けを終えると、舞央さんはフィルターと粉末タバコを取り出して、テーブルの上で紙タバコを作り始めた。

「はるかちゃんは好きな人いるん?」

舞央さんは明日の天気でも聞くような口調で言う。

「ううん。いないよ」

「そやな~。いたら長期留学する必要ないもんな~」

「それと、留学は別だと思うけど・・・」

「ふふふ・・・」

「な~に!舞央さんったら・・・」

「ううん。はるかちゃんみたいに思ってた頃もあったな~って思って」

舞央さんはタバコの煙を天井に向かって吐き出しながら、何かを思い出すような表情をしていた。

「舞央さんは?いないの?そういう人」

「今はとりあえずい~ひんよ。ずっと切れたり切れへんかったりやし・・・また、日本戻ったらど~なることかわからへんけどね。こっち来てる間は何かと一人の方が動きやすいし。遠距離とかって苦手なんよね~」

舞央さんの過去なんてほとんど知らないけれど、それでも彼女らしいって思った。

食後のティータイムにティーパックの紅茶を入れた。お皿に花柄の紙ナフキンを敷いて、チョコレートを並べて出すと

「はるかちゃんは、こういうとこが私と違うんやな~ほんと勉強になるわ」

「なに言ってるの」

舞央さんとの出会いは女子大育ちの私には異色だった。きっと、私の留学生活が他の日本人の女の子と同じように守られたものだったら知り合えてなかったかもしれない。「アパートを学校に手配してもらったことを除けば、留学の準備はすべて自分でやった」というところに親近感を持ってくれたのだろうか?

「舞央さんはたしか、アパートの部屋を二人でシェアしてたよね」

「うん。そのほうが安いねん。長く住むんやったら家賃もバカにならへんしね」

「実は私もアパートを変わろうかと思ってて。知らない間に住人で女は私だけになってて・・・いい人ばっかりだけど、やっぱり無用心でしょ?」

「そやな~。そら引越した方がええわ」

「舞央さんは今の場所、どうやって探したの?」

「雑誌に出てるアパートと、事務局からの斡旋と両方あたって見つけてん。でも、はるかちゃんやったら事務局通したほうがええと思うよ」

「そうする」

舞央さんは11時頃になると、アパートの近辺は物騒やから・・・と言って帰っていった。

1月もあと1週間ちょっと。2月までに新しいアパートに引っ越せるだろうかと不安もよぎったけれど、ここはイタリア。なるようにしかならないと覚悟を決めた。
 来る時はイタリア会館に学校の手配だけをお願いして、今のアパートは学校を通して紹介してもらった所で、たったの3ヶ月間のことだから、もちろん滞在中はずっとそこに住むつもりだった。

だけど、海外ではハプニングなんて恐れていたら暮らせない。何でも一人で解決しなきゃいけないことばかりだった。 

「ハプニングも楽しまなければ・・・ここはイタリアなんだから」と、自分に言い聞かせていた。







  アパートの裏手からそう遠くない場所にフィレンツェのもうひとつの駅「カンポ・ディ・マルテ駅」があった。

 遅くまで部屋で伊和辞典と睨めっこしながら明日の予習をしていると、遠くから警笛のような「ポーッ」という音や、「ギーッ」という列車と線路の擦れるような音が響いてくる。

 「そろそろシャワー浴びて、寝ようかな~」

 列車の音にふと時計を見ると12時を回っていた。

 大きく伸びをして立ち上がり、緑に塗られたクローゼットの扉を開くとギギギギという音がぎこちなく響く。

 タオルとバス用セットをもって静かに部屋から出た。

 アパートの共同バスはふたつあって、ひとつは10畳もある広いもので、これはもう、部屋って言ってもおかしくないくらいの造り。

 そして、もうひとつは縦長で幅1メートル奥行き5メートルくらいのスタンディングクローゼットのようなバスルーム。

 ここで暮らし始めてから、小さいほう(私には充分大きい)のバスルームを専用的に使っている。

 男性は全員、広い方が好きみたいなので誰もこっちは使わない。

 だから、クリスティーナが居た頃も彼女と私だけの専用みたいに使っていた。

 小さいといっても床から天井までゆうに3メートルはあるバスルームに入ると、まず、天井近くに取り付けられたよろい戸式の窓を閉めるために、桃色のタイルのバスタブに上って、石灰を塗っただけの白壁に体を添わせながらカニ歩きで一番奥まで行き、木製の窓枠によじ登っらないといけない。

