2年毎にオリ・パラが開催される度に、

また様々な世界選手権等が開催される度に

レコーダーが満タンになるまで録画して、

休みの日に1日12時間ずつ見ているくらい、

スポーツは大好きですが、

今回のオリ・パラは止めていただきたいと

ずっと思い続けていた、「僕の私見」を

残しておこうと思います。


東京オリ・パラが決まった2013年、

僕は怒りがこみ上げ来たのを

いまだに記憶に残っています。
遡ること、2011年3月11日 14時46分。

僕は教室で2人の生徒さんと授業をしていて、

東京はその1分後くらいに揺れ始めて、

その後ワンセグで津波のシーンを

リアルタイムで見て、事の重大さを

思い知らされました。

まだ、復興が全く進まない中の

東京オリ・パラ開催の決定です。

これでは復興が遅れてしまうではないかと

怒り心頭でした。


そして、もうひとつ。
僕の母親の実家や親族は、

福島第一原子力発電所から

約25km離れた場所。

もう年寄りばかりなので、

あまり気にはしてなかったようですが、

避難指示もなく、

また福島の子供たちは甲状腺がんに

不安がある中で、過ごしたことを考えたら、

今、大手を振って開催するのか?と…。
僕は絶対に罰が当たるぞ!と

生徒さんに言いまくっていました(苦笑)。


その後は相次いで不祥事

(マークの不祥事、安倍首相の海水汚染

アンダーコントロール発言など)が問題となったり、

毎年の自然災害、最後はまさかの新型コロナウイルス。
僕もパンデミックまでは想定外でしたが、

結局この7年間の事象が

東京オリ・パラを象徴している気がしてなりません。


「祈る、願う」が、どれだけのエネルギーが

あるのかは科学的に証明されていませんが、

宇宙のほとんどは、まだ解明されていない

ダークマターが存在することは解っていますから、

祈る、願うことも1000年も経てば、

科学的に解明されることと思っています。

ですから、罰が当たることもあるのではないかと

思っていたらこんな状況です。


そして当時は、日本の財政事情からしても

何故、借金が莫大な日本で開催する必要が

あるのかとも思っていました。

MMTを知ってからは、借金の件は問題ないと

思い改めましたが、

政府や役人は借金があるからと

言い続けているあたり、オリ・パラを開催するというのは、

逆につじつまが合いませんね。


また、1964年の東京開催の負の遺産

(首都高速の突貫工事、過酷な労働)など、

殆ど語られないで、「戦後復興の象徴!東京五輪」、

「あの素晴らしかった東京五輪をもう一度」などというのは、

スポーツ大好きな僕としても、いかがなものかと思います。
現代のオリ・パラは政治的影響力が大きく、

またそれを良しとしてきた世界の環境も僕には

ずっと違和感を持ってきました。

 

当時中学生だった時に、待ちに待っていた

モスクワオリンピックが政治的判断で

ボイコットしてガッカリして以来、

特に「夏季オリンピック」は、冷ややかに

見てしまうようになってしまった僕がいます。


Sport(スポルト)の語源は気晴らし。

もう現代では気晴らしではなく、

スポーツを仕事としている人がいる以上、

オリ・パラの中止は死活問題なのかもしれません。

しかし、災害に遭った人々がいまだ苦しみ、

今回のパンデミックで収束が遅れている中で

オリ・パラを開催する意味が僕の中では見出せません。

特にパラリンピック選手の配慮などの

情報が少ないことも僕はイラッとしてしまいます。

今の日本はオリ・パラを開催できる国ではなさそうです。

とにかく、これだけ初めからケチがついてしまっていることを

今一度振り返れば、中止してもらったほうが

一都民としてはホッとします。