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アメノウズメは岩戸の前で踊っただけの女神様ではない・・というお話です♪


八百万の神々の中でも、特に有名な女神といえばアメノウズメ。
そのアメノウズメは、ただ天の石屋戸の前でダンスを踊っただけという女神様ではありません。
いろいろありますが、我が国の女性が結婚によって姓が変わるのも、実はアメノウズメが初になったりします。
ただの女神ではないのです。




古事記に出てくるアメノウズメについて書いてみようと思います。
アメノウズメは、古事記では「天宇受売」と書かれています。

天宇受売といえば、天の岩戸の前で踊ったお話で有名です。
岩戸にお隠れになられた天照大御神をお招きするために、天宇受売が舞を奉納したというお話で、これはご存知の方も多いかと思います。

けれど天宇受売のお話は、古事記では、(1)天の石屋戸、(2)天孫降臨、(3)猿田彦の危機の三箇所に出てきます。
そして天宇受売は、我が国の女性が婚姻によって姓が変わることの事始めとしても描かれています。

天宇受売には別名があります。
「宮比神(ミヤビノカミ)」といいます。
女性神であり、まさに「みやびな神様」という名が付いているわけです。
ところが古事記の神語を読んでいくと、それがただのミヤビな女性というだけではないところが、実はすごいのです。

天宇受売のお名前は、『古事記』では旧字で「天宇受賣命」と書かれています。
「賣」という字は、「売」の旧字で、これは「出+買」で、物を売ることで物が網から出ていって、代わりに貝(=貨幣)が入る様子の象形です。
ですから売ることは、同時に入れることでもあるわけです。

天宇受売の四字を順に見ていきますと、まず「天」は、人の頭の上にあるものの象形です。
「宇」は、屋根の下で手斧をふるう姿、そして大きな屋根が天地四方八方を意味します。
「受」は、渡し船で荷を受け渡す象形で、そこから、与えられたものを受け取るという意味に用いられます。
「売」は上に述べたとおりです。

つまり「天宇受売」というご神名は、「天上界にあって(天)、天地四方にわたるご神意(宇)を、受け売る神様である、つまりそれはご神意と人々を仲立ちをするお役目を持った神様であるということが、漢字の読み解きからわかるわけです。

一方、『日本書紀』でのお名前は「天鈿女命」です。
読みは同じ「アメノウズメ」ですが、ここにある「鈿」という字は「田」が平たいことを意味し、それが金属ですから「平たい金属」となって、女性の「かんざし」を意味する漢字となったものです。
つまり意味としては単に「かんざしを挿(さ)した女性」というだけになります。
対外的な史書として書かれた日本書紀と、我が国の神語を遺そうとした古事記の違いが、こういうちょっとしたところにも現れています。


古事記で天宇受売神が最初に登場するのは、天の石屋戸の神語です。
須佐之男命(すさのをのみこと)が高天原で暴れまわるのですが、八百万の神々は、天照大御神になんとかしてください、と縋るばかりで、自分たちで行動を起こそうとしません。
このためついに天照大御神は岩屋戸にお隠れになってしまいます。

天照大御神は、太陽神です。
つまり太陽が隠れてしまうわけです。
そのとき何が起こったか。
古事記は次のように描写しています。

「高天原はみな暗く、葦原の中つ国もことごとく闇に閉ざされる。
 これにより毎日夜ばかりが続くようになった。
 ここにおいて、よろずの神の声は、
 狭いところにたくさんの蝿が飛び回り、
 あらゆる妖(あや)しい出来事が起きた。」
(原文)高天原皆暗、葦原中国悉闇。因此而常夜往。於是万神之声者、狭蝿那須(此二字以音)満、万妖悉発。

太陽が隠れて高天原も人間界も漆黒の闇に包まれ、その暗がりのなかで、まるで狭いところにたくさんのハエが飛び回っているかのような喧騒が起こり、妖(あや)しい出来事が次々に起こったというわけです。
この「狭いところにたくさんのハエが飛び回っているかのような喧騒」のことを、古事記は「狭蝿なす満つ」と表現しています。
この表現は古事記の中では度々出てくるのですが、それは人々が欲望に取り憑かれた不夜城のような喧騒をいいます。
倭塾のときには、まるで「パ◯ンコ屋の店内や、新宿歌舞伎町の夜の喧騒みたいなもの」とたとえさせていただきました。

これに加えて「妖(あや)しい」です。
「妖」という字は、女性が「あ〜ら、いらっしゃぁ〜い」とばかり体をくねらせて男性を誘惑している姿の象形です。
つまり私達の祖先は、そのようなものを「妖しい」こと、よろしくないことと考えていたわけです。

ことここに至って、八百万の神々が自分たちでなんとか問題を解決しようと立ち上がります。
そして天の安の河原に集まって、対策のための会議を開きます。
これがわが国初の国会です。