 上下に2枚ある窓を全部閉めてから、シャワーのカランをひねる。

 みるみる窓が曇りスモークのカーテンができると同時に、冷たいバスルームがゆっくりと温まっていく。

 建物と建物の間の窓だから、外から覗かれる心配のない構造になっているとわかってはいても、窓を真っ白に曇らせてからでないと服を脱ぐ気にはならなかった。

 ピンクのバスタブにお湯をはりながら、頭からシャワーをほとばしらせて冷えた体を温める。

 お湯を張ってゆっくり入れる日本のお風呂がやっぱりなつかしい。


 部屋に戻って、髪をかわかしていると、「カチッ・・・カチッ・・・シューー」という音がした。

 「もしかして・・・」

 嫌な予感は的中。

 唯一の暖房器具であるラディアトーレが止まっていた。

 「しばらく待ったら、作動するかも・・・」そんな予想も虚しく、部屋はどんどん冷えていった。

 こんな時間からじゃどうしようもないので、その夜はダウンを毛布とキルトのカバーの上にかけて休むことにしたけれど、1月のフィレンツェは底冷えが激しく、夜が深まるに連れて、深々と寒さは増すばかり。

 ベッドの中で丸くなって一夜を過ごした。

 翌朝、部屋から出てきたみんなも一様に寒かったようだった。

 「今夜もあの寒さじゃ耐えられない」。 

 学校の休み時間を利用して大家のマウリツィオに電話をかけた。

 「プロント・・・」

 出たのは奥さんだった。

 「昨夜、ラディアトーレが故障しました。寒いので修理してほしい」

 習いたてのイタリア語を駆使してそう伝えた。

 「そう、わかったわ。治すから心配しないで」

 「はい、お願いします」

 愛想の良い対応だったけれど、その日も修理の人は現れなかった。

 タイミング悪く、今週になってから雪も降りだしたので、今夜の寒さを思って一人憂鬱になっていた。

 すると

 「ハルカ・・・これ、僕のだけど使うといいよ」

 声をかけてきたのは最近、住人になったばかりの、同じクラスのパナマ人ニコラス。

 彼は鮮やかな色のモヘアのブランケットを差し出しながらニコニコしている。

 「ニコール。嬉しい、ありがとう」

 「僕は同じのがもう一枚あるからいいよ」

 「あたたかい」

 クラスではいっつもふざけてばかりの彼からこんな嬉しい申し出をもらうなんて。

 このハプニングのおかげで、私とニコールはすっかり仲良くなった。

 結局、ラディアトーレが作動したのはそれから2日後だったけれど、ニコールのブランケットは本当に温かく作られていて、おかげで寒さに震えることなく、夜を過ごすことができた。

