実際に落ちた所は、おそらく無数にあったが、作られた伝説に沿う所が戸隠だった…と云うことだった。
いく手を遮るかの様に焼山が噴火を繰り返している。救出チームの一行には、諏訪に助けを求めてやって来た日向の民がガイドの役目の為に一緒に来ている。日向の民が船を作って、この危険地帯を海から回避してはどうかと提案した。
日向の民は海の民でもある。
対して諏訪の民は山の民である。
日向の民の指導で葦などの草木を周辺から集め、舟を編む。手先の器用な出雲の民も手伝い、意外に短期間で船を作って移動したのでは?と考える。糸魚川辺りまで行けば回避して上陸出来たのか?それとも富山県内まで海路で移動したのかはわからないが、急造の船ではそれほど移動は出来ない。いずれにしても、また陸路での移動となる。
火山活動が残る日本列島の地形から、諏訪を出て最終的に出雲を目指すと仮定した場合、何故?北ルートとなるのか、難しい見解なのだが…西、南と考えられる道筋はある。だが、諏訪から直接西(松本~高山)へ抜けるには焼岳の噴火の影響が大きく、南(伊那~豊橋、駒ヶ根~多治見)は渓谷の厳しさと御嶽山の噴火の影響が尾を引いてしまう。当然、まだ富士山と浅間山は危ないので、東は選択出来ない。比較的、抜ける手立てが残されているのが日本海に抜けてしまう手段だったのでは、と考える。
ひとつ、日本海に抜ける行程で起きたエピソードを仮定してみた。
大国主命が、八十神と云う兄達の反感を買い何度となく命を狙われているのだが、八十神とされた兄達(人々)はこの救出チーム一行+途中合流の人々(主に日向の民)で、山から駆け降りて来る猪を捕らえろと云う兄達の指令を真に受けたばっかりに噴火する火山から噴き出した岩石に潰される大国主命のエピソードは、この時の焼山の噴火で当初予定していた日本海へ抜けるルート(善光寺平~小谷~糸魚川)が不可能になったから、善光寺平から飯山を抜け、直江津辺りへ出たのでは…と考えてみました。また、北に抜けるルートを選ぶ根拠に、建御名方神が立ち寄ったと云う由緒がある神社が上田にある事、また小谷と飯山に信濃と上越の境とする諏訪神社が存在しています。諏訪大社の勢力範囲とする考えの神社ですが、日本海に抜ける時の中継地の跡だったのでは?と考えます。
一行は、富山県東部に再上陸。これから困難が待ち構えています。
次回、苦闘と共闘