ただ、現在の国会と一点異なるのは、その問題についての利害関係人が集まっての会議であったという点です。
誰しも自分に直接関係のない事柄には、責任ある意見を述べることなどできないし、その意思決定に責任を負えないものは、そもそも会議に参加すべきではありません。
もっともこの場合高天原では、八百万の神々全員に関係する大事です。

この会議の結果、それぞれの役割を持った神様が天の石屋戸の前に集います。
そしてその中にあって天宇受売神が踊りを舞います。
これについて古事記は次のように描写しています。

「天宇受売命(あめのうずめのみこと)、
 天(あめ)の香山(かぐやま)の天(あめ)の日影(ひかげ)を手次(たすき)に繋(か)けて、
 天(あめ)の真拆(まさき)を鬘(かづら)と為(し)て、
 天(あめ)の香山(かぐやま)の小竹葉(ささば)(訓小竹云佐佐)を
 手草(たぐさ)に結(ゆ)ひて、
 天(あめ)の石屋戸(いはやと)に
 汙気(うけ)(此二字以音)伏(ふ)せて
 踏(ふ)み登杼呂許志(とどろこし)(此五字以音)、
 神県(かむがかり)為(し)て、
 胸乳(むなち)を掛(か)き出(い)で、
 裳(も)の緖(を)を番登(ほと)に忍垂(おした)れつ。
 尓(しかし)て高天原(たかあまのはら)動(どよみ)て、
 八百万神(やほよろづのかみ)共(とも)に咲(わら)ひき。」

ものすごく簡単に要約すると、要するに天宇受売神は、タライを伏せたような台の上に乗って、神がかりのようになって、そのタライを踏み轟かしながらダンスを踊ったわけです。
この描写は、その直前にある「妖しい」と対をなします。
つまり、天宇受売のダンスは、卑猥なセクシーダンスのようなものではない、ということがここではっきりと示されているわけです。

また「裳(も)の緖(を)を番登(ほと)に忍垂(おした)れつ」とあります。
「裳(も)」というのは、女性用の袴(ハカマ)で、男性用と違って裾を後ろに大きく垂らします。
その裳を腰に止めるための緒ヒモを、下肢に垂らしてということですから、激しい踊りに裳のヒモが、これは揺れたといった意味になります。

先日、古事記を漫画にしたある本を見たら、その本は二色刷りのカラー印刷だったのですが、この同じ場面で裸になった天宇受売が「あんたも好きねえ」と膝を立てて、周囲の男性の神々がヨダレを垂らしているシーンが描かれていました。

ドリフターズの加藤茶ではないのです。
それに古事記は、上にも述べましたように、天宇受売のダンスが「妖しいダンス」ではないことを、明確に否定しています。
要するにそれは堂々とした、そして足を踏み鳴らした堂々たる舞であり、だからこそ周囲にいた八百万の神々は、それを見て喝采を送っているわけです。

そして古事記の文章は、
「天照大御神は、これを怪しみ、
 天の石屋戸を細く開くと、内側から、
 『私が隠れていることによって、
  高天原も中つ国も
  暗くなっていると思うのだけれど、
  どうして天宇受売は楽しくし、
  また八百万神々はみんなで笑っているのか』
 と申されました。そこで天宇受売が、
 『あなたさまにもまして貴い神様がいらっしゃったので、
  歓喜して笑い、楽しくしているのです』
 と申し上げました。」
と書いています。

まさにここで、天宇受売神が、最高神である天照大御神の「ご意向を伺うお役目」をなされています。
八百万の神々を指揮して、岩屋戸を開けるために様々な思慮をめぐらせた天の安の河原でのトップは、思金神(おもいかねのかみ)です。
そうであれば、天照大御神の玉声を伺う役割は、思金神が担いそうなところです。
ところが、その役目は天宇受売が行っているのです。

まさに天宇受売神が、神の声を「受けて売る」お役目を果たされていることがわかります。
つまり天宇受売神は、ただのダンサーではないのです。
神の御声を伺い、それを皆に伝えるという重大なお役目を担っている神様として古事記は描いているのです。
どうしてそれがセクシーダンサーになるのでしょうか。

剣道では、打ち込みが浅いと、面や胴に竹刀が当たっただけでは一本になりません。
古典を読む場合もこれと同じで、読み込みが浅いと、読んだことにさえならないし、むしろそれは害毒にさえなります。

 *

次に天宇受売が登場するのが、天孫降臨です。
建御雷神(たけみかづちのかみ)の働きで大国主が国譲りを承諾し、迩々芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨されます。
この国譲りは、赤穂浪士の赤穂城の開城と同じで、城を明け渡す側は、受け取る側が困ることのないように、すべての備品を整理し、引継書をまとめ、また目録を作り、城内をきれいに清掃します。
それが我が国の歴史であり伝統です。

