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http://youtu.be/rR7agqaMQxA


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山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
  人目も草も  かれぬと思へば


山里は、冬にこそ寂しさがまさっている。訪れる人も絶え、草木も枯れてしまうと思えるから。


***

「私がいるのは、寂しい山里だ、こんなところにいたら、立ち枯れてしまう」
源宗于はここでも「出世させてください」と訴えているのです。
彼の心根は間違っています。
仮にそこが辺鄙な山里であったとしても、今いる場所を終の住処とわきまえて、民のために誠実を尽くし抜く。
それが人の上に立つ官という者が持つべき資質であり、示すべき姿勢なのだということを、藤原定家はこの歌を撰歌、配列することで反証的に伝えようとしているのです。
そこに定家の意図があることは、次の凡河内躬恒の歌を見ても明らかです。