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Internal auditor's tweets

「説明」と言われても何を説明すればいいのかわからない。
全角128文字で説明するのには制限があり過ぎるので気が向いたら、上手い説明文でも書きましょう。

偉い人が集まる業界の飲み会に参加した時のこと。

描いた絵と本文は全く関係ありません。
こんな絵も描きます。
あーっアセアセ

プライベートではなかなか行かないような高級な居酒屋で料理はコース。

どれも美味しかったのだが、とくに途中で出てきた馬刺しの盛り合わせが、今まで食べたことがないくらい美味だった。

盛り合わせメニューによくあるように、様々な部位の馬肉が豪華絢爛に並んでいる。

中でも、白い色をした部位が、私のバカ舌でも唸らせた。(あとで調べたら「たてがみ」という部位らしい)。

しかし、そこは流石の高級なお店。

盛り合わせといっても、上品なサイズに、丁度、人数分切り分けてある。

いい肉を少量だけというのは、馬刺しに限らず、高級焼肉屋でもよくあるパターンだ。

どうしても、あの白い馬刺しをもう1枚食べたい。

あんな小さな肉では、正直物足りない。

できるなら、口の中に2、3枚放り込み、味だけではなく食感を楽しみながら、極上の美食をかみしめてみたいものである。

とはいえ、そんな無粋なことは、その場ではできない。

まわりには偉い人だらけだし、ひとり一部位1枚ずつがルールのはずだ。

そうこうしているうちに、残り1枚になってしまった。

しかし、誰が箸をつけてないのかわからないが、その1枚がいつまでも残っている。

談笑しながらも、その1枚に気を取られていた私は「もういっそのこと、さっさと誰かの胃の中におさまってほしい」と願った。

そんなモヤモヤを抱えながらも、結局、その1枚は宴会が終了するまで残り続け、最後は光沢を失いカピカピになってしまった。

誰もがこんな思いをしたことがあるのではないか。

世にいう「宴会の皿に残った最後の一品問題」である。

日本は、なぜかこの問題が起こりやすい。

誰が最後の一品に手をつけるのか。
それは失礼な行為なのか。

それとも料理を無駄にしないという使命感に燃えた、勇気ある一手なのか。

その「常識」は明確には定まっていない。

私の場合、偉い人が集まる仕事絡みの宴会だったということも状況的に判断を難しくさせていた側面がある。

「食い意地が張っている」「若輩者のくせに厚かましいと思われたくない」という心理が働いていた。

もしかしたらその中でも一番偉い人が楽しみに残していた一品だったかもしれない。

そう考えると、目先の衝動よりも自分の立場をわきまえ、節度ある行動を心がけようという気持ちが優先される。

しかし、この問題は友達や同僚同士の宴会でもよく起こる。

あの最後の一品に誰が手をつけるのか。楽しい宴会の裏で、そんな心理戦が繰り広げられてしまう。

特に唐揚げや焼き鳥といった、明確な形があり、しかも居酒屋メニューとして人気のある一品に起こりやすい。

サラダは事前に取り分けるケースが多いし、お新香などの気楽なメニューは注意が集まりにくいため、ささっと最後の一品に手を出すことができる

ある女性に聞いてみると「特に女性は、食い意地が張っていると思われたくない心理が働くのでは」と話してくれた。

宴会でのジェンダー的(=社会的意味合いから見た、男女の性区別)な問題としては「サラダや鍋の取り分け」はよく語られるが「最後の一品」にも同じ問題が潜んでいるのだ。

美味しいものを食べたい気持ちに、女性や男性といった区別はないはずだ。

しかし「もりもり食べるのは男性」といった固定観念があると、事態はさらにややこしくなる。

居酒屋では、最後の一品が残っていても、テーブルが一杯になってしまうなどの理由で店員が皿を下げることがある。

そういう場合、最後の一品について、目配せしながらその扱いを検討するシチュエーションに突入するわけだが、私の経験では、その一品がおさまるのは、たしかに女性より男性の小皿である場合が多いように思う。

しかし、そもそも最後の一品に手を出すことが失礼なのだろうか、という根本的な疑問もある。

誰かが「それは失礼な行為だ」と指摘した場面に出くわしたことがないし「誰かがまだ食べていないかもしれない」という配慮は必要なものの、残っているのにはそれなりの理由がある可能性もある。

そのメニューが嫌いな人がいて、あえて箸をつけていない場合だってあるだろう。

なのに遠慮して残してしまうのはもったいない。

人それぞれ、食には好みがある。

お新香が好きな人はお新香を多めに食べればいいし、唐揚げが好きな人は唐揚げを多めに食べればいい。

均等に分けなければいけないなんてルールは、なんとなく存在していそうなだけで、誰かが決めたわけでも明文化されているわけでもない。

好きなものを食べたいだけ食べればいいと考える人もいる。

私が参加した宴会でいえば「自分はこの中では下っ端だから」という遠慮が働いたわけだが「たくさん食べたほうが身分相応なのではないか」という逆の考えをすることもできる。

普段は食べられないような豪華なメニューをありがたがって食べる態度こそ、下っ端としてあるべき姿なのではないか、と。

とはいえ、最後までくすぶり続ける問題は、やはりあの「一品だけ残っている」という気まずさであろう。

どんなに合理的に考えて、この一品に手を出すことは失礼でもマナー違反でもないと判断したとしても「あっ、あいつ最後の一品に手を出したな」という注目を集めてしまうことに、ためらいと羞恥心を感じてしまうのは免れない。

結局は、平成から残る「忖度」という日本社会にはびこる悪習が、まだ令和の時代にも残っているということなのだろうか。

丹精込めて作って提供してもらったメニューを無駄にしないため、そして楽しいはずの宴会に気疲れする心理戦を持ち込まないためにも「残ってるこの一品、もらっちゃいますね!」と気軽に言える風通しの良い社会にしていきたいものだ。

ただ、私の場合、宴会ではいくらお酒を飲んでも酔わないし、いくら食べてもお腹満たされない。

無意識のうちに緊張しているのだろうか?

いや違う。昔、フードファイターの真似事をしていたからか?

これも違う。ただ単に、その場が詰まらないだけだろう。

締まりのないブログ記事ですみません。



おしまい。来週へ続く。