江戸城の明け渡しに際して、最近では江戸城内が混乱によって雑然となっていたかのように描写するものがありますが、とんでもない話で、あの広い城内を短期日ですべてきれいに掃き清め、室内も見事に整頓して明け渡しを行なっています。
明治に入ってから「明渡時の城内は雑然としていた」などと書いている者がいますが、三方原以来、命がけでしんがりを勤めることを家訓にしてきた家の者としては、馬鹿にするな!と言いたいところです。

さて、いよいよ天孫降臨のために迩々芸命(ににぎのみこと)が高天原から出発しようとするとき、そのルートの途中に、天の八衢(やちまた)に、御一柱の神様がいます。
そこで不思議に思った高木神(たかぎかみ)が、天宇受売神(あめのうずめのかみ)に声をかけます。
「汝は、手弱女人(たおやめ)だけれど、
 伊牟迦布神(いむかふかみ)(自伊至布以音)にも
 勝ってしまう神である。
 ゆえに汝が行って、
 『吾が御子が天降りする道にいるのは誰か』
 と問うてきなさい。」

高木神は、天宇受売神が女性でありながら、「お前は居向かう神様にも勝ってしまう神様だ」と詔(の)らされています。
その一方で天宇受売神が、「たおやめ」でもあると述べています。
普通に常識的に考えて、天宇受売は、ダンスを踊るくらいですから、スタイルは抜群、しかも人前で踊るくらいですから、容姿端麗の超絶美女です。
しかも「たおやめ」というくらいですから、立ち振舞いも優美な女性であるとわかります。
にも関わらず天宇受売は、居向かう神様にも勝ってしまう「強さ」を持っている神様でもあるわけです。

これはどのような女性と考えたら良いでしょうか。
私はこの描写を、日本における古代からの女性の美しさのひとつの表現であると思います。
たとえばChinaの場合、女性に求めるものは、いいなりになって子を生む女性です。
ですから女性が外出などできないように、纏足(てんそく)といって、幼い頃から足に木型を嵌め、大人になっても足の大きさが幼児くらいしかない、自立歩行さえも困難な女性に仕立て上げられたりしていました。
纏足をした大人の女性の足の骨のレントゲン写真を見ると、足の骨が砕けていてバラバラになっています。
少しでも自立歩行しようとすれば、あれでは激痛が走ったものと思います。

ところが我が国では、女性の美しさは、子を産むという機能や、外見上の美しさだけではない、もっと精神面の凛とした美しさを大切にするという文化が、実は大昔の神語の時代からあったということを、古事記のこの段では象徴しているのであろうと思います。

歴史上も、古事記のみならず、ここ一番というときには、我が国では女性が登場します。
「倭国大乱」をおさめた卑弥呼、世界に向けて「日本」という国号を堂々と名乗った持統天皇、古事記提出を命じられた元明天皇、史上最も美しい女性天皇といわれる元正天皇、鎌倉幕府崩壊の危機を防いだ北条政子等々、我が国の女性は、たおやかであっても、そこに芯の強さがあり、まさにい向かう男性にも堂々と勝ってしまうような芯の強い女性こそ、美しい女性とされています。
そしてこのことが、(3)を理解する上での伏線になります。

その天宇受売が、道にいる神に、「お前は誰か」と問うわけです。
すると、次のように答えたと古事記には書かれています。

「僕は国つ神で名を猿田毘古神(さるたひこかみ)と申します。
 ここに居る理由は、天つ神の御子が天降りされると聞いたので、
 御前に仕え奉ろうとやってきたのです。」

この猿田毘古神について、次のような解説をしているものがあります。
大国主を筆頭とする国つ神たちが、出雲王朝の天孫への引き継ぎのために、一生懸命に準備に追われているときに、猿田彦神は、ひとり抜け駆けして高天原へと走り、迩々芸命に取り入って、国つ神の中で唯一、天つ神側に立った・・・つまり、国つ神たちを裏切って抜け駆けをした、というものです。

何度も申し上げていることですが、私はその場に居合わせたわけではないので、実際にどのような出来事があったかは、知らないし、わかりません。
ただ、はっきりといえることは、すくなくとも古事記には、裏切っただとか抜け駆けしたのだというようなことは、まったく書かれていないということです。

さらにいえば、国譲りに際して、事代主神(ことしろぬしかみ、後のエビス様)が、一切をきちんと切り盛りした様子が古事記には描かれています。
そうすると、むしろ迩々芸命を迎えることになった出雲では、国つ神たちが大国主神や事代主神の指導のもとで、国の明け渡しのための準備万端をととのえると同時に、天孫降臨される迩々芸命が途中の道に迷うことがないように、猿田彦神を迎えに送り出した、と考えたほうが、理屈が通ります。

