最近、多忙で問題がじっくり見れないことや、表やグラフを作成する時間的猶予がないこともあり、ブログがなかなか更新できません。
また、来週から春期講習期間にあたるため、少しブログを不定期更新としたく存じます。
4月4日(月)あたりから、再開できれば何よりです。
さて、最近の国語を振り返ってみます。
10年スパンで見ていけば、というところの話になります。
近年、特徴的に感じるのは長文化、語彙の難化という全体的傾向のなか、中堅から難関で自分の考えを聞く、資料を正確に読み取る、といった、公立中高一貫校の適性検査系の問題が増えたことがあります。
それぞれの学校が欲しい生徒像をより明確にしつつある全体的傾向が見て取れます。
国語という科目は時代への嗅覚が求められます。
人はこうあるべきという昭和、常識を疑う視点を持つべき平成、広い視点を持つことで予測不可能な社会を乗り越えていく努力が求められる令和、といった具合です。
立場によって善行が善行でなくなる開成、失明を視覚以外の視点からみていく武蔵、大災害との向き合い方が通り一遍でない麻布、見る角度を変えて言葉の再解釈を求める桜蔭、事実の捉えられ方の多様性を問う女子学院、他者への共感性を問う雙葉と、2022の御三家だけを見ても、令和っぽい出題であったように感じます。
読解技術や速読力、漢字含む語彙を除けば、多様性を認めることが、読解の鍵であったように感じました。
多様性を認めるということは、様々な考えを知って認めるということではなく、違うことを容認することです。
得てして、大人も子どもも、自分と違うことにストレスを感じがちなものですが、令和においては自分と違うを認識した上で、違うをありのままに受け入れることが求められます。
理想的な受験生像をおき、その像と比較対象して足りないとされる部分を知識ないし思考力で補っていくという、何かと比較する受験の現実を認識しつつも、それでも取り組んでいくという融通無碍な態度が、令和的受験生スタイルなのでしょう。