 だけど、大家さんの遅い対応が、この後、私の引越し熱を高くしたことは言うまでもない。


ラディアトーレの修理が完了した水曜日は、他にもちょっと嬉しい出来事があった。

 授業のあとで以前から考えていた、アパート探しの件を事務局に相談した帰りのこと。

 事務局を出ると、階段の踊り場に面した窓辺に立ってドゥオーモを眺めている男性の姿が目にとまった。

 よく見るとユウジ君だ。

 「こんにちは」

 近づいて声をかけると、笑顔が返ってきた。

 「やぁ。チャオ。・・・ハルカさんもまだいたの?」

 「ユウジ君こそ。どうしたの?」

 「いつも時間があると眺めてるんだ。」

 あの頃のドゥオーモはクーポラ部分の改修工事の真っ只中で、小型のクレーンが一台いつも作業をしていた。

 教室の窓

 だから、クレーンなしの姿は未だ見たことがない。

 「興味があるの?」

 「うん。あんな作業に関わってみたいよ」

 ユウジ君がどうしてアルノで学んでいるのかは、舞央さんからも聞いてなかった。

 「ハルカさんは何してたの?」

 「ちょっと事務局に用事があって・・・。でも、もう終わったわ。あの・・・もし、時間があったら少し話せない?」

 私ったら何言ってるんだろう。

 自分でも驚くほど自然に・・・心で思ったことをそのまま口にしてしまっていた。

 でも、そのくらい素直に、今は日本語が通じる相手と話をしたい気持ちだった。

 「いいよ。でも、急にどうしたの?」

 「最近、少し日本語に飢えてて・・・変な言い方だけど。日本語で誰かと会話がしたくて仕方がないの」

 ユウジ君の顔に笑みがこぼれた。

 「わかる、わかる。そういう時あるよね。じゃ、行こう。前の道を真っ直ぐ行った先にバールがあったから、そこで話そう!」

 スコーラ・アルノを出て右手に30メートルくらい行くと、角にちょっと感じのいいバールがあるのは知ってる。

 ドゥオーモの周りは授業のあとにさんざん探索し尽くしたから。

 それから、ユウジ君と私はそのバールでカプチーノとチョコラータを注文して話出した。

 「どうしたチョコラータなの?」

 ユウジ君は私の目をのぞきこむようにして尋ねた。

 「私、こっちに来るまでコーヒーがぜんぜん飲めなかったの」

 「じゃあ、今は飲めるの?」

 「うん。カッフェ・ラッテならね」

 「それでもコーヒーはダメなのか」

 「来た頃はチョコラーターがココアのことだって知らなかったから、ラッテ・カルド(ホットミルク)を注文してたの。子供でしょ?」

 「ホットミルク!?そんなの注文できるの?」

 「メニューにはなかったけど、ミルクを温めてコーヒーに入れるんだから・・・もちろんミルクだけもできるはずよねって思って」

 「そっか。かしこいな~」

 イタリアのバールはかなり融通が利く。

 これはもっと後でわかったことだけど、常連客はオリジナルメニューを注文するから、バリスタは一人ひとりのメニューを把握していて、顔をみるとすぐに用意をするらしい。生クリームをのせたり、チョコレートのかけらを入れたり・・・コーヒー文化が浸透している国だけあって、バリエーションも豊富だ。

 店内は明るいブルーグレーの壁紙と同じ色の丸テーブルにオレンジやグリーンのイスが並んでポップな雰囲気だ。

 フィレンツェでもこの辺りは観光客より留学生が多いから、バールでもテーブルチャージを請求していなかった。

  ユウジ君は木村勇二と言って、京都では建築設計の仕事をしていたらしい。将来はオリジナルな設計を任せてもらえる建築士になりたいと願って、貯金したお金で留学を決意した。

 「建築を学ぶにも基本は語学だから。とにかく半年間は徹底的に語学を勉強して、空いた時間で建築を見られるだけ見て歩こうと思ってる」

 力強い眼差しで勇二君ははっきりとそう言った。

 それからは、お互いが暮らしているアパートの話や、どうやって留学の手続きをしたか、そして、留学を思い立ったきっかけまで、次から次へと話題が尽きなかった。

 私は改めて、自分でも驚くほど日本語を口にするという行為に飢えていたんだ・・・としみじみ感じていた。

 でも、驚いたのはそれだけじゃなかった。

 勇二君は同じ京都からフィレンツェに来る女性がいることを前もって知っていたみたいだった。

 それもそのはず。私たちは同じ協会を通じてスコーラ・アルノへの留学手続きを行っていたのだから。

 「協会の事務の辻さんって会ったことある?」

 「ええ。彼女が全部手続きをしてくれたもの」

 「僕もそうなんだ。実は、彼女から聞いてたんだ。僕より1カ月遅れて、留学を希望してる女性が居ることを。だから、11月にはその女の人が来るって楽しみにしてたんだけど、結局だれも来なくて。もう、来ないんだなーって思ってたよ」

