本日は、世論と戦争に関しての記述問題を扱います。
実は今回、掲載にあたり、著作権上の問題もありそうなので、問題文を大改変しました。その結果、当初は敵国を決めてその文化的周辺まで排除する世論の幼稚さ、危うさを印象付ける素晴らしい問題であったのが、なんとも無味乾燥な問題になってしまいました。実際の問題については過去問週に掲載がありますので、ぜひ、そちらをご覧ください。
当初は掲載を見合そうかとも思いましたが、経緯の説明、という点に関してよい問題だなと思ったことと、操られることもあり、また扇動に弱く、攻撃的で乱暴なものになりがちな世論の危うさ、というものは昨今、実感できることで、各校の出題担当の先生方も痛感されておられるであろうということをふまえて、大改変を加えてでも掲載することにいたしました。素晴らしい絵画を額から取り出し、切り裂いて展示するような行為であること同然の行為で、非常に胸が痛みますが、掲載を決意した意図をお察しくださり、視野を広げることにお役に立てていただければ幸いです。
さて、本題にもどります。
この問題においては、従来からの英米への日本国民の感情の悪化に、1940年、英語を排除するような措置まで取るくらいに決定的に感情が悪化していった経緯をもとに、日本国民の英米への感情悪化の背景を書いていく問題になります。どうして、もともと悪化した感情があったのか、そして1940年になぜわざわざ英語表記が取り払われるくらいまで悪化したのか、この2点をふまえて記述してみましょう。
問題
1940年、プロ野球のチーム名や外国人選手名が、自主的に英語から日本語に改められました。これは、日本国内のイギリスやアメリカに対する感情の悪化が理由として挙げられます。
このようなイギリスやアメリカに対する感情の悪化につき、その背景を説明しなさい。
解説
1940年に何があったのかを考えます。
1940年は、日独伊三国同盟が締結された年にあたります。この同盟では、具体的に名前は挙がっていないものの、アメリカとの戦争における相互協力を約したものであり、対米戦必至の状況を国民に印象付けるものになりました。
また、1940年まで、満州事変以降、日本はアメリカ、イギリスから満州事変、日中戦争のような一方的な対中軍事行動を激しく非難され、軍の中国進出こそが当時の日本経済の苦境を救うと信じていた日本国民は、英米に対する感情を悪化させていきました。
解答例
満州事変、日中戦争を通じて日本はアメリカ、イギリスとの対立を深めていき、1940年の日独伊三国同盟締結ではっきりとアメリカ、イギリスを敵国としてみなすようになった。