正しいトイレの入り方
いきなり下世話な話になりますが、
男性諸君、
トイレはどのように入っていますか?
小便器が3つ並んでいます。
あなたはどれを利用しますか?
おそらくは一番端っこにツツと歩み寄り、
おもむろに股間に手のもぐりこませて、
一気に用をたすのではないでしょうか?
ところがそこにまた一人の男が便所に入室してきます。
その男はやおら一人便器で用を足しているのを見て、
自らの立ち位置を決定するでしょう。
あなたはきっと自分の位置とは反対の端っこに行くに
違いないと思うでしょう。オセロと同じようにトイレも
はやく一番端に陣取ったものが勝ちなのです。
ふふふふふ、
最初の男がうつむき姿勢で暗い笑いを口元に浮かべているとき、
その男は何を思ったか、こともあろうに、最初の男の便器の隣に
歩み寄り、最初の男のすぐ横にピタッとつけて用を足しはじめたの
です。
ここで最初の男の心の平静は一気に崩れ去ります。
最初の男の頭に「なぜ?」が渦巻きます。
このとき明らかに形勢は最初の男の圧倒的不利に
転じています。
そうこうするうちに、後から入ってきた男は満足げに
ズボンを引き上げ、トイレから退出していきました。
最初の男は呆然として最後のしずくをきるのを忘れて
たたずんでいました。完全な敗北でした。
こんなことがあってから、最初の男は3つ並びの
トイレに入室するときには一番真ん中の便器を
最初から利用するようにしています。
端で用を足している人の隣にピタッとつけることは
いままでもこれからもできないということです。
(´,_ゝ`)
ミヤザワケンジグレーテストヒッツ/高橋インテリ源ちゃん
なにせ筆致が軽やか&コミカル。
冷ややかな視点から描かれる人間模様には、
笑いを誘われます。
ちょっとカタイ文章からポップなおちゃらけ文章まで、
その変幻自在の描出力は源ちゃんならでこそ。
本書をきっかけにデビュー作『さようなら、ギャングたち』
を読みました。バロウズばりのハチャメチャな物語展開には
唖然通り越して笑っちゃうこと間違いなしです。
バカの争い
中世ヨーロッパのある王国に互いバカと言い合っているふたりのオトコがいました。
オトコ乙「バーカ」
オトコ丙「バーカ」
オトコ乙「バカと言った方がバカなんです!」
オトコ丙「バカと言った方がバカなんですって言った方がバカなんです!!」
オトコ乙「バカと言った方がバカなんですって言った方がバカなんですって言った方がバカなんです!!!」
……という具合でありました。
ふたりはもう勘弁ならんというぐらいに会うたびにしつこく相手を愚弄し合っていたのです。
ある日、とうとうオトコ乙はオトコ丙のバカさっぷりに我慢ができなくなって、王様の足下に伺候してそのバカさのほどをこれまでかというほどに告発しました。
「あいつのバカっぷりといったらホントにほとほとあきれ果てますわい……」
ただこのときオトコ乙はオトコ丙の名誉のために、名前だけは伏せるという小粋な計らいを心がけました。
王様はそれを面白そうにフムフム言いながら聞いておりました。この王国では、特に日々なんの事件も起こらず、王様は退屈していたのです。
ちょうどそのころ、オトコ丙もふつふつと沸き立つオトコ乙に対する憤りに胸をかきむしられんばかりにイライラしていました。そして、ついに意を決して王様の下に赴くことにしました。
お城の入り口のところでいま告発を終えたばかりのオトコ乙とすれ違い、互いに上目遣いで「バカ」「バカ」と言い合いながらすれ違いました。お互いにまさか自分が告発されているとは夢にも思っていない様子です。
「とんでもないバカがいたものでございます……」
オトコ丙は王様の御前でオトコ乙のバカさ加減をこれまでかというほどに暴露し放ちました。
オトコ丙も一応分別ある大人ですので、その世にも呆れたバカがオトコ乙だとはおくびにも出しませんでした。
王様は例によってオトコ丙の告発をニャルホドとか言いながらさも楽しげに聞いておりました。
さて、オトコ丙が王様の前から退去して、王様ははたと思いました。
(この国にはとんでもないバカがいるらしいことが分かった。でも、それって誰?)
王様はふたりが告発してきたバカが同一人物だと思っておりました。
王様はすぐさま召使を呼び出して命令を出しました。
「わが王国には前代未聞のバカがいるらしい。すぐにそやつを朕の前にひっとらえて参れ!」
召使「ははっ」
こうして国を挙げてのバカ探しがはじまったのです。
こうして浮かび上がってきたのがオトコ乙とオトコ丙。
国中の人はオトコ乙とオトコ丙が言いふらす言葉にまかせてきっとあいつらのどちらかがバカなのだろうと合点し、召使たちの聞き込みに対してオトコ乙かオトコ丙のどちらかを適当に答えていたのです。
王様はびっくり。ふたを開けてみればバカはバカを告発してきたオトコその人ではないか!?