 そう。初めは11月にはフィレンツェに来る予定にしてたんだ。だけど、会社の引継ぎがあってどうしても年内一杯は辞められなくて、ようやく、年が明けて実現した留学だった。

 「そんなことまで聞いてたの?実は初めは11月に来るつもりだったんだけど、辞めた会社の都合で延期したのよ」

 「そっか。でも、それがはるかさんとは。話しててびっくりしたよ」

 「私もよ。こんなことってあるんだ。フィレンツェにはたっくさん語学学校があるのに、偶然にも同じ学校を選ぶなんて」

 「辻さんに薦められたんだよ。行ったこともないのに自分で決められないから」

 「そうなの。実は私もいろいろ迷ったけど、最後は辻さんの言葉を信じて決めちゃったの」

 「じゃあ、ふたりを引き合わせたのは辻さん・・・てことになるね」

 私たちは顔を見合わせて大笑いした。

  

  午後の時間はあっという間に過ぎてしまい、気づいたら4時半を回ってた。

 「3時間以上も話してたね」

 「ありがとう。日本語をこんなに話したのなんて、本当に久しぶり」

 「はるかさんは本当に楽しそうに話すね」

 「久しぶりに日本語を話したからテンションがあがってるのよ・・・きっと」

 そして私たちは手を振って別れた。

 

 


 アパートに戻ると、アンドレから荷物の不在連絡票を手渡された。

 「ありがとう。アンドレ」

 シャイなアンドレは無言で微笑んだ。

 すぐに必要のない衣類なんかは、日本を出る前に郵送費の安いSAL便で送ったのだけど、ナターレ(クリスマス)を挟んでいるせいか、通常よりも時間がかかっていた。おまけに、日本の黒ネコのような再配達サービスなんていう便利なシステムはないから、自力で荷物を引き取りにいかなきゃいけない。

 「引っ越す前に到着しただけ、よかったって思わなきゃ…」と、前向きに考えることにした。

 どこまで取りに行ったらいったらいいのかと見たら、受け取り先のポストオフィスはアルノ川を渡ったさらにその先で、歩いてはそう簡単に行けそうにない。それに、たしか・・・5キロの無洗米を入れて送ったから箱の重さも結構ある。バスで持って帰るのもひと苦労だ。

 「送る時にもっと、いろいろ考えるんだった・・・」

 後悔したって始まらない。なんとか方法を考えなきゃ。

 不在連絡票を持ってあれこれ考えている私を見かねたアンドレが聞いてきた。

 「どうしたの?ハルカ」

 「えっと・・・荷物を取りに行く場所が遠くて。それに、重いからどうやって持って返ろうか考えてたの」

 「レノアが車を持ってるから、頼んでみたら?」

 「レノアの車!?」

 アンドレがうなずいた。

 

 レノアはあのアメリカ人の女の子の一件以来、話をしていなかった。彼はもともとマイペースなタイプだったし、オランダ語圏のためクリスティーナたちが居なくなってからは英語で話すこともなく、必要なことを伝える手段はイタリア語しかなかった。

レノアは日中によくシャワーを浴びていた。きっとアパートの近くをランニングしたりしていたのだろう。身長160センチに満たないアジア人の私はきっと子供くらいにしか思われていなかっただろうけど、鍛えあげた上半身を露にした彼がバスルームから出てきた時なんかは、目のやり場に困ったものだった。

 その夜、遊び友達のカールと一緒に帰ってきたレノアに、勇気を出して話しかけてみた。

 カールはゆるくウェーブのかかった金髪の持ち主で、レノアよりさらに長身だ。中学生の頃に夢中になって読んだ少女マンガの主人公がそのまま本から抜け出たみたいに細く長い足を持っている。でも彼は見た目とは違って、かなりのおちゃらけ者でいつも誰かをからかっては笑わせていた。

