マクロビオティック (Macrobiotic) は、食生活法・食事療法の一種である。
名称は「長寿法」を意味する。第二世界大戦前後に食文化研究家の桜沢如一が考案した。
食生活法は、「玄米菜食」「穀物菜食」「自然食」「食養」「正食」「マクロビ」「マクロ」
「マクロビオティックス」「マクロバイオティック」「マクロバイオティックス」とも呼ばれる。
また、マクロビオティックを実践している人のことを、マクロビアン、
「"穀菜人(こくさいじん)"」と呼ぶこともある。
「"穀菜人(こくさいじん)"」と呼ぶこともある。
マクロビオティックの運動のはじまりとしては、
1928年に桜沢如一(思想家・食文化研究家)が行った講習会であると、桜沢の夫人が述べている。
現在ではさまざまな分派が存在するが、桜沢如一に端を発した食に関する哲学や
独自の宇宙感に関してほぼ同じ考えを保っており、また各集団も連携している。
独自の宇宙感に関してほぼ同じ考えを保っており、また各集団も連携している。
マクロビオティックは、マクロ+ビオティックの合成語である。
語源は古代ギリシャ語「マクロビオス」であり、「健康による長寿」「偉大な生命」などといった意味である。
18世紀にドイツのクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが、長寿法という意味合いで使いはじめた。
マクロビオティックはフランス語など、ラテン語系の言語での発音を日本語表記したものである。
英語ではマクロバイオティクスに近い発音である。
◆マクロビオティックの特徴
◆マクロビオティックの起源
◆マクロビオティックの展開
◆思想としての側面
◆海外での展開と逆輸入
◆マクロビオティックの特徴
玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、
独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法である。
おおむね以下のような食事法を共通の特徴とする。
おおむね以下のような食事法を共通の特徴とする。
●玄米や雑穀、全粒粉の小麦製品などを主食とする。
●野菜、穀物、豆類などの農産物、海藻類を食べる。
有機農産物や自然農法による食品が望ましい。
●なるべく近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べ物を食べるのが望ましい。
●砂糖を使用しない。甘味は米飴、甘酒、甜菜糖、メープルシロップなどで代用する。
●鰹節や煮干しなどを魚の出汁、うま味調味料は使用しない。
出汁としては、主に昆布やシイタケを用いる。
●なるべく天然由来の食品添加物を用いる。塩はにがりを含んだ自然塩を用いる。
●肉類や卵、乳製品は用いない。ただし、卵は病気回復に使用する場合もある。
●厳格性を追求しない場合は、白身の魚や人の手で捕れる程度の小魚は、
少量食べてもよいとする場合がある。
●皮や根も捨てずに用いて、一つの食品は丸ごと摂取することが望ましい。
●食品のアクも取り除かない。
●コーヒーは身体を冷やすので避ける。
◆マクロビオティックの起源
思想的な基盤は、食育で著名な明治時代の薬剤監であり医師であった
石塚左玄の食物に関する陰陽論である。
石塚左玄の食物に関する陰陽論である。
桜沢は左玄の結成した食養会で活躍することを通して食事療法(食養)を学び、独自に研究した。
左玄の著書に「化学的食養長寿論」というものがあり「化学的」と冠しているが、
左玄は当時の科学に敬意を持ち、当時の栄養学では重要視されなかった栄養素の
ナトリウムとカリウムを陰陽のバランスと見て重要視し独自の理論を提唱した。
もとが中医学ではないため、この分類は中医学の陰陽論に基づく分類とはかなり異なる。
左玄は「白い米は粕である」として、玄米には栄養が豊富に含まれていると主張してきた。
このことは20世紀初頭の栄養学でも確固として認められてきた点があるが、
当時の栄養学には食物繊維の概念がなかったため、消化されない栄養学があるとして
少し精白した米をすすめた。
当初、桜沢は左玄の考え方に従い、鳥、魚、卵を少しなら食べてもよいとしていたが、
晩年にそれらも食べない菜食が正しいという見解に到っている。
石塚左玄の食養
1.食本主義
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、 心身の病気の原因は食にあるとした。