「おぬしらがバカとの誉れ高きものか?」
オトコ乙とオトコ丙は苦々しい様子で互いに見合いました。
「して、どちらがよりバカなのであろうか?」
オトコ乙とオトコ丙は黙って互いを指差しました。
しばし乾いた沈黙が流れました。
「う~む、それでは本当のバカがどちらか分からんじゃないか」
王様は真剣に悩んでいるご様子。
「よし! こうしよう!」
王様の頭に名案が去来したようです。
「ふたりして決闘したのち、どちらがよりバカか決定いたそう」
「おお! それはいいお考えだ」
召使たちは口々におべっかを吹聴しました。
後日、王国内のコロッセオでふたりのバカ決定戦が開催されることになりました。
会場は満員御礼。王国一のバカが誰になるか決して見逃すまいという気合が観衆からみなぎっています。
オトコ乙とオトコ丙は鋼のよろいにがっちりと守りを固めて、翡翠でできた特別製の剣を握りしめ、互いに身構えています。
「はじめーい!!」
チャキーンチャキーン、キンキンキン、シャリーン、カッカッ、シュビーン
激しく打ち合っています。
観衆は大歓声を上げて熱狂しています。
王様の傍にお仕えしていた大臣はその様子を見てやにわに「ん?」と疑問を抱きました。
「ところで王様、この試合に勝ったものがバカなのですか? それとも負けたものがバカなのですか?」
「あ? ああそれは考えていんかった。どちらかっていうと、勝った方がバカなんだと思うだって負けたらせっかくのバカが台無しじゃん」
「えっ!?」
王様のご発言がマイクを通じて会場中にこだましました。
「勝った方がバカ!?」
オトコ乙とオトコ丙ははたと剣をとめてしばし考えました。
・・・・・・ってことは勝たないほうがいいってことDa.Yo.Ne?
行き詰まる沈黙の時間が会場に流れます。
最初に行動を起こしたのは、オトコ乙の方でした。
オトコ乙は自分の方に剣を突き立てて自らえいやっと腹をえぐり大地にひれ伏しました。
「・・・…これでおまえがバカだ……」
オトコ丙はそれを見てうなだれています。
オトコ乙はまもなく息を引き取りました。
王様はそれを見てやんややんやの大喜び。
「ははは、よくぞやった!」
バカにならないために自ら自刃して名誉を守り抜こうとした男・オトコ乙。
彼は後世にわたって長く広く類まれなるバカとして言い伝えられたとなん人の言い伝えける。
おしまい
もう真理は出そろっている
…物事というものはなまじ中途半端からではなく、そもそもの土台から始めなければだめです―1ルーブルではなく、1コペイカから始めるのです、上からではなく、どん底から出発するのです。そうしてこそ庶民というもの、またその生活状態をよく通じ、他日そこから出発することができるというものです。
自分の身にあれやこれやの困苦を忍び、1コペイカを笑う者は1コペイカになくという諺を理解し、さまざまな浮世の辛酸を舐めつくしてこそ、初めて経験をつみ、知恵分別もついて、もうどんな事業を企てようと、決してへまをやらず、失敗したりすることがなくなるのです。いいですか、これは確かに真理ですよ。……
……ええ、そうです。自然は忍耐を愛します。これは辛抱強い者を嘉し給う神おん自らの定め給うた法則です。
(『死せる魂』ゴーゴリ著/平井肇・横田瑞穂訳)
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成功するためには一から積み上げること、よほどの天才でない限り王道はありえないこと、いま匠の技を易々と成し遂げている人々も一から積み上げてきた結果であること、そしてすべてには忍耐力が必要であること、あきらめないことくじけないこと投げ出さないこと、こんな当たり前のことがはるか昔から真理として説かれていたにも関わらず、いまなおそのことが問われることの多いということは、逆の視点から見ると、他の人に先駆けて成功を手にする機会がいつの時代もわたしたちの眼前に横たわっているこということを指し示すように思われてならない。
恥ずかしいなんてありえない
…羞恥心なんて、根も葉もない感情です。それはただ風俗や教育の賜物であって、いわゆる習慣というものの一形態にすぎないんですからね。裸の男や女を創り出した自然が、同時に裸になることの嫌悪や羞恥を人間に与えようはずがないじゃありませんか。……
(悪徳の栄え(上)/マルキ・ド・サド著・渋沢龍彦訳)
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恥ずかしいと思っていることが一番恥ずかしい状態なのであって、人は他人「恥ずかしい」振る舞いを見て恥ずかしいとはそれほど感じていないのであるから(むしろ「あーあやっちゃたね」くらいの優越感さえ感じていることが多い)、自分自身が恥ずかしいと思ってはばかったり気がめいったり躊躇したりということはほとんで無意味かつ労力の浪費であるように思われてならない。恥ずかしいと思われることをやったら恥ずかしい、それは単に自分が習慣的にそう感じてきたことの延長であることに目覚めれば、人生はもっと大胆にパワフルに振舞えるのではなかろうか。