 「レノア。お願いがあるんだけど・・・」

と切り出すと、横からカールが

 「カワイ子ちゃんが、お前に何かお願いがあるってさ」

と、ひじでレノアを突っついた。

 「この場所に車で一緒に行ってもらえない?そして、荷物をピックアップしてきたいの」

 レノアは私の顔を見て、それから不在票を手に取った。

 「OK。明日、学校が終わってからでいい?」

笑顔はなかったけれど、あっさり、引き受けてくれた。

 「よっ!ジェントルマン」

横からカールがひやかしている。

 「うん、もちろん。ありがとう」

お願いしておいて変だけど、ひとつ返事で引き受けてくれるとは思っていなかった。




 翌日は授業が終わると一目散にアパートに戻って、パスポートと不在連絡票を手にレノアの帰りを待った。

 レノアは3時過ぎ頃、ふらっと帰ってきた。

 私を見ると

 「車を下に停めてる」と英語で言ってまた出て行った。

 急いで下に降りると、深緑のツードアの車がアパートの前に停まっていた。

 「乗って」

 「ありがとう」と言って助手席に座った。

 長身のレノアが乗りこむと天井までの隙間は数センチ。これは彼の車だから乗れるのは当然だけどぎこちない感じがする。

 「荷物の保管場所はどこ?」

 上手く説明できないので、不在連絡票を見せた。

 「OK。もし、僕が車を持ってなかったらどうやって行くつもりだったの?」

 レノアはそう言って車を発進させた。

 何て返事をすればいいかよくわからなかったから私は無言でいた。

 

 アパートを出てすぐの広い道を、レノアの車はアクセルをいっぱい踏みこんで走る。アルノ川を渡ると学校の帰り道に一度、散策した道にさしかかった。でも、車窓からみる風景はいつもと違うよそゆきの顔がする。

 その時、目の前にオレンジ色の大きな夕日が見えた。前方を見るのがまぶしいくらいの太陽だ。その光景に見とれていると、車は小さな角を曲がり、突然、夕日は見えなくなった。

 「着いたよ」

 「ありがとう」

 セメントと石でできた殺風景な建物の前にいる。

 「一人で大丈夫?」

 レノアが私の顔を覗き込んで、以外にも優しい言葉をかけてきた

 「一緒に来てくれるの?そうしてくれたら助かる・・・」

 ここまで甘えているのだから手続きくらい一人で・・・と思ったけれど、もしも言葉が通じなくて手続きに手間取ったら、レノアを待たせて余計に迷惑をかけてしまう。 

 「OK」

窓口まで二人で一緒に行った。

 「すみません。この荷物を取りに来たんですけど」

 係りの中年の男性は面倒臭そうに対応する。イタリアの公務員も日本に負けず劣らず働かない人が多いってきいてたけど、この人もそんな感じがする。

 「ちょっと待って」

5分程して奥から係りの男性が戻ってきた。

 「ジャポーネ?・・・キョウト?」

 「シィ(はい)」

 大理石の台の上に荷物がどさっと置かれた。確かに日本から送った荷物だ。特別な手続きは何もなく、思ったよりずっと単純に受け取ることができた。

 レノアは無言で荷物を抱えると車に戻っていった。

 そうか、レノアは荷物を持ってくれるつもりだったんだ。鈍感な私は初めから彼がそのつもりだったことにその時、気づいた。

 「ありがとう」

 「どういたしまして」




  帰り道、私は気になっていたことを聞いてみた。

 「よく、昼間にシャワーを浴びてるね。何かスポーツでもしてるの?」

 「アパートの近くのジムに通ってる」

 「ジム・・・?」

 「オランダに帰ったら、すぐに仕事ができるように体と鍛えておかないといけないんだ」

 「大理石の発掘現場ね。体力仕事だもんね。」

 「イタリア語が上達したら、指導したり、大理石を売買する交渉にも携われるようになる」

 「そうなんだ・・・そのために学校に来たんだね」

 「君の仕事は?」

 「雑誌を作ったりしてる」

 「そんな風にはとても見えない」

 この日、レノアの真面目な一面を見た気がした。大理石の発掘現場でコツコツと働いてお金を貯めてそして、キャリアアップを目指して留学してきた。口数が少なくてとっつきにくそうに感じたのも、彼が職人で普段人と話す機械が少ないからなんだろう。最後はレノアらしい回答だったけど、彼の辛口のコメントも許せる気がした。