枕草子が好きで、清少納言の機転や書きっぷりが大好き。もちろん現代語訳で読んでるんだけど。
『枕草子のたくらみ-「春はあけぼの」に秘められた思い』(山本淳子 朝日選書)を読んで感動したのよ。&自分の浅さにがっくり。
そのころの政治状況や人間関係、漢文や和歌、文化や生活状況などの知識があるのとないのじゃ、読みがすっごく違ってくるのねえ。知っていれば、その文章の奥にあるものが見えるのねえ。面白がって読んでるだけじゃもったいない。
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●週刊朝日掲載の永江朗さんによる紹介分から
『枕草子』は清少納言の身辺雑記ではなく、定子ひとりのために書かれたのだという。それも定子の存命中から没後まで長期にわたり書き継がれたと推測される。定子存命中は定子を慰め喜ばせるために、没後は彼女を讃えるために書かれた。そのために清少納言は、道化のように失敗してみせもした。
定子の一族にとって政敵である藤原道長は、なぜ『枕草子』を歴史から消し去ろうとしなかったのか。それは定子の怨霊を恐れたからだろう。『枕草子』は鎮魂の書でもあるのだ。
●朝日新聞出版の紹介文から
藤原道長を恐れさせ、紫式部を苛立たせた書。それが随筆の傑作「枕草子」だ。
権勢を極めた道長が、なぜ、政敵方のこの書を潰さなかったのか。「枕草子」執筆に込められた、清少納言の戦略とは?冒頭の「春はあけぼの」に秘められた清少納言の思いとは?あらゆる謎を解き明かす、まったく新しい「枕草子」論。
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清少納言が賜った紙の大きさが、何を書くかに大きくかかわっていた。
「春はあけぼの」と書き出した理由。
枕草子がいつ頃書かれたのか、それは清少納言が出仕していなかった理由が大きくかかわっていた。
清少納言は藤原斉信(タダノブ)と藤原行成(ユキナリ)と親しくしているように書いてあるが、実は扱い方が違う。それは、二人が朝廷内でどのように動いていたか、藤原道長とどのように関係していたかによるもの。
などなどなどなど、納得。
「五月(さつき)ばかり、月もなういと暗きに」で始まる第131段(段数については異説あり)で、清少納言が呉竹を「此の君」と呼んだとき、藤原行成が「君がそんな名前を知っているはずないよね」と言ったということが書かれている。仲良しにちょっといちゃもんつけて戯れてるんだと思ってたのよ。ところがどっこい、中宮定子様を傷つけないように清少納言をかばっての発言だったとは。「此の君」のエピソードが載っている漢籍類を知らなきゃわからん。
雪山がいつまで残るかをかけた話。定子様が雪山を取り捨てさせた理由について、定子様ってちょっと意地悪と思ってたんだけど、定子様の一条天皇への思いが重なってたなんて。『古今和歌集』にある凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)と宗岳大頼(むねおかのおおより)の歌のやり取りを知らなきゃ、清少納言がなぜ雪が残ることにこだわるかわからない。さらに、歌われた「君」をどうとらえるかで定子の思いをおしはかる……。
山本淳子さんすごい。
そのほかたくさんの「へえ」「そうなのか」「うーむ」があって楽しかった。
読みやすくて面白い。年の初めから大収穫があってラッキーでした。
戦争いらない。原発もいらない。
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