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「日本のこころ」から東京比例で立候補された赤尾由美さんの応援に行ってきました。

「愛と調和と感謝」を日本の政治に反映させるための信条をお話しなさっていました。
感動しました。

赤尾由美さんのイメージには、赤いリンゴ🍎がピッタリということで、赤いリンゴ🍎を持って応援しましょう❣️との呼びかけがありました。

【リンゴの歌は「日の丸の歌」
サトーハチローがGHQ占領下で「日の丸の復活」を願う日本人のこころを真っ赤なリンゴ🍎に託して作った歌。】

赤いリンゴ🍎が自宅になかったので、丸くて赤い物を探していたら、丸くて赤い珊瑚の指輪があったのを思い出しました!

リンゴと同じ、赤い珊瑚も日本を象徴していますね(^-^)

そして、赤い珊瑚から思い出したのが「ねずさんのひとりごとメールマガジン」のVol.0226「赤珠は緒さへ光れども」でした✨

http://www.mag2.com/m/0001335031.html

その一部をご紹介いたします

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赤珠は 緒さへ光れども
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古事記の海幸山幸の章に、次の歌があります。

 赤珠は 緒さへ光れども 白珠の
 君が装(よそ)ひし 貴(たっと)くありけり

豊玉毘売命が山幸彦に送った歌です。
赤珠というのは、赤珊瑚(あかさんご)でできた美しい装身具です。
最近ですと、中国漁船が赤珊瑚を日本の領海で勝手に盗みに大挙してやってきたというニュースがありましたが、いまも昔も、赤珠は破格の高級品だったのです。
ですから歌は、赤珊瑚でできた装身具は「飾り紐までも美しく輝いて見える」と詠んでいます。

続く白珠は、真珠を意味します。
たいていの解説書は、この歌について、白珠は「君が装ひし」にかかるものとしていて、ですからこの歌の意味は、「美しい赤珠は、まるで緒紐さえも光かがやくようだけれど、白珠のように美しい君が装うと、いっそう貴く見えますわ」と詠んでいると解釈しているようです。
白珠の君というのが、山幸彦を指しているというのです。

ところが私はその解釈は間違いだと思います。
どう間違いかというと、白珠とは豊玉毘売のことだからです。

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豊玉毘売は、大綿津見神の娘で海の女神です。
「豊玉」は海で採れる真珠を意味します。
真珠には、白い本真珠の他に黒真珠やピンク真珠、あるいはゴールドの真珠など、様々な真珠がありますが、日本で採れる天然物の真珠はアワビによって生成される白い本真珠です。
時代は異なりますが、『魏志倭人伝』にも邪馬台国が魏国に白珠(真珠)五千個を贈ったことが記されていて、日本産の真珠は中世においても遠くヨーロッパにまでその美しさが知られていました。
つまり豊玉毘売のイメージは「白珠(しろたま)」なのです。

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以上の次第から、白珠は、豊玉毘売とわかります。
その豊玉毘売について、歌は「君が装いし」としています。
つまり山幸彦が、豊玉比売を装っているのです。
これはつまり、お二柱の神様が、ご一緒に暮らしていた頃のことです。
そしてその思い出が、豊玉毘売は「貴い」と詠んでいるのです。

その意味で歌を現代語にすると、
「赤珊瑚でできた装身具は飾り紐までも美しく輝いて見えますけれど、あなたと暮らした頃の思い出は、私にとって、そんな赤珊瑚よりもずっと貴い思い出ですわ」というような意味になります。

実は、この歌を詠んだ時、お二柱の神様は別れて別居しています。
「そんなに恋しいなら、さっさと会いに行けば良いではないか」と思うかもしれません。
豊玉毘売は、夫に産褥の恥ずかしい姿を見られ、夫には二度と逢わないと心に誓っているのです。
けれど愛するがゆえに心が迷う。
逢いたい、でも逢えない、だけど恋しい。
だから、「あなたとの思い出は、私にとって貴い思い出なのです」と詠んでいます。

この歌に夫の山佐知毘古が歌を返しています。

 沖つ鳥 かけとく島に 我がいねし
 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに
 
「かけとく」(原文=加毛度久)は、遠く離れたという意味です。
「はるか沖合にある遠く離れた島に、あなたは去ってしまったね」というのが上の句です。
下の句は「時代が変っても、何があっても、お前のことは忘れないよ」です。
明らかに山幸彦は、豊玉比売を愛しています。

けれど山彦はこの歌のどこにも「逢いたい」とも、「帰ってきてほしい」とも書いていないのです。
自分の軽はずみで愛する妻を心から傷つけてしまったのに、それを「帰って来い」というのは、豊玉毘売に対してあまりに残酷な仕打ちだと、男性である山彦は思っています。

山彦も本当は帰ってきて欲しいのです。
だから歌に「妹は忘れじ」と詠んでいます。
けれど愛するがゆえに、一度傷つけた相手の女性の気持ちを、また再び傷つけてはいけないと葛藤しています。
だから本当は帰ってきてほしいけれど、「帰って来い」とは言えないでいます。

優しいから言えない。
豊玉姫を大切な存在と思っているから言えない。
男性である私には女性の気持ちは図りかねますが、豊玉姫の歌を読めば、そこには明らかに「あなたが恋しい」と書かれているとわかります。
けれどそこに「帰りたい」とは書いてない。
あとひと押し、山幸彦が「おいで」と言えば、二人は幸せに暮らせたのかもしれません。
けれど二度と傷つけてはいけないと思う山幸彦には、その一言が言い出せないでいます。

太安万侶は、『古事記』の編集に際して、山幸彦の物語の最後に、この歌をそっと挿入しました。
もともと山佐知毘古は、兄を悲しませたことをたいへんに気に病むくらいのやさしい人柄です。
豊玉比売には、幸せだった海の宮殿の三年間は別として、その後の出産時においては、必ずしも良い夫とはいえなかったかもしれません。

愛するがゆえに、相手の気持ちを大切にする気持ちが強いがゆえに、「帰っておいで」とはいえない。
そんな不器用だけれど愛情豊でやさしい山幸彦を、『古事記』はこの歌で象徴させようとしたのではないかと思います。


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「あなたとの思い出は、私にとって貴い思い出なのです」
だから、もう二度と会わない、会えない。

豊玉姫の、この思いは現代にも引き継がれています。

神話から続く日本の心、赤尾由美さんの応援で再確認できました❣️

日本のこころを自覚するって素敵な事だし、幸せなことですね(^-^)