源(全ての根源の神)は、更にまた、幾何学ベースの幻想の壮大な世界を、(大雑把に例えるならば)まるで、パソコンゲームやゲーム機などのソフトウェアプログラムを作るような感覚で全て創りあげたように思われます。
例えば一般のゲームでは、プレーヤーの操作に合わせて、ゲームのキャラクターの次の行動が決定されます。
そしてそのそれぞれの行動パターンに合わせて、次の出来事が決定付けられるようにゲームでは予めソフトウェア内にプログラムされています。
キャラクターがもしもこうしたら、次にはこうなるというふうに、予め全ての起きる出来事が決められています。
ですから、この現実世界も、同じように、全ての出来事(おそらくは意識そのものを除いた外枠)がほぼ最初から決められているように思われます。予め作られたプログラムの中に全てが最初から組み込まれ状況が決められています。
決まっていないのは、プレーヤー(意識そのもの)が次にどう操作するのかが決まってないだけです。
そこが現実世界における、いわゆる『自由選択』に該当する部分であり、次に何を選択するのかはその人次第というわけです。
本人が何を選択したかによって、プログラムにより、次に進む場面(状況)が決まるわけです。
幾何学に基づいた宇宙全体の法則の流れに沿うようにしつつも、そういうふうにして、源は、自分でいろんなキャラクターを演じて、いろんな場面や出来事を、様々なパターンで体験してみているわけです。
この世は、神様劇場であり、源によるひとり芝居です。
源が、各キャラクターを自作自演している人生ゲームです。
でも多くの人達は、
自分が本当は源そのものであることを忘れ、
本当は何も無いことも忘れ、
創造物は全て幻想であり幻に過ぎないことも忘れ、
創造物を全て自分が創ったことも忘れ、
肉体が創造物であることも忘れ、
見えてる世界が全てゲームであることも忘れ、
そのゲームを自分自身が作ったことも忘れ、
自分がそのゲームの世界ではキャラを演じているに過ぎないこともすっかり忘れて、
つまり自分が神様劇場の劇を演じている俳優であることもすっかり忘れて、
この世をすっかりリアルだと信じ、
自分が作った創造物(肉体)を自分自身であるとすっかり信じ込んで、
自分が創ったキャラクターを自分自身であるとすっかり信じ込んで、
ゲームや劇のキャラクターに成りきって、
ゲームや劇に没入し、
なすがまま生きているわけです。
しかしながら、
自分が本当は源であることを思い出し、
この世界が幻であることをわかった上で、
この世界がゲームに過ぎないことをわかった上で、
この世界が劇場に過ぎないことをわかった上で、
あるキャラを演じている俳優が自分であることをわかった上で、
そういったことを全てしっかり認識した状態で、
この世界を、源として、創造主として、責任を持って人生を創造しながら、
源の分身である自分が、源(=自分)が望んでいるように生き、人生を楽しんでいくというのが本来あるべき姿です。
今、ほとんどの人達は、自分の創造物である肉体を自分だとすっかり思いこみ、
ゲーム(又は劇場)のキャラを自分そのものだとすっかり思いこみ、
すっかりゲーム(又は劇の物語)に没入してしまっていることが問題なんです。
かつて、まだ人間など存在しない頃かもしれませんが、
天使たちが、あれこれ自由に創造し、いろんな生き物を創り出していました。
そのうちにやがて、自分が創造した生き物の中に入って遊ぶ天使があらわれました。
生き物に入り込むことで、その生き物のいろんな感覚を自分も味わえることができたからです。
そうすることで、天使には無い、いろんな感覚を天使達は楽しみました。
でも、そうやって遊んでいるうちに、中には、遊び終わったあとに、もとの天使に戻るために、創造した生き物から出ようと思っても、なかなか出られない天使が出てきました。
そうして、とうとう、長時間にわたって生き物の中で遊びまくった天使の中には、その生き物から全く出られない天使が出てきてしまいました。
そういった出られなくなってしまった天使は、やがて、自分がかつて天使だったことも忘れて、自分が最初からその生き物だったとすっかり信じ込むようになりました。
結局そうやって、自分の創造物と同化してしまいました。
きっと、皆さんの中には、かつて天使だったことがある人も多いかと思います。
でも天使というのもまた、源の創造物です。
どうか幻想の中から抜け出して下さい。
あなたは幻想の中身を創造している源そのものなのです。
幻想を幻想だとしっかり認識した上で、創造なさるべきです。
ゲームをゲームだとわかった上で、ゲームを楽しむべきなのです。
ところで、人生が修行であると考える人達が非常に多いですが、
人生は修行などではありません。
本来は修行など必要ありません。
子供の頃から育った周りの人々の影響や仏教などの影響により、
人生は修行だとあなたが勝手に思い込んでいるだけです。
仏陀は修行など必要なかったんだと修行した後で理解しましたが、その弟子たちにはわかりませんでした。
そして現在になってもなお、弟子たちは理解しておりません。
例えば、
シリウスやプレアデスなどの高次の存在達が毎日修行をしていると思いますか?
シリウスやプレアデスなどの高次の存在達が毎日座禅を組んでると思いますか?
シリウスやプレアデスなどの高次の存在達が頭をまるめていますか?
アセンデッド・マスター達は、みんな頭をまるめていますか?
アセンデッド・マスター達が、必ず二礼二拍手して神々を参拝していると本気で思うのでしょうか?
すべては人間が自分で勝手に作り出した決まり事に過ぎません。
修行など必要なく、ただ、知ればよいだけです。
また、本来は学びなんてありません。
学びがあるとあなたがすっかり思いこんでいるだけです。
学ばなくても全てを最初から本当は知っているんです。
なにしろ全てを創ったのは源である自分なので本当は全てを知ってます。
ただ、全てを忘れることにして生まれてきただけです。
従って、
学ぶというよりも、知るというよりも、
正確には、ただ思い出せばいいだけです。
やりたいことは、ただ体験をしてみたいだけです。
幻想の中で、体感してみたいだけです。
自分が創造した全てを味わいつくしたいだけです。
意味があるかというと、本当はそんなに特に意味もないんだと思います。
源であるあなたは、創造主でもあるので、どんどん現実を創造していくことが仕事です。
但し、創造する場合には、きちんと全責任をもって創造しなければなりません。
創造した結果、もしも失敗してた場合には、創造のプロセスにおいて、あなたが何らかの設定を見落とし、なすがままにしてしまったせいなので自分自身のせいです。きちんとその責任を負わねばなりません。
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