要するに猿田彦神は、抜け駆けして高天原にやってきたのではなくて、国つ神を代表して、大国主神や事代主神等の指示によって、出迎えにやってきたといえるのだと思います。
そのほうが失礼がないし、それくらいの配慮は、あって当然のことだからです。

つまりその程度の常識は踏まえた上で、猿田毘古神は、
「僕は国つ神で名を猿田毘古神(さるたひこかみ)と申します。
 ここに居る理由は、天つ神の御子が天降りされると聞いたので、
 御前に仕え奉ろうとやってきたのです。」
と述べたと解するべきであろうと思います。

そして古事記の記述は次のように続きます。
「こうして
  天兒屋命(あめのこやのみこと)、
  布刀玉命(ふとたまのみこと)、
  天宇受売命(あめのうずめのみこと)、
  伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、
  玉祖命(たまのおやのみこと)、
 幷(あは)せて五伴緖(いつとものを)を
 支(わか)ち加えて天降(あも)りされました。」

この五伴緒神の記述について、実は、古事記読み解きにあたっての、ある重大な記述があります。
それについては、10月に出る『ねずさんと語る古事記』第三巻に書いていますので、ここでは割愛します。
ここを読み解かなければ、実は古事記の読み解きができない。
そういう意味での重大な事項です。
ここでは内緒です。

 *

天宇受売が3つめに登場するのは、猿田毘古神を送ったときの物語です。
古事記には次のように記載されています。

「迩々芸命は天宇受売命に、
 『我々の先導を勤めてくれた猿田毘古大神は、
  最初に声をかけた汝(いまし)が、送ってさしあげなさい。
  また、その神の名前は、汝がもらって私に仕えなさい」
 と詔(の)らされました。
 こうして猿田毘古之男神(さるたひこのをのかみ)の名をもらったので、
 猿女君の女たちは「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになりました。」

さて、天宇受売は、迩々芸命の命によって、猿田毘古神の名をもらって「猿女君」と呼ばれるようになったと書かれています。
実は、これが女性が婚姻後に姓が変る事始めになります。
以後、我が国では、婚姻後に女性は夫の姓を名乗るようになるわけです。

昨今では男女別姓論などが出てきていますが、我が国は、はるか神語の昔から続く国家です。
そうした伝統を大切に思う気持ちは、人を大切にする気持ちに通じます。
逆に言えば、そうした伝統を頭から否定したり、知らしめたりしないというのは、ただの不勉強か、何か別な卑しい考えがあってのことではないかと私は思います。

さて猿田毘古神が、阿邪訶(あざか)に坐(いま)すときに、猿田毘古神は、漁をしていて比良夫貝(ひらふかい、月見貝のこと))に手を挟まれて海で溺れてしまいます。
この報に接した天宇受売命は、すかさず大小の魚を集めると、
「汝たちは天つ神の御子に仕えるか」
と問います。
諸々の魚たちが皆「仕えます」と答えた中、海鼠(なまこ)だけが答えませんでした。
そこで天宇受売命は、
「この口が答えない口なのか」
と言って、紐の付いた小刀でその口を裂いた。このためいまでも海鼠(なまこ)の口は裂けています、と古事記は書いています。

このときに、ナマコが実際に猿田毘古神を溺れさせた黒幕であったかどうか(下手人は月見貝です)に関わりなく、天宇受売は、決然とナマコに対して処罰を行っています。

これは一罰百戒といって、事態が大きくなる前に、その反乱の芽を摘もうというものです。
ナマコにしてみれば迷惑な話かもしれませんが、ここで処罰しないことで、他の多くの生き物に被害が出るようになってからでは遅いのです。

現代刑法は、実行犯が実行してからでしか処罰できないようになっています。
しかし、たとえばイスラム過激派の爆弾テロなどがそうですが、実際に実行犯となるのは、下っ端やカネで雇われた者でしかありません。
黒幕は他にいるのですから、いくら末端の実行犯を処罰したところで、実はなんの解決にもなりません。
さりとて、黒幕は黒幕であって、誰なのかわからない。
わからないから黒幕なのです。

そうであれば、黒幕の出る幕を塞ぐために、まだ軽微な犯罪が行われた時点で、まずは果敢に処罰を行う。
軽微な事件であれば、処罰も小さなもので済むのです。
けれど、黒幕に対しては、重大な抑止になります。
だから一罰百戒を、早期に実施しているのです。
それを女性である天宇受売が行っています。
まして男子たるもの、明らかな不祥事がまかり通っているのに、一罰百戒どころか、事態が大きくなってなお何も手を打たないなど、もってのほかと言えます。

古典の持つ知恵を私たちはもう一度見返してみる必要があるのではないでしょうか。