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、 心身の病気の原因は食にあるとした。
2.人類穀食動物論
人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、
人類は穀食動物である。
人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、肉を噛む犬歯4本なので、
人類は穀食動物である。
3.身土不二
居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで
心身もまた環境に調和する。
居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にすることで
心身もまた環境に調和する。
4.陰陽調和
当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目し、
さらにそのバランスが崩れすぎれば病気になるとした。
当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)とカリウムに注目し、
さらにそのバランスが崩れすぎれば病気になるとした。
5.一物全体
一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
「白い米は粕である」と玄米を主食としてすすめた。
◆マクロビオティックの展開
初期の頃から、欧米風の動物性食物の多い食事と、それに起因すると考えられる疾病の多発、
食肉を得るための多大なエネルギーの浪費や環境汚染や気が問題、
食肉を得るための多大なエネルギーの浪費や環境汚染や気が問題、
非効率的な消費や病気の増加による経済的な損失を批判してきた。
その後の運動の展開としては、久司道夫、菊池富美雄、相原ヘルマンらが主に海外で、
松岡四郎、大森英櫻、岡田周三、山口卓三、奥山治らが主に国内で広めた。
日本国内にとどまらず、世界各地に広がっている理由として、こうした考えが受け入れられる面もある。
マクロビオティックは、ベジタリアニズムの一種と解されることもある。
桜沢は左玄の陰陽論をヒントに、食品を「陰性」「中庸」「陽性」に分類することを追求した。
産地の寒暖や形而上の特徴から牛乳・ミカン類・トマト・ナス・ほうれん草・熱帯産果実・カリウムの
多いものなどを「陰性」とした。
多いものなどを「陰性」とした。
玄米・本葛粉(他のデンプンを混合した物は「中庸」ではない)は「中庸」、
塩や味噌・醤油・肉などナトリウムの多いものは「陽性」とした。
桜沢は当時の科学にも結び付けた。
桜沢は当時の科学にも結び付けた。
根拠のないあらゆる独断を排除する懐疑論の立場からは、
「マクロビオティックス食事法が健康に役立つとしても、それは偶然である。
なぜなら、マクロビオティックスは食物を物理的品質や栄養学的品質にもとづいて
選んでいるのではなく、形而上学的特性で選んでいるのにすぎないからである。」と指摘されている。
桜沢は、ルイ・ケルヴランによる生体内で原子転換が起こるという説を支援し
『生体による原子転換』や『自然の中の原子転換』を日本とフランスで同時に発売した。
久司も、生体内で日夜元素が別の元素に変わる原子転換が行なわれていると主張している。
◆思想としての側面
マクロビオティックは、むしろ「思想」に近いものであり、病状などに即して栄養学的に
メニューを調整するといった食事療法とは根本的に異なり、
メニューを調整するといった食事療法とは根本的に異なり、
生活そのものを改善するような、平和運動を伴った思想が根底にあるとされる。
さらに、陰陽思想を食のみならず、生活のあらゆる場面で基礎とすべく、
万物を陰と陽に分類する無双原理という哲学を提唱した。
そして、この独自の哲学を含む食生活運動へと発展させた。
食養会は、時代背景も反映して「米はウカノミタマや天皇家の象徴であり、神聖である」として
食養を奨励し、当時の世論である国家神道や八紘一宇の世界観から
平和的な世界統一観を主張していた。
食養を奨励し、当時の世論である国家神道や八紘一宇の世界観から
平和的な世界統一観を主張していた。
こういった側面は、現在ではなくなっている。
宗教学者の島薗進はエコロジー運動とよく似た考えや、宗教的な敬虔さを含んだ
日本独自の思想が20世紀初頭にも存在していたという指摘をしている。
日本独自の思想が20世紀初頭にも存在していたという指摘をしている。
また、島薗進は個々の現象への陰陽の割り当ての方法が恣意的であり、食物の陰陽調和や
病気に対する対処の根拠について、十分な根拠があるか疑問であると指摘している。
病気に対する対処の根拠について、十分な根拠があるか疑問であると指摘している。
◆海外での展開と逆輸入
桜沢如一はこれを広めるべく1929年に渡仏、1960年代に渡米して、弟子の久司道夫らとともに
「禅・マクロビオティック」と唱えて普及した。
「禅・マクロビオティック」と唱えて普及した。
アメリカの宗教学者によれば、ニューエイジ運動の推進的なものの一つに数えられる。
1950年代、久司がアメリカでマクロビオティックを広めようとした頃は、当時の栄養学と
矛盾していることから大きな反発があったという。
矛盾していることから大きな反発があったという。
1967年にJAMAは、抑圧的なマクロビオティック食養方に固執することによって引き起こされる
壊血病と栄養失調に関する詳細な報告書を刊行した。
壊血病と栄養失調に関する詳細な報告書を刊行した。
1971年にも、米国医師会の食品栄養委員会は食養法の実践者、
特に厳格な実践を行っているものは、栄養失調の重大な危機に直面しているとしている。
特に厳格な実践を行っているものは、栄養失調の重大な危機に直面しているとしている。
政府によって禁止措置がとられたこともあったが、久司が風洞を考慮し、再構築したマクロビオティックを
広めていったことで、1970年代以降に、政府や栄養学会に受け入れられるようになったとされる。
広めていったことで、1970年代以降に、政府や栄養学会に受け入れられるようになったとされる。
当初アメリカでは、東洋思想への関心から久司のもとに集まったヒッピー達と共に、
日本のマクロビオティックの食事を日本語の呼び名で広めていった。
日本のマクロビオティックの食事を日本語の呼び名で広めていった。
1977年には、従来の欧米型食生活が生活習慣病の増加をもたらしているとの反省から
「アメリカの食事目標(マクガバン・レポート)」(肉や牛乳の摂取が癌を促進するとされる
大規模な疫学調査結果と実験結果)が打ち出され、それを機に伝統的な和食への関心が高まり、
「アメリカの食事目標(マクガバン・レポート)」(肉や牛乳の摂取が癌を促進するとされる
大規模な疫学調査結果と実験結果)が打ち出され、それを機に伝統的な和食への関心が高まり、
同時にマクロビオティックの考え方も見直されるようになった。
この食事目標の作成にあたって、委員会のリーダーであるジョージ・マクガヴァンや
原案をまとめたハーバード大学のヘグステッドも久司らと話し合いを行ったとされるが、
同報告には久司らの名前もマクロビオティックについても記述がない。
久司はマクロビオティックが大きく受け入れられた象徴的なイベントとして、ハーバード大学が主催し
WHO(世界保健機関)がバックアップした国際栄養学会の晩餐に、食事をつくることが
要請されたとしている。
WHO(世界保健機関)がバックアップした国際栄養学会の晩餐に、食事をつくることが
要請されたとしている。
こうした久司道夫を中心とする地道な活動が徐々に広がり、マクロビオティックが
人々の食生活を改善した功績は国際社会に高く評価され、1999年には、久司道夫が
日本人として初めてアメリカ国立歴史博物館であるスミソニアン博物館に殿堂入りを果たす。
人々の食生活を改善した功績は国際社会に高く評価され、1999年には、久司道夫が
日本人として初めてアメリカ国立歴史博物館であるスミソニアン博物館に殿堂入りを果たす。
アメリカでは、ザ・リッツ・カールトンホテルで採用されたり、育児書で有名なスポック博士や
前副大統領のアル・ゴア・ハリウッドスターなど著名人にも実践者がいるとされる。
前副大統領のアル・ゴア・ハリウッドスターなど著名人にも実践者がいるとされる。
国内では、近年になって歌手のマドンナやトム・クルーズらが愛好家として雑誌等で紹介され、
注目され始めた。
注目され始めた。
そして、健康ブームに伴って、カフェができたりムックなどの各種出版物が刊行されたりするなど、
注目が集まった。
注目が集まった。
2005年には、日本経済新聞で1947~1957年生まれの女性の1割以上が、
実践していると報道された。
実践していると報道された。
オステオパシーは骨格などの運動器系、動脈・静脈やリンパなどの循環器系
脳脊髄液の循環を含む脳神経系など
解剖学的あるいは生理学的な範囲の医学知識の元に
。」とトイレに直行。
」と気に入って頂いたご様子で、

