{3A5723DF-C58F-4533-84DF-F4CA583790C9}


憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ

激しかれとは  祈らぬものを

20151208 倭塾・動画配信サービス2

あの人の心が私になびきますようにと、観音様に祈ったはずです。
初瀬の山おろしのように、私に冷たくなれといのりはしませんでした。


***

「初瀬」は奈良県桜井市に現存する地名で、今では「はせ」と読みますが、大昔はここを「泊瀬」と書きました。
そして泊瀬は、第二十一代雄略天皇(5世紀)が「泊瀬朝倉宮」を置いた土地でもあるのです。
雄略天皇は、古代大和朝廷の基礎を築いた天皇です。
それまでの大和朝廷は、全国の地方豪族たちのいわば連合政権のようなカタチでした。
雄略天皇は圧倒的な軍事力を背景に、この大和朝廷を倭国の統一王朝にしたとされています。

要するに源俊頼の歌の真意は、片思いの彼女の態度が冷たいとか、そういうことでは全然なくて、地方で新たな豪族となった開墾農民たちが武士を名乗り、衝突を繰り返しているという、「思いどおりにならない(憂かりける)世情(人)に対し、雄略天皇(初瀬)でさえ、武力(山おろし)の激しい衝突(激しかれ)など、望んでいなかったものを(祈らぬものを)」と詠んでいるのです。

そして、この歌を七十四番歌に配したのには、もっと深い理由があるのです。
詳しくは七十五番歌から続く、「保元の乱」を題材にした歌を見ていただくと分かります。



『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
~31文字に込められたもうひとつの思い~
http://goo.gl/WicWUi




人気ブログランキングへ