国として成立させるには政治(まつりごと)が必要不可欠となってきます。
ですが…古事記での日本統一には、ものすごい曖昧な記述しかありません。曖昧ながらも統一に向けた動きがあるという記述がみられます。
ですが、古事記の記述の中では大国主命のチャラい女好きキャラにして諸国漫遊したような話がありますが、これは戦国時代と同じく政略結婚を出雲一族の者とすることによって、出雲の勢力範囲を広めたのではないかと考えます。
邪馬台国は何処に在ったのかという論議にも通じますが、大国主命が兄たちの八十神に追われて逃げた記述から出雲の地が最初からあったのではなく、出雲にたどり着いたのでは?と仮説を立てます。
西から来たのか、それとも東からなのか?
兄たち八十神から逃亡していた場所は、主に東中国地方と近畿の紀伊半島。美人を探し廻ったという場所で出てくるのが上越。大国主命が天照大神に初めて会いに行った時の記述で天橋立で、大国主命が動いた地域で記述があるのは日本列島の東側でした。
また、古代の時代に重要だった黒曜石の最も良質な産地は伊豆沖の神津島、八ヶ岳西側。
採取加工と云う初期の黒曜石の存在が、下賜と貿易と云う存在に変化していくとしたら、産地に政治の中心を置くのではなく、貿易に適した所へ遷都していくのでは?と考えます。
西から出雲に移ったと云うのでは、北九州の沿岸を無視し過ぎます。東から移って来たので出雲の地が都合が良かったと考えられます。
出雲の前に政治の中心となっていた所はどこなのか?
それは、黒曜石を産出していた八ヶ岳西側一帯と言えるのではないでしょうか?Dと共に北海道から南下して来たCが黒曜石で権力を握る事になります。
次回は、古事記に存在する八ヶ岳西側説の正統性を説明します。