総論として 以前、こちらに記載しました。
今年(2026年)からは、アメブロでは、このときのことをメインに書いていこうと思います。
今までの、鉄道模型趣味、ラテンアメリカでの活動などは、現在の私の夢、生きがいであると考えてください。これがあってこそ、生きていけたのです。
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初回~第3回目:幼稚園3年目
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第4回目:小学校1年生
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第5・6回目:小学校3年生
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第7・8回目:小学校5年生
(この時に、シリコン法から鼠径部や胸の軟骨移植法へ転換) -
第9回目:中学1年生
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第10回目:中学2年生(ここで大きな手術は一段落)
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外来での局所麻酔・簡易手術:約5回(だったと思います。記憶はやや曖昧です)
合計で、約15回の手術・処置を経験しました。
この経験や苦労は、心理カウンセラーはもちろん、小耳症の形成外科医でさえ分かりません。
分かっているのは当の本人だけです。
私には3つの苦しみがありまさいた。
一つは、外科手術の苦しみです。耳の神経発達のことも含めて、幼少時からでないと、この手術はできません。
初めて手術を経験したのは僅か7歳でした。7歳という年齢で、手術台にたったというのは、当の本人でなければわかりません。
これは、どのような病気でもそうです。
二つ目は、退院後、小中学生のときに受けたいじめです。小学校1年のとき、面白半分に別のクラスから見に来る児童が何名かいました。「気持ち悪いから、近づかないでよ」
小学校5年のとき、同級生からの屈辱的な言葉
「手術失敗して死ぬといいね」「冗談だからね!」といっても、言っていい冗談とよくない冗談があるはずです。
私はこの手術で、小学校を1年遅らせ、幼稚園に3年通いました。3年目はほとんど入院と手術の繰り返しでした(昭和47年)。
右側の大脳の部分が眠っていると診断され??? 今まで、発達障害的というか?おかしな行動をとっていたのでしょう。それを見て、健常者からはバカにされ来たというような??? 自分でもバカな行為やっていたかな?と思い出す部分あり^^
中学3年のときです。あるいじめ問題がり、そのことを先生にその親に説明しました。
そのいじめグループが、「チクリ先輩、どうして右耳がないんですか?」
結局、そのグループの親玉は、転校させられましたが。。。中学生(15歳)がいっていい言葉ではない筈です。
言われたほうは、永遠に忘れません。こっちも、学校側に問題化させ、解決の糸口を見つけました。
3つ目の苦しみです。これは、経験していない人間が偉そうなことを言うな!です。
それを、分からない人は、片耳が聴こえるのだから、中耳炎か外耳炎と同じような感覚で、「ハンディを乗り越えて、頑張るように!」とか、「右耳が聴こえないから、あーだこーだいうのは甘えだ!。世間知らずなだけだ!」とただ笑われるだけ!!!
小耳症と中耳炎・外耳炎ではあきらかに、その病気の根底が違います(ここでは省きますが、生まれた時から、健常人と違って、マイナスからの人生のスタートなはずです。例:生まれてこの方、両耳で人の話を聴くという経験がありません。両方の耳で人の話を聴くということがどういうことか?全く知らないわけです。ここが生まれた後に、中耳炎や外耳炎で聴力が失ったことと意味が違います。)。
6000人から10000人に1人という難病であり、その原因が未だに分かっていない。片耳が聴こえる場合は、障害者の対象にならないことにも理不尽を感じます。
今まで、60年間、書けなかったこと、言えなかったことを簡単に書きました。
私が間違っているのでしょうか?
みなさん、同じような問題を抱えている方々も、だからといって、絶望